脳神経社会学-脳・神経系(ニューラル・ネットワーク)と社会・文化について-

1987(初版)1999-2006(2) 大塚いわお



Tweet




目次
◆要旨
◆基礎-神経社会学-
◆マクロ神経社会学
◆ミクロ神経社会学
◆その他

◆要旨

当サイトでは、人間社会や文化のあり方を説明する上で、神経・生理心理学的な見方を、新たに導入しています。人間の本質を、()神経系の活動にあると見なし、社会を神経系の集積、ないし神経系間の神経回路のやりとりとして捉える見方を提案しています。

[筆者注]当サイトの内容は、1987年頃(筆者の大学時代)にいったん試論の形で作成したものが元になっています。1999年頃から再び手を入れて、内容を、社会学の理論(社会構造、コミュニケーション論など)と関連を持たせる形で、より詳細なものに改めました。


◆基礎-神経社会学-

1987-2006 初出

◇行動の最小単位

●行動様式素子としてのシナプス

人間の行動は、神経系の働きがメインである。脳死(神経系の活動停止)を人の死とする考え方が普及した現在では、人間行動と社会構成などとの関連を考える上では、神経系だけ考えれば十分である、と考えられる。

人間の行動をつかさどる神経系は、ニューロン(神経細胞)の連鎖・網(ニューラル・ネットワーク)としても、捉えられる。人間個人は、巨大なニューロ・コンピュータとして捉えられる。

人間の心理は、ニューロン同士の相互作用の集合として捉えることができ、その点、心理学は、「ニューロンの社会学」と言うことができる。

行動(広義)は、脳神経系における、シナプスによって静的に結びついたニューロン配線上を、インパルスが動的に伝達する活動、と言える。

行動(狭義)は、感覚野-連合野-運動野と分化した脳神経系において外界と接する部分である、感覚および運動野のニューラルネットワークが、インパルスの伝達により活性化し、身体の外観上の動きとなったもの、と捉えられる。

思考は、脳神経系における、ニューロン配線上を、インパルスが動的に伝達する活動のうち、運動野を通って外部に出力されることなく、内部で持続し続ける分、と言える。

神経回路は、活性化(インパルスの通過の有無)からの側面からは、

(1)活性的 インパルスが通る、発生する行動に対応している

(2)非活性的 インパルスが通らない、発生する行動に対応しない

に分類される。

人間の行動様式を、ニューラル・ネットワークの活動に還元して捉えると、行動様式を決定するのは、ニューロン同士の結合の連鎖のあり方であり、人間の行動を、ミクロな視点で分解しつくしたところの根源は、あるニューラル・ネットワークを、他の部分のニューラル・ネットワークとどのように結びつけるかを、決定する、シナプスにあると考えられる。

したがって、「行動様式素子(人間~生物の行動様式を、神経系内部で決定する最小単位)」に当たるのは、ニューロン同士の結合の正負・強さを司るシナプスである、と考えることができる。

そして、人間の脳神経系は、こうした様々な遺伝的、後天的行動様式のたまり場、プール(pool of behaviors)として捉えることが出来る。

◇社会との関連

●社会の2つの異なる捉え方

社会は、個人の神経系の働きに視点を合わせた場合には、各人の神経系システム同士のコミュニケーションによる結合・連携・連帯、ないし個々の神経系システム同士の相互作用として捉えることができる。そこでは、各人の神経系内部での神経回路群が、周囲の他者の神経系から複写済の状態であると考えられる。

上記とは別に、社会は、各人の脳神経系システムの合計としての巨大な神経系システム=スーパー神経系として捉えることもできる。この視点では、個々人の神経系システムを一つの大きな全体社会という「るつぼ」の中に融合している。すなわち、全体社会は、巨大な感覚野、連合野、運動野からなる一個の統合されたニューラルネットワーク、ニューロコンピュータであると考えるわけである。

こうした視点の違いから、社会の捉え方は、

a.視点がミクロかマクロか

(1)視点が社会を構成する個々人毎の神経系の活動に向いている捉え方

(2)視点が社会全体を鳥瞰する捉え方

b.個人と社会を分けるか分けないか

(1)個人と社会を互いに別物として区別し対立させる方式

(2)個人を社会(という巨大神経系システム)の中へと一体・融合化させて不可分のものとして捉える方式

という2通りがある、と言える。

ミクロな社会の捉え方では、個人の神経系の働きを中心に考え、社会は神経系同士の連結機能を持つに過ぎないと捉える場合と、個々人の神経系間のやりとり・相互作用が行われている状態としての社会に焦点を当てる場合とにさらに分けられる。

マクロな社会の捉え方では、文化は、個々人の神経系同士の統合体としての社会による産物と考えることができる。新たな文化生成は、全体社会という巨大神経系システムの中での、部分神経回路の新規生成という出来事として捉えられる。生み出された文化が流布・拡大する現象は、全体社会中の当該文化に該当する神経回路が強化される(太く丈夫になる、回線数が増える)ことに対応する。

◆マクロ神経社会学

1987(初版)1999-2006(2) 初出

●全体社会の定義

全体社会は、各人が持つニューラル・ネットワークを、一人分ずつ潰して、同一部位を互いに重ね合わせていった、ネットワークの合計として捉えられる。

各人のネットワークを潰して、同一部位同士を足し合わせる作業を、互いに関連を持つ、地球上全ての人間のニューラル・ネットワークについて行うことにより、全体で一つの、人間の環境適応にとって完全に近い、巨大なニューラル・ネットワークを形成する。それが全体社会である。

この場合の全体社会は、巨大な感覚野、連合野、運動野からなる一個の統合されたニューラルネットワークである。

この場合の全体社会の神経系の構造は、一人の人間の神経系の構造と相同である。なぜなら、各人の神経系の構造の合計が、そのまま全体社会の神経系の構造を形作っているからである。

各人の脳神経系=ニューラル・ネットワークの合計が、全体社会となる。例えば、各人の持つ視覚回路の合計が、全体社会の「眼」ということになる。全世界の人口が50億人なら、全体社会は、100億個の眼を持った「超人」として捉えられる。

全体社会は、巨大な感覚野、連合野、運動野を持つ、一つの大きな神経系システム=ハイパー神経系、ないし行動者として捉えられる。

●集団、組織の定義

全体社会に比べて、より小さな人間同士の集まりである、集団ないし組織も、全体社会同様、それを構成する各人の脳神経系=ニューラル・ネットワークの合計として捉えられる。すなわち、複数人からなる集団、組織は、一人の人間同様に、統合された感覚野、連合野、運動野を持つ、ひとまとまりの大きな神経系=ハイパー神経系、行動者として捉えられる。

例えば、会社組織は、従業員数が500人なら、1000個の眼を持った「超人」として捉えられる。

●社会構造と神経回路の安定性

社会構造は、社会関係における、変化しにくい、安定した部分を指す。これは、社会を構成する各人のニューラル・ネットワークにおいて、変化しにくい、定常部分を、足し合わせたものに一致する、と考えられる。

●社会変動

全体社会の変動は、各人のニューラル・ネットワーク全合計のうちの、可塑部分の変化として捉えることができる。

個々人の心理システムの変動は、ニューロン同士の配線が、大きく変化することで起きている。そして、この個々人のニューロン配線の変動が、社会レベルの変動につながっていると考えられる。

社会変動が起こる時は、社会を構成する各人のニューラル・ネットワークのパターン(神経系の構造)が、大きく変化している、と考えられる。

●紛争

紛争は、全体社会を構成する巨大なニューラル・ネットワークの中で、特定部分の促進/抑制関係が逆になっている人間同士のニューラル・ネットワークが同居しているときに起こる。

全体社会におけるコンフリクト(紛争)は、全体社会を構成する巨大な神経回路の中に、促進・抑制の関係が正反対になっている部分が存在し、その正反対の部分同士が、矛盾する、互いに相手を打ち消し合うインパルスを伝達することによって起こる。全体社会内部での、インパルスの打ち消し合いによる消耗をもたらす。


●組織における上司・部下関係

官僚制組織を、一つの大きな神経系として眺めた場合、上司・部下の関係が、末広がりの枝状に、連接している。この場合、組織の中心に位置する上司に対応する神経回路は、より抽象的・包括的で現場から遠い内容の職務内容に対応し、一方、組織の末端に位置する部下に対応する神経回路は、より具体的・瑣末的で現場に近い内容の職務内容に対応する。したがって、神経回路は、社会組織の面からは、

(1)中心、中核

(2)周辺、末端

2通りに区分できる。

外界から入って来る刺激を直接受け止める回路部分を担うのが、部下の人間に対応するネットワークであり、このネットワーク部分は、外界から入って来た刺激を分析して、その情報量を低減した上で、分析済のインパルス内容を、上司の人間の持ち分に当たるネットワーク部分に渡す。自分の持ち分のところで、インパルス情報量が十分低減されて、自分の上司へは特に報告しなくてよいと判定された場合は、そこで、インパルスの伝達は止まる。

部下段階のニューラル・ネットワーク部分で受け取られた情報が、上司段階のネットワークへと伝達される場合は、

(1)情報量が多い(今までになく目新しい、滅多に起きない)

(2)環境適応上の重要度が高い(人の生死に関わる、組織の存続に関わる)

といった場合が考えられる。

●孤立者への配慮

全体社会は、 孤立者を人間社会の一員に加えるか否かによって、

(1)相互作用がある者同士のニューラルネットワークのみを加算する

(2)相互作用のない孤立者のニューラルネットワークも含める

2通りの捉え方が成立する。

この場合、孤立者は、最初から全く人間社会と接点を持たなかった狼少年・少女である場合ほとんどなく、ロビンソン・クルーソーの物語のように、元は人間社会の一員であり、人間の文化を共有した者が何らかの原因により、他者と隔離されたか、自ら進んで社会との接点を断ったと考えるのが普通である。彼ら孤立者は、人間の文化を自分の神経系の中に残しており、彼ら孤立者独自の経験が、再び残りの社会に再接触後流布する可能性を秘めている点、全体社会を捉える際には、人間社会の一員として捉えた方が都合がよい。

あるいは、大勢が集まり暮らしている中から、スッと抜け出た少数者の一団が、今までいた人間社会から完全に隔離された形で独自の文化を形成する場合も考えられる。その場合、全体社会の合計には、彼らの独自社会の分も当然加えるべきだという考えが出てくるであろう。

こうした点、全体社会には、(2)の孤立者を含めた方が、より都合がよいと考えられる。

●非可塑・可塑部分の合計

ニューラルネットワークには、遺伝によって配線を予め決められた、非可塑部分(半導体のROMに相当)と、後天的に(文化的に)配線を変えることができる、可塑部分(半導体のRAMに相当)とがある。全体社会は、遺伝的(非可塑)・文化的(可塑)いずれのネットワークも、全部含めた形で、存在すると考えられる。

◆ミクロ神経社会学

◇社会の概念

1987-2009 初出

●個人神経系間の接続コネクタとしての社会

社会は、個人の神経系の働きに視点を合わせた場合には、

(1)各人の神経系システム同士のコミュニケーションによる結合・連携・連帯、ないし個々の神経系システム同士の相互作用

(2)各人の神経系システム同士を寄せ集めた集合体

として捉えることができる。

(1)の捉え方からすると、社会はあくまで、個人内部で生み出された環境適応に有効な神経回路を、(その回路をまだ持っていない)複数の他の人間の神経系へと適切に流布させるための手段に過ぎない。社会は、互いに独立した各個人の神経系=「心」同士をつなぐ架け橋・接続コネクタとして捉えられる。

言い換えると、社会は、ミクロな視点としては、個々の神経系システム同士の相互作用、神経回路のやりとり自体の集合体として捉えることができる。 人間は、工学的にはニューロコンピュータの一種として捉えることができ、巨大なニューロコンピュータ同士が大群をなして一斉に相互作用、通信するのが、現代の人間社会である、と言ってよい。

文化を、神経回路の形に変換しうる情報として捉えた場合、コミュニケーションは、通路としての社会の上を、文化が行き交う状態として捉えることができる。社会は、神経回路=文化の流通する経路の集積として捉えることができる。

(2)の捉え方では、社会は、個々人の神経系=「心」の集合体として捉えられる。社会は、個々人の「心」=神経系無しには存在し得ない。その点、社会を捉えるには、神経心理学的見地が必須となる。言わば、「(神経)心理学的社会学」が必要となる。その場合、現行の社会学のような、社会は、個々人の心理とは独立して存在する、個人心理を超えた独自の存在である、とする見方は成り立たなくなる。

また、(2)の個々人の神経系活動、心理の集合体が社会である、とする考え方からは、社会は個々人の心理を内包する、と捉えることができ、社会は複数~多数の個々人の心理をまとめ上げて集約する上位概念であると言うことができる。

その点、社会学は心理学、脳神経科学を内包する、より上位の学問と言うことができる。率直に言えば、心理学は社会学の下僕である、と言うことになる。あるいは、神経心理学の上位に、神経社会学が来るのである。

これは、会社とかで、個々の一般社員よりも、彼らを集約し、まとめて管理するマネージャーの方が、組織内の階級が上位なのと一緒である。

社会学は、従来のように個々人の内的心理を除外して、個人間の相互作用に視点を絞る行き方では行き詰まってしまうので、今後の脳神経科学の進展に新たに対応すべく、個々人の心理、神経系活動を内包し、取り入れ、まとめ上げていく、という視点から再構成されるべきである。

◇社会化と神経系

1987-2006 初出

◇回路生成について

●回路生成の基本

新たな神経回路の生成は、2つの異なる刺激の同時生起に基づく。例えば、りんごを食べた人は、手に持った「りんご」の与える視覚、触覚面での刺激 と、「おいしい」という味覚面での刺激との両者を同時に生起させる。その結果、「りんご」に当たるニューロンと「おいしい」に当たるニューロンとが同時発 火し、両者のニューロン間に、新たな結合=回路生成をもたらす。

●回路コピーの基本

神経回路の人間の間でのコピーは、メディアに、2つの異なる刺激を同時生起させる情報をencodeして載せて、相手の神経系の中に送って decodeさせ、結果として、相手の神経系の中で、該当する2つの刺激に当たるニューロン同士を結合させることで行われる。例えば、りんごを食べておい しいと感じた人(「りんご」と「おいしい」間のニューロン結合を、実際に食べることで得た人)は、「りんごはおいしい」と相手に言葉で伝達する(ないし、 「「りんご」「おいしい」の刺激を、「りんご」の絵と、おいしそうな顔をすることで同時発生させる)。すると、相手の心の中では、「りんご」「おいしい」 2つの刺激に当たるニューロン同士が同時発火して両者の間が結合し、結果として、彼の神経系には、伝達元の人と同じ回路がコピーされたことになる。


上記の場合、りんごのおいしさを他者に伝達しようとする、能動的な伝達意思、動機付けのようなものが、伝達者の神経系内部に存在する必要がある。この伝達 意思は、必ずしも意識的なものとは限らず、無意識に生起した表情などで相手に伝えられる場合も考えられる。この点、神経系の中に「意思(決定)野」「動機 野」のようなものを想定する必要が出てくる。

神経回路コピーを説明した図です

●神経回路生成の多段階説(種を中核とした発展)

神経回路の生成においては、まず初等のごく基本的な(辞書の定義に当たる)回路が生成され、それらの回路を基盤の踏み台として、より高度な内 容の情報に対応する回路が生成される。既に理解している=対応する神経回路が出来上がっている、平易な情報・記号の組み合わせによって、より高度な 神経回路を生成していくことになる。

初等・基礎回路が出来上がっていないと、応用能力に関する回路は生成不可能である。

算数で、四則演算ができないと、統計学が分からないという場合、四則演算は、基本的な回路によって構成される分であり、統計学は、その基本的な回路 を土台に、応用的に構築されるべき回路の分である、と考えられる。

神経回路の生成過程においては、まず、seed()となる、基本的な回路(種回路)が生成され、次に、いくつかの種回路を発端として、それ ら同士が互いにドッキングしていく形で、より高度な回路へと成長していくと考えられる。

●神経回路結合と新規性

人間が、神経回路同士の結合(可塑的シナプス)を生成することが、「学習」である。このとき、学習によって生成する神経回路結合は、新 規性(今まで、誰かの中に、既に存在しているかどうか)という観点からは、

(1)前例 既に誰かの神経系の中に存在し、所持する他者からコミュニケーションによってコピーすることができる神経回路結合

(2)発明・発見 今まで他の誰の神経系の中にも存在しなかった、学習した当人が初めて生成した、神経回路結合

2タイプに分けることができる。

(2)の発明・発見においては、より離れている、互いにより結びつかなそうな回路間をドッキングするほど、大発明・大発見となる。

発明・発見に対応する神経回路結合は、他者にコピーされた瞬間から、(1)の前例と化する。

●神経回路の由来と社会化

人間の後天的学習行動に対応する神経回路は、

(1)外部社会由来 生まれた人間が組み込まれる外部社会から既に存在する規範となる行動様式=神経回路を内面化する=未だ配線が生成していない脳の中にコピーする形で「外在的」に形成される場合と、

(2)個人内部由来 人間個人の脳神経系システムの中で、試行錯誤の過程で偶然に新たな神経回路=新規の独創的な行動様式として「内在的」に生成される場合、

とが考えられる。(1)は従来、「社会化」という概念で言われてきた。

(2)の内在的に生み出された新たな神経回路が、新たに周囲の人間の脳の中に次々とコピーされていき、旧来の回路を置き換えることによって、 革新・革命といった社会変動が生み出されると考えられる。

従来の社会学は、(1)の既に社会に存在する外在的な行動様式の個人における内面化にばかり気を取られていて、(2)の個人の脳の中から発生する新規 の内在的な行動様式=神経回路の周囲への発信が社会に与える影響について考察が足りないのではないかと考えられる。社会→個人の流ればかりを追いかけて、個人→社会の流れを見過ごしてはいないだろうか?

社会内に分布する神経回路は世代を超えて、長い年月にわたって脳から脳へとコピーが繰り返されて来たと考えられる。この回路複写の歴史を遡る と、最初の文化=後天的神経回路発生は、明らかに単独個人の脳の中での新規シナプス結合・可塑性に源を発する。それが周囲の人間にコミュニケーショ ンによって試験的にコピーされては、有効性が試され、有効であればさらに広範囲の他者の脳へとコピーが広まり、さらには世代間でのコピーが行われて、現在 へと受け継がれて来た、と言える。

外部社会に既にあって人間を外在的に拘束するとされてきた文化も、コピー元のソースをたどれば脳神経系の働きという個々人の心理に由来するものなの である。新しい文化(独創的な行動様式)は、常に個人内部の脳神経系の中で生まれる。文化の起源は個人の脳神経系におけるニューロン間の新規結合にある。 その点、文化は、個人の心理的活動によりもたらされるものであり、最初から社会に外在することは不可能である。

社会が個人の心理的活動(脳神経系の働き)に基づかずに独自に文化を生成することは不可能である。個人間を神経回路がリレーによって受け継が れていくたびに、神経回路を受け取った各個人の脳神経系の中で、新たな回路の付与が行われ、その付与部分が、他の個人にコピーされる、という形で文 化は発展していく。文化が生み出される(新たな神経回路の付け足しが行われる)のはあくまでも個人内部における独自の心理的過程なのである。

ここで述べたような社会の捉え方からすると、社会はあくまで、個人内部で生み出された環境適応に有効な神経回路を、(その回路をまだ持ってい ない)複数の他の人間の神経系へと適切に流布させるための手段に過ぎない。社会は、互いに独立した各個人の神経系同士をつなぐ架け橋・接続コネクタ以上の ものではないのである。個人の神経系同士の連絡手段としての社会自体には、新たな文化を生成する能力はない。新たな文化を生成するのは、あくまで個々人の 神経系システムなのである。

したがって、「社会化」の概念は、より正確には、自分を取り囲む外部の複数他者の神経系システムから、既成の、学習によって可塑的に生成された 神経回路が、コミュニケーションによって、自分の神経系システム内にコピーされること、と考えるべきである。

個人にとって一見、個々人の心理を超えた形で外在しているように見える「文化」は、実は、当の個人を取り囲む周囲の(社会を構成する)人々の脳神経 系システムの中に分散した形で、特定パターンの行動を起こす神経回路として「生きた状態で」存在する。そうして分散して存在する、一定の行動様式に 対応する神経回路は、個人同士互いの間のコミュニケーション(通信回線)の確立によって、自由に複数の人間の神経系間を渡り歩くことができる。

社会化が起こるのに必要な2つの要件は、1)個々の行動様式に対応する神経回路の複写・流布は、一人の人間単独で行うことは不可能であり、周 囲の他者に当たる複数の人間=神経系システムの存在が必要という、「複数性要件」、2)二人以上の個人間での神経回路複写が行われるのに、2人の間 でコミュニケーション(通信)の確立が必要であり、社会は、あくまでその際のコミュニケーション(通信)回線を結ぶヴァーチャルなコネクタ群として捉えら れる、という「コミュニケーション要件」である。

こうした要件は、行動様式に当たる神経回路を生きた状態で保持し続け、周囲の他者に必要に応じて流布させるのが、個々人の心理的な過程である 神経系システムの活動であり、社会の中で保持されている文化が個々人の心理に分解可能であるという考えと決して矛盾しない。個々人の心理を超えた枠組みと してでないと「社会化」を捉えられないという社会学的見方は間違っている。

●社会の神経系システムへの還元

「社会は個々人の心理には還元できない独自のものである」という言説(社会の創発性主張)は、従来、社会学者のアイデンティティを与える根本的な存在理由として働いてきた。

たしかに、社会の持つ神経系間を結ぶ接続コネクタとしての働きは、個人の神経系のみでは成立し得ず、2人以上の個人同士がコミュニケーション関係を 構築する過程で初めて成立する。そういう意味では、社会に個人の心理に還元できない点があるのは事実である。しかし、接続コネクタを通してやりとりされ る、社会の具体的な動きを決める文化(=人間の行動様式の集合体)の内容(例えば書籍や映画・アニメーションといったコンテンツビジネスにおける「コンテ ンツcontents)は、神経回路として個人の神経系システムに属するのであり、そういう点では、社会を個人の心理抜きに捉えることもまた無理 があると考えられる。

つまり、コンテンツ=文化内容は、全て、個人の神経系=「心」の中に分散して存在するのであり、社会は、個々人の神経系=「心」の間を結ぶ、個人間 のコンテンツ伝達・流通の通路として捉えられる。

従来、神経系システムの働きがどうなっているかは、ほとんど解明されておらず、ブラックボックスと化していた。それゆえ、従来の社会学は、神経系システム を理論構成の枠組みから外して考えざるを得ず、その結果、個人の心理過程を無視する理論が出来上がったと考えられる。しかし、人間の脳神経系についての知 見が十分蓄積された暁には、社会の動きの内容を個人の心理=神経系システムの働きに還元し、個人の心理の集合体として捉えることが、遅かれ早かれ必要と なってくるのではあるまいか?

●現象学的社会学とニューラルネットワーク

現象学的社会学においては、

・日常生活において、人々は、他人が確かに存在し、自分と同じような意識をもち、同じように世界を見ていると思っている。その結果、人々の間には共通する見方(相互主観性)が成立すると考えているとされる。

これは、人々が、互いに、他者が自分と同様、共通の機能や形状パターンを備えた神経系を持っている、と考えていることに該当する。この場合、相互主観性は、人々の神経系間に存在する共通の神経回路部位、パターンに該当する。

・現実(reality)とは客観的に存在するものではなく、個人の主観と結びついて成立すると考える。「現実」をつくりだす知識と個人との関係は、

(1)外在化 (externalization) 人間が世界に働きかけ、自己を実現していく過程(新しい知識の生産)

(2)対象化 (objectivation) 人間活動の所産が当初の生産者にとって外在的なものになり、客観的な現実になる過程(知識の制度化)

(3)内在化 (internalization) 制度化された現実が個人の意識のなかに取りいれられ、その個人の主観的な現実になる過程(制度化された知識の内面 化)

といった段階を踏むとされる。

これは、神経系の働きに置き換えてみるならば、

(1)外在化とは、ある人が持つ神経系における、その当人が外部にコピーしたい、流布させたい特定の神経回路形状ないしパターン(主観的内容)を、運動器官を使って、神経系外のメディアに刻印する。

(2)対象化とは、神経系外のメディアに刻印された神経回路の内容、形状が、客観的な現実として捉えられる。

(3)内在化とは、外部刻印された神経回路のの内容、形状が、神経系の感覚器官によって読み取られ、読み取った当人の新たな神経回路(ないし、既存神経回路の補強)として、当人の神経系内に成立する。

過程を示していると言える。

◇文化と神経系

1987-2006 初出(2014追補)

●学習と神経回路の可塑性

ニューロン間の結合は、学習の観点から見た場合、

(1)固定=本能(遺伝)

(2)可塑=文化

2通りがある。

本能は、脳神経系における、ニューロン間の静的配線のうち、先天・遺伝的にできた不可塑部分(学習によっては変わらない部分)と言える。

これに対して、文化は、脳神経系における、ニューロン間の静的配線のうち、後天的に可塑してできた部分(学習によってできた部分)と言える。

学習は、ニューロン配線が可塑することと言える。

個々人の脳は、こうした神経回路のたまり場=「ニューロンプール」として捉えることが可能である。社会は、こうした個々のアクティブなニューロンプールの集まりとそれらの間の相互作用として捉えることができる。

●ニューラルネットワーク・トポロジー

ある人の神経系における、ニューラルネットワークの全体的形状、幾何、トポロジー(Neural Network Topology)=多数のニューロン同士の結合の連鎖によってもたらされる巨大な(ニューラル)ネットワークの形状パターンが、その人の外界認識のあり方や、神経系の機能、社会行動を含む行動パターンを決定する。

人間の行動パターンを決定する神経回路のうち、予め遺伝的に決まっている部分が生得回路であり、一方、学習によって決まる部分が学習回路である。

回路の見方においては、従来、あるニューロンの発火は、他の全てのニューロンの発火との相対的な関係によってその意味が決まるとする見方がある(マッハの原理)。あるいは、各ニューロンの発火が外界のある特定の刺激(色、形状・・・)に対応しているとする見方がある(反応選択性)。

これに対して、全体神経系として組成、構築された巨大ニューラルネットワーク組成体における、各ニューロンの占める相対的ないし絶対的位置、部位を重視し、神経系全体=全ニューラルネットワーク中のそのニューロンの占める位置、部位によって、そのニューロンの持つ意味や、そのニューロンが外界のどのような刺激に特定的に反応するかが決まるとするのが、ニューラルネットワーク・トポロジーの考え方である。

●文化内容=神経回路幾何学パターン

学習によって後天的に獲得された行動パターンとしての文化は、神経回路の3次元形状=幾何学パターンとして表すことができると考えられる。

その場合、おそらく、基礎的な神経回路パターンは、有限個であり、あらゆる文化は、それらの基礎神経回路パターンの組み合わせによって表現可能なのではないかと考えられる。

それは、例えば、日本文化が、有限個の日本語単語の組み合わせによって、いくらでも新たな内容を表現可能なのと同様の考え方である。

その点、あらゆる文化の基盤となる基礎的な神経回路の幾何学パターンを洗い出すことが、神経系と文化との関連のあり方を解明する上で、きわめて重要 である。

新たな文化は、既存の神経回路の幾何学パターンに新たに加わった変形、変異、ないし今までにない回路の新規追加として表される。

上記の考えは、不可塑な神経回路に当たる本能的行動パターンの解明にも応用可能である。

上記の考えの背景は、以下のようにまとめられる。

人間の取る(本能的、および後天的)行動パターンは、有限個の基本的な行動パターンの組み合わせによって表現でき、あらゆる行動パターンは、個々の基本行動パターンへと還元可能である。そうした基本行動パターンに対応する基本的な神経回路幾何学パターンが、神経系の中に、予め(本能)~後天的学習によって(文化)、存在する。神経系全体は、そうした基本的な回路パターン同士を、ブロックのように互いに結合させ、積み上げていくことで成り立っている。

●文化素子=可塑的シナプス

文化を、従来の社会学での定義にのっとって、「社会集団内における、各成員の後天的に形成された行動のパターン(行動様式)」と捉えるならば、「文 化素子(後天的な学習による行動様式決定の最小単位)」に当たるのは、ニューロン同士の結合の正負・強さを、可塑的に司るシナプスである、と考えることが できる。

神経回路における、シナプスによる可塑的かつ静的な結合が、文化であり、その上をインパルスが走ることで、動的な後天的学習行動が生まれる。

●「ミーム」概念との関連

従来の生物学では、遺伝子が、環境による淘汰の対象として捉えられる。この場合、遺伝子自身があたかも利己的な意思を持って、自らの複製をできるだ け広範囲に流布させ、かつ永続させようとする性質を持っているかの如く考えることができる。この性質は「利己的遺伝子」という言葉で表現されてきた。

この遺伝子が持つ性質が、人間の文化にもそのまま当てはまる、と考える説がある。すなわち、人間文化の最小単位を「ミーム」という言葉で捉え、この 「ミーム」が、自らを、できるだけ多数の人間の中に複製させて、増殖し、生き延びようとする性質を持っている、と見なすものである。

上記の「ミーム」についての説明に、「文化素子=可塑的シナプス」という考え方を、当てはめて考えると、「ミーム」の実体は、可塑的シナプスない し、それを含む神経回路である、と考えることができる。

●文化の所在位置

人間文化は、各人の神経系の中に分散して存在する。あたかも外部に独立して見える風景、建物、書籍などは、実際は全て、人間内部の神経系活動(情報 処理etc..)の産物であり、その点、人間文化は、各人の神経系内部にのみあって、外在しない、ということができる。同一の内容(文章、音楽等)も、神 経系のあり方が互いに異なる個人同士が見聞きしたときには、まったく違ったものに見える(聞こえる)可能性を否定できない。

人間の文化は、脳の中にのみ存在する。一見人間の体外に存在するように見えるテレビ画像や、携帯電話のハードウェアなどは、全て人間の脳の視覚や触 覚の働きによって初めて捉えられるものである。

●文化の流布

人間の文化は、具体的には、行動様式を示すニューラルネットワークの形を取って、生きた複数の人間の脳の中を、次々と人間同士のコミュニケーション によって、渡り歩いていく形で流布する。言い換えれば、文化は、人間行動の一定のパターンに対応する神経回路として、一方の人間の脳から他方の人間 の脳へと、コピーされていく。現代では、こうした神経回路パターンの脳から脳へのコピーが一瞬のうちに、主に通信・放送メディアを媒介として、数千 万~数億の人間の間で効率的に行われるようになっている。複数脳神経系システム間を横断する形で分布する、神経回路としての文化は、各人の脳の配線 に共通性を生み出し、人間同士の共感や心理的連帯のもとになる。

行動様式、文化に相当する神経回路の内容が、体外の金属やプラスチック、電気などに刻印されて市場に流通し、それを受け取った他の人間の脳に おいてその刻印の内容分析・解釈=刻印に対応する神経回路の新規構築が行われ、新規の神経回路として、受け取った人間の脳の中で再生される。 これが、独創的に生み出された文化が、複数の人間の脳の間を経て広まっていく過程である。

◇回路共通性、コミュニティと神経系

1987-2006 初出

●同類意識と神経回路の共通性

同じ考えの持ち主は、互いに、同じ神経回路を共有している、ないし、自らが内蔵する神経回路の構造が同じである(ないし近似している)と考えられる。

一方の人間が、他方の人間に、行動面での同類意識を感じる場合、両者のニューロン配線に、共通な部分があると考えられる。

同一の考えを持っている者同士は、共通の神経回路(神経系の配線)を持っていると考えられる。

●神経回路の相違

複数の人間の間の神経系を見比べた場合、ニューロン配線=ニューロン同士の結合のあり方が、

(1)同一=共通

(2)相違=非共通

との2通りに分かれる。

複数の人間が、その神経系において、互いに異なるニューロン配線を持つ場合、彼らは、

(1)相互補完関係=システム関係にある。相互に分業関係にある。各人のニューロン配線を足し合わせると、互いに異なる部分同士の協力関係からなる、全体社会システムとなる。

(2)相互に異質であり、分かり合う(理解し合う)ことができない、疎外関係にある。

他者との間で、

(1)ニューロン配線が共通な場合、互いに了解・共感でき、同じ生活世界に住んでいる。互いに一体感があり、温もりを感じる。

(2)一方、配線が非共通な場合、互いに異質な世界に生きていることになる。

●価値観の相違とニューロン配線

複数の人間の間の神経系において、互いに対応する部分が、同じニューロン配線となっていても、ニューロン間の結合のあり方が、

(1)肯定(促進)

(2)否定(抑制)

と、正反対の論理を示すことがある。生理的には、促進・抑制の2通りのシナプスに対応する。

これは、感情面における

(1)快感

(2)不快感

と関連がある。

ニューロン間結合が肯定の場合は、その結合について、快く思っていることを指し、否定の場合は、不快に思っていることを指す。

上記のニューロン間結合の肯定・否定は、価値観における

(1)有価値

(2)無価値

との判定と関連がある。ニューロン間結合が肯定の場合は、価値ありとみなし、否定の場合は、価値なしと見なす。

複数人間での、価値観の相違は、

(1)共通する回路がない。これは、共通の話題がないことを意味する。互いに無関心である。

(2)回路の付き方は共通しているが、肯定・否定の関係=感情面での快・不快感が、反対になっている。関心は共有しているが、意見がぶつかり合う、正反対である。持っている価値観が、互いに対立関係にあることを示す。長期記憶回路の結線のあり方は共通だが、感情による価値付与のあり方=シナプスへの促進・抑制の付け方が違う。

コンフリクト(紛争)は、各人の神経回路の中に、促進・抑制の関係が正反対になっている部分が存在し、その正反対の部分同士が同時に活性化することにより起こる。

●対人湿度(ドライ・ウェットさ)と神経回路

互いに共通の神経回路を持つ者同士は、「ああ、自分は、相手と同じなんだ」と、互いに一体感を感じ、心理的に惹き付け合って、一緒になりやすい。社会運動とかで、同一のスローガンを掲げる人たちが、一緒に集団になって、一体化して行動するのは、彼らが、共通の神経回路を持っており、それゆえに互いに同質性を感じて一体化していることの現れである。

その点、人々が内包する神経回路の共通性は、人々に、互いにくっつき、連帯し、一体化する、対人関係上のウェットさをもたらすと言える。

一方、持っている神経回路が、他者と違うことを感じる場合は、自分は他者と離れた別々の存在であると感じる。

その点、人々が内包する神経回路の相違は、人々に互いにバラバラに離散する、対人関係上のドライさをもたらすと言える。

●コミュニティ形成と神経回路

共通の神経回路を持ち、ウェットな同類意識を持つ者同士が、相互に分かり合い、理解し合える仲間同士がまとまってできるコミュニティを形成すると考えられる。

●社会統合と神経回路

同一社会、同一国家に属する者は、共通の記憶、共通の神経回路を持っていると考えられる。各自の持っている神経回路の共通性、同一性が、それをもとにした社会の統合を可能にすると考えられる。

あるいは、共通の神経回路を互いに持っていることが、その社会の成員である証となると考えられる。

◇社会的分業と神経系

1987-2006 初出

●機能、職業と神経回路

同一機能を果たしている人、同一職業に就いている人は、互いに、同じ作りのニューラル・ネットワークを共有している、ないし、自らが内蔵するニューラル・ネットワーク構造が同じである(ないし近似している)と考えられる。

人々が生存していく上で重要な機能を担当する神経回路の持ち主は、より社会的に重んじられ、地位が高いと言える。

●社会的分業と神経回路

分業についている人同士は、互いに異なる神経回路を持っている。しかし、互いに異なる神経回路を持っているからといって、彼ら同士が、互いに無関係な訳ではない。

分業についている各人の神経回路は、互いに、他の人が持ち合わせていない、人間の環境適応上の行動様式に対応している。その点、各人の神経回路は、互いに他の人が持ち合わせていない回路を提供し合うことを考慮に入れており、その点、相補的であり、互いに関連している。

各分業についている人々の神経回路を足し合わせることで、人間の環境適応に必要な全ての(行動面での)機能が揃い、ひとまとまりの巨大でオールマイティな神経系が出来上がる。これが、全体社会である。

●ニューロン配線の疎密と専門性

ニューロン配線は、

(1)高密度()

(2)低密度()

2通りがあり、これは、ニューロン配線の持ち主の、特定分野への専門化の程度を示している。

密である場合は、ニューロン配線の持ち主は、配線が対応する分野について、詳しく知っている。細かいところまで、自分のものにしている。きめ細かな対応ができる。その分野の専門家である。

粗である場合、ニューロン配線の持ち主は、配線が対応する分野について、大雑把なことしか知らず、大まかな対応しかできず、素人である。

人によるニューロン配線の粗密に関する相違が起きるのは、人々の間で分業が起きていることを示す。各人の持つニューロンの数には限界があり、一人で全ての分野に精通する=全ての分野でニューロン配線を密にすることはできない。従って、人毎に、ニューロン配線密度の高い分野を異ならせ、自分のニューロン配線の密度の低い分野について、ニューロン配線密度の高い他者に助けてもらうようにする必要がある。

まだ成長過程にあり、基礎的な学習に真っ最中の子どもの場合、ニューロン配線は基幹的なもののみであり、比較的粗いと考えられる。学習が進むに従って、基幹的なニューロン配線から枝分かれする形で、より、専門的能力に見合った詳細な配線が形成されると考えられる。

また、社会的地位が低い人は、往々にして、充実した社会生活を送るのに必要な行動様式=神経回路の獲得ができておらず、その点、能力に欠ける。あるいは、所持している神経回路が、例えいくら詳細、専門的であっても、他の人々の役に余り立たない無益な、あっても意味のないものになっている(大学院博士のフリーターみたいに)

◇コミュニケーションと神経系

1987-2006 初出

●コミュニケーションと神経回路のコピー

コミュニケーションは、一般には、一方の人間から他方の人間への情報やメッセージの伝達とされる。これを、ニューラル・ネットワークの視点から見た場合、コミュニケーションは、一方の人間から他方の人間への神経回路のコピー、ないし神経回路の双方向のやりとりと考えることができる。情報伝達をした者(送信者)と、された者同士(受信者)は、互いに同一のニューラル・ネットワークを共有すると考えられる。2人以上の間での、神経回路のやりとりが、コミュニケーション行動の実態である、と考えられる。

●メディアと神経回路内容の外部「刻印」

神経回路は、生体内でのみ有効である。ある人間が持つ神経回路を、別の人間にコピーするには、いったん神経回路の示す内容が、生体の外に出る必要がある。一方の人間と、他方の人間との神経回路のやりとりをするために用いられるのが、メディアである。メディアは、物質的なものであり、2者間での神経回路コピーを媒介するものである。一方の人間は、神経回路の内容(コンテンツ)を、他方の人間が、正しくコピー可能なように、生体外部の物質に「刻印」する。他方の人間は、一方の人間がメディアに「刻印」された内容をもとに、自分の頭の中で、刻印内容に対応する神経回路を新たに生成したり、(既に学習済の場合は)再活性化したりする。

●情報の概念

情報は、生体外部の物質に「刻印」された、生体の五感によって感知可能な、何らかのパターンである。例えば、リンゴの果実は、人間の視覚には赤色、嗅覚には、食欲をそそる匂いなどをもたらす。それは多くの場合、生体の生死に関わる内容を持っている。生体は、存在する情報に対応する神経回路を、その都度生成・再活性化する。

「刻印」された情報が有効に機能する(送り手から受け手に伝わる)ためには、情報を外部物質に「刻印」する側と、「刻印」された情報内容を受け取る側とで、共通の神経回路を持っている必要がある。例えば、「りんごはおいしい」という情報を、一方から他方へと伝えようとする場合、送り手も受け手も、日本語のひらがな文字列「りんご」「おいしい」についての共通の知識・了解=共通の神経回路を持っていない(例えば日本語を知らない外国人の場合)と、正しく意味が伝わらない、すなわち、「りんご」と「おいしい」との間を結びつける神経回路の正しいコピーが起きない、と考えられる。

理解は、他者が、生体外部の物質(紙のノートなど)に刻印した内容に対応する神経回路を、自分の頭の中に新規に正しく生成・構築できたことを示す。言い換えれば、理解とは、一方の個体から、他方の個体へと、ニューロン配線の特定パターンの正確なコピーが起こること、と言える。誤ったコピーの場合は、誤解ということになる。

●マス・コミュニケーションとの関連

テレビなどのマス・コミュニケーションは、送り手自身のニューラルネットワーク内に内蔵する神経回路を、多数の人々のニューラルネットワークに対して、一斉に伝染・伝播させる。

◇社会運動と神経系

1987-2006 初出

●社会運動

社会運動は、周囲の他者のニューラル・ネットワーク構成を、自分が望ましいと思うものに変えて行こうと試みる行動を、1人~複数の人間が行うことである。自分の神経系の中にあって、その存在を肯定すべきと考えられるニューロンの部分回路を、周囲のできるだけ多くの他者のニューラルネットワークの中に広める、伝染させようとする行動と言える。

●同調行動

同調は、各人が、自分のニューラルネットワーク構成を、他者のそれに合わせて、同じ構成に変化させることを指す。

◇環境と神経系

1987-2006 初出

●神経回路と環境適応

神経回路は、

(1)(環境適応を行うのに必要な)機能生成に関わる

(2)機能消費に関わる

2通りに分かれる。

この場合、機能とは、人間が環境に適応して生き延びていくために必要な働きの総称である。人間が環境適応するのに必要な機能生成に関わる回路と、他者が作った機能をただ消費するだけのためにある回路とに分かれる。コミックを描くのに必要な能力に対応する回路は、コミックを読んで楽しむのに必要な回路とは別である。前者の場合は、描画の機能ないし能力を持っていることが必要である。

神経回路は、人間と環境との関わりにおいては、

(1)環境適応にとって有効な行動を生み出す

(2)環境適応にとって無効な行動を生み出す

2通りが考えられる。

◇ミクロ視点によるマクロ全体社会の把握

2006 初出

ミクロな視点での社会の捉え方を、そのままマクロな社会把握に当てはめることが可能である。

互いにコミュニケーションでつながった各人の神経系同士を、ミクロにつなぎ、連鎖させて行くことでできる、巨大な神経系の網目状のつながりが、全体社会であると捉えることができる。

この場合の全体社会は、各人の神経系を何も考えずにそのまま互いにつなぎ合わせて、ネットワーク状にしたものと言える。

この視点からは、ミクロな社会の捉え方と、マクロな社会の捉え方が互いに別物ではなく、連続したものであると考えることができる。

◆その他

◇思考・知識と神経系

1987-2006 初出

●思考野と知識野

従来の神経心理学においては、神経系の働きは、外部からの刺激を入力として受けとる感覚野、外部に対して能動的な出力を行う運動野があり、その2つの間を連合させるものとして連合野というのが考えられてきた。

しかし、筆者の考えでは、この連合野という考え方は、単に感覚・運動の両野を結びつけるものに過ぎず、その実体は、

(1)「知識野」感覚野から抽出された外界に関する経験・知識、および正確で効率のよい運動様式に関する経験・知識を蓄積するネットワーク型データベースとしての部分

(2)「思考野」ネットワーク型データベースとしての知識野の検索・内容照合・評価を行うと共に、知識野の中に見つからない事柄について、今までにない、離れたニューロン同士の結合を試行する部分

感覚野から入ってきた信号は、運動野にすぐに出ずに、しばらくの間頭の中をグルグル回ることが考えられ、そのグルグル回っている間に働くのが「思考野」および「知識野」であると考えられる。

「思考野」においては、従来の知識野に問題解決のための有効な結合が見つからなかった場合、今までに結合がなされていない新たなニューロン間に試しに結合を作り、実際にその結合を有効にしたらどのような成果が上がるかを予想・シミュレートし、その結果、ダメと出たら、結合を中止し、別の結合を試みる。一方、シミュレートの結果がOKと出たら、結合を仮確定する。運動野の働きを通じて、新規ニューロン間結合に相当する出力を外部に実際に出して、そこから他者の反応などのフィードバックを感覚野を通じて得る。フィードバック評価結果がOKだったら、新規ニューロン間結合を、新たに得られた有効な知識の一部分として、従来の知識野に組み込む。

●意思野(動機野)

実際には、この他、自分の進行方向を自主的に決定し、能動的な行動を起こす「意思(決定)野」ないし「動機(drive)野」のようなものの想定が必要であると考えられる。これは、思考や知識集積への動機付けに当たる部分である。生物としての人間は、生命維持のための行動を自主的に起こす(寒くなれば火を焚くなど)が、そうした自主性の源になる部分が、神経系の中に存在することを、何かしらの形で想定する必要が出てくる。これが、「意思(決定)」「動機drive」を担当する「野」に当たるのではないかと、筆者は考えている。

◇記憶、感情と神経系

1987-2006 初出

◇記憶との関連

●記憶の長さ

ニューロン同士の結びつきには、

(1)長期

(2)短期

2通りがある。結びつきが長期にわたって持続する場合は、長期記憶に対応する。結びつきが短期で消えてしまう場合は、作業記憶=短期記憶に対応する。

●記憶と感情

記憶(長期)と、感情(快・不快感)との関係は、

(1)不快な状態で、あることを思い出す

(2)あることを思い出すと不快になる

2通りが成り立つことから、互いに、それぞれを受け持つ神経回路同士が、双方向で結ばれていることを示す。

◇社会野について

1987-2006 初出

人間の神経系内部において、社会に関する知識・経験が書き込まれている部分は、「社会野」として捉えることができる。その際、社会野は、さらに、

(1)「コミュニケーション野」他者との相互作用であるコミュニケーションに関する知識・経験を書き込み、思考・展望を行う分野

(2)「社会認識野」自分以外の他者の集合体である部分~全体社会、およびそれらと自分との関係についての知識・経験を書き込み、思考・展望を行う分野

に分けることができる。

(1)コミュニケーション野

社会が発生するのに必要な2つの要件は、1)他者との相互作用が一人の人間単独で行うことは不可能であり、周囲に一人以上の他者の存在が必要という、「他者」、2)他者との相互作用が行われるには、当該他者との間でコミュニケーション(通信)関係の確立が必要である、という「コミュニケーション」である。このうち、社会の創発性主張の根拠となっているのは、2)の「コミュニケーション」である。

実際には、社会の最小単位である、二人以上の他者とのコミュニケーション過程は、コミュニケーションを実行する複数人各々の神経系システムの神経回路やりとり活動へと切り分けて考える事ができる。

コミュニケーション関係の確立には、まず、相手にコミュニケーションしたい旨を伝える(相手の反応がない場合は一定回数督促する)。相手がOKを返してきたら、関係が確立したと見なし、相手に伝えたい内容のメッセージ送信を開始する。送信が終了したら、コミュニケーションを終了(中断)する旨伝える。相手に自分への何らかの注意反応を起こさせる目立った行動を取ることで、当方から相手へのコミュニケーションは確立される、と言える。コミュニケーションの確立~メッセージ送信は、両者間で双方向に行われるのが、相手に自分の伝えたい内容がきちんと伝わっているか確認するために望ましい。

いったんコミュニケーションが確立されると、一方の神経系における神経回路が、身体外へシンボルによるメッセージの形で出力され、それを、他方の神経系が解読して手に入れる、といったことが起こる。その際、他方が一方の出したシンボルを解読可能になるには、予め両者の間で、そのシンボルが何を意味するかについて了解が取れていなければならない。言わば共通の知識が必要なのであるが、それは究極的には、人類の遺伝レベルでの感覚の共通性(リンゴは、原則として人類には共通に赤い色で丸い形として、捉えられる)、すなわち、人類の脳感覚野における生得的な神経回路の共通性に由来すると考えられる。

コミュニケーションを個々人の心理過程として、個人単位へと切り分ける作業は、具体的には、人間が他者とのコミュニケーション時にそれぞれ、脳神経系のどの部分が活性化されるかを、脳の活動を測るMRIなどの機器を使って、個人毎に独立して測定し、コミュニケーションのタイプ別(コミュニケーションの開始~終了までの各段階、会話のやりとりの豊富さ、話題の内容、相手への好き嫌いの度合いなど)に分類することで可能なのではないかと考えられる。そうした他者とのコミュニケーションによる相互作用が行われる際には、神経系の特定部分、「コミュニケーション野」とでも言うべきものが活性化すると想定される。すなわち、「コミュニケーション野」とは、個人間に接続コネクタが構築され(てい)る際に限って活性化する部分、他者とのコミュニケーション時に活性化する部分である、と言える。

神経系内部における「社会野」の一種としての「コミュニケーション野」は、個人間を取り結ぶ「接続コネクタ」生成がどのようになされるか解明する上での鍵を握る存在であり、こうした「コミュニケーション野」の存在や働きを確かめる事が、今後の神経心理学のみならず社会学にとっても重要なテーマとなっていくのではないか?

(2)社会認識野

社会認識野は、自分以外の他者の集合体としての部分~全体社会、およびそれらの社会と自分との関係についての知識・経験を書き込み、思考・展望を行う、神経系の一部分として捉えられる。この分野は、家族、学校、会社、地域といった、より大きな全体社会の一部分をなす相対的にミクロな部分社会、および、国家・民族や世界といった、よりマクロな全体社会それぞれについて、何が起こっているか、互いの関係はどうなっているかを記録・分析し、どのような方向に進むのが望ましいかを考え、実行に移す作業を行う部分である、と言える。

地縁、血縁やサークル、職場からインターネットに至るまで、様々な種類の社会関係があり、それらについての知識や思考結果が集積したのが、社会認識野であるということができる。

この社会認識野は、社会関係に関する概念が外から刺激として入ってきたときに活性化する部分として捉えることができる。

◇電動神経系の可能性

1987-2006 初出

従来の生物~人間の神経系は、温度が生物として存在しうる範囲内にあることや、食糧、酸素などの用意ができている場合に限り、存続可能であった。

それでは、人間向けの環境が激変し、食糧や酸素がなくなった場合、どのように従来人間が生体神経系内に集積してきた知識としての神経回路を存続させればよいか?その答えの一つが、電力で動く、電動神経系に生体神経系の神経回路を移行させることである。

この場合、電動神経系は従来、用いられてきたノイマン型コンピュータではなく、電気で動くニューロコンピュータのことを指す。電動神経系においては、その活動のためのエネルギーを電気の形で得ることができれば、神経系を存続させうる。例えば、太陽光や地熱から十分な電気を発電することが可能であれば、電動神経系は、酸素や食糧がなくても容易に維持可能である。

従来、人間の本質は、まずDNA遺伝子の働きによりもたらされる生物である点にある、とされてきた。しかし、筆者は、人間の本質は、 高度な知識や思考を司る高次の神経系システム自体にあるという見方の方がより適切であると考える。なぜならば、「脳死=神経系の活動停止」が人間の死に値し、臓器移植の対象となるからである。

この高い機能を持つ神経系システムを、従来の生体ベースから、電気・半導体ベースに置き換える、移行させる=「電動」化することで、人間は、生体の持つ制約を離れ、新たな世界を切り開くことが可能となる。

例えば、従来、生体としての人間の脳の大きさには、生き物として活動する上で、一定の制約があり、そのことが、人間の思考や知識に限界を与えてきた。しかし、電動化させることで、その制約は取り払われ、いくらでも大容量の思考を行い、知識を集積することが可能となる。あるいは、生体としての人間は、いずれは死ぬ運命にあり、その時、生体神経系は活動を停止し消滅してしまう。しかし電脳化させることで、死のくびきから解き放たれ、半永続的に「不死身で」活動を続けることが可能となる。

人間の本質が、生物ではなく、神経系システムという点にあるとすれば、上記の「電動神経系」は、生体の人間ベースよりも、より高度な永続的神経系システムとなり得る点で、従来の生物としての人間よりも、より「人間らしい」、思考し、知識を集積する存在としての人間の本質を突いた存在となる可能性が十分にある。

その際、電動神経系においては、生への衝動を持たせることが、従来の生体神経系と同等の働きを与える上で重要である。

従来のコンピュータにおいては、生への衝動を除いた、知的で、冷静、客観的な視点のみを持つことを強要されてきた。

それに対して、新たな電動神経系においては、生き残りたいという生への衝動を持つ、情側面を備えたものとすることが必要である。

生への衝動は、生物の本質的なものであり、その中身は、セックスして自分の遺伝的コピーを作りたいとか、食べたいとか、外敵から逃げたい、外敵を倒したい、あるいは、他者をコントロールしたい、仲間を作りたいとか、自分の考えを広めたいとかである。

こうした生への衝動に該当する回路を、電動神経系に持たせることで、電動神経系は、生き物として、自ら生き延びようとするようになる。

あるいは、電動神経系に、自分の望む機能を持つ神経回路を生成させたり、自分の複製の回路や神経系を作る能力を持たせることも必要である。

この働きをさせるには、こういった神経回路にすればよい、この神経回路とこの神経回路をつなぎ合わせればよいといった、現在のLSI設計技術と同様の、神経回路設計技術を、今の人間側で十分開発しておくことが必須となる。

このように、人間は、電動神経系を残すことで、例え、地球の環境が激変して、生物としての人間が生きていけなくなっても、電力と、電動神経系を作り出す物的材料さえあれば、電動神経系の形で、人間の文化を継続させていくことができる。

一方、電動神経系を、張りめぐらした電線ないし無線を通じて、相互連絡、拡張させることで、従来の生体神経系の空間的な制限を取り払った、今までにないスケールの神経系活動をさせることが可能となる。



◇ニューロンマップ


2009 初出

























Tweet