思考の小箱


-研究・評論集

大塚いわお



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目次
社会編-思考の小箱-
コンテンツ・メディア編-思考の小箱-
教育編-思考の小箱-
心理編-思考の小箱-
コンピュータ・情報機器編-思考の小箱-
思考の小箱 筆者プロフィール

社会編-思考の小箱-

同質(一体化)社会と異質(バラバラ)社会

2004.8 初出

(これは、世界の社会が、大きく分けて、日本のように、互いの一体感を重んじる同質(一体化)社会と、アメリカの互いが相違した別々の考えを勝手に自己主張するのを好む異質(バラバラ)社会に、区分されると考察したものです。)

人間は、考え、行動が、相手と同じだと、互いに一体感が生まれ、違うと、互いに違和感や対立が生まれる。

アメリカのような父性的でドライな社会は、個人がバラバラ、別々な、互いに色の違う考え、異色な個性を持ったまま、何も考えずそのまま寄せ集め、その中で、各自が勝手に互いに不調和な自己主張を声高に行う社会である。

これは、「異質社会、バラバラ社会(society of difference)」と名付けることができる。

一方、日本や東アジアのような、母性的でウェットな社会は、各人のバラバラな部分を極力抑え、各自の考えを共通に合わせて同調させることで、一つに融合させて、互いに同じになることを重んじる、あるいは、全体としての一体感や調和を重んじる社会である。つまり、互いが、同じ色に染まって同調することを重んじる社会である。

これは、「同質社会(society of sameness)、一体化社会(society of oneness)」と名付けることができる。

(c)2004.8 初出

利己主義と社会サービスの向上について

2003.3 初出

(従来、利己主義は、自分のことばかり考えているとして、公共心の涵養とは対局にあるものとして捉えられてきました。筆者は、そうした考えを否定し、利己主義こそが、一般社会におけるサービスレベル向上の原動力である、と主張しています。)

1.はじめに

従来、利己主義(自分のことばかり考える傾向)は、公共心の涵養とは対局にある、望ましくない概念として考えられることが(特に日本では)多かった。

しかし、少し深く考えてみると、実は、利己主義は、社会全体のサービス向上や公共福祉に大きく寄与する、プラスの価値を持つものであることが分かる。

その理屈を以下に示そう。

2.生物としての人間と「利己心」

人間は、生物の一種であるから、基本的に、自分が生物として生き延びていくために利益になることのみに関心を抱く。

こういうことを言うと、そんなことはない、例えば、世の中の宗教人は自己の利益を捨てて「神」のために祈っている、他人のために尽くしている、とか言い出す人がすぐ出てくるだろう。しかし、ちょっと考えてみれば、実はそうした「高潔無比な」宗教人も、死後、天国~極楽浄土というより快適で生き延びやすい環境下で永遠の生命を得ようとする、極めて「利己的」な目的のために、仮の現世を「捨てている」に過ぎないことが判明する。

人間が「利己的」なのは、生物として当然の性質であって、別に、「利己的」ということで、誰にも責められるいわれはない。自分が利己的なことを、生物である証として、別段恥ずかしがることもなく、自信を持って胸を張って生きればよいのである。

3.遺伝的・文化的「製品」と「生存品質」

人間は、生物として、自分の遺伝的、文化的な複製(以後、まとめて「製品(products)」と呼ぶことにする)が、

(1)数の多さ より数多く作られる。ないし、より多くの人々の間に広まること

(2)期間の長さ 子孫として、複数世代にわたって、より長く生き続けること

を望み、その実現に向けて、最大限の「利己的な」努力を払う。

ちなみに、自分の遺伝的複製とは、セックスをしてできる子孫のことであり、文化的複製とは、自分が他人からの学習、ないし自分自身の独創により生み出し、他者に使ってもらう製造物、作物、サービスのことである。各個人の文化的な子孫としての「製品」は、例えば、家電製品のように形がある場合もあれば、菓子職人の作る菓子の「レシピ」とか、コールセンターの「サービスノウハウ」のように、無形の場合もある。

後世への生き残りの対象となるのは、遺伝的な息子、娘だけでなく、自分自身の生きた証となる文化的な作品(文学作品から工業製品に至るまで、人間の神経系が生み出すもの)全てである。それら(彼ら)全てを「製品」とこの場では称している。

上記目標を達成するためには、各自が生成する「製品」の品質がよくないといけない。製品の品質の高さとは、それが、個々人の生存にどれだけ役立つかにかかる。それは「生存品質」という言葉で表すことができる。

個々人への生存に対する役立ちやすさ、すなわち「生存品質」とは、例えば、使いやすさ、長持ちしやすさ、栄養価の高さなどである。

こうした「生存品質」面でにおいて、能力、性能的に劣った自己複製の「製品」を作ると、自分の生きた証として後世に残らず、途絶えてしまう。それは、生存に役立たない「製品」は、例えば「製品」が生活用品の場合は、誰も使ってくれない(ひどい場合は、ごみ箱直行とか)ため、すぐに忘れ去られてしまうし、あるいは「製品」が生ける人間の場合では、誰も彼に対して生存に必要な対価を支払おうとしないため、生き延びることができないからである。

そこで、各個人は、生成する「製品」の品質向上にやっきとなる。

例えば、自分の遺伝的な「製品」としての子供に対して、より高度な教育を受けさせ、生き延びるための手段を得やすくさせる。

あるいは、自分の頭の中のアイデア、ないし、手先の動きの技能の限りを振り絞って、より高品質な文化的「製品」(精密なカメラ、使いやすい歯ブラシ、おいしいと評判の食事)を作り出し、他の既に出回っている製品群を押し退けて、世の中により沢山、より長期間流通するようにさせる。

その結果、個人間で、「製品」品質面での絶え間ない競争が生まれ、品質の向上とコストダウンがどんどん進む。

その結果、公共に流通する「製品」が安価で高性能となり、公共の生活・福祉レベルが向上する。言い換えると、皆がより生き延びやすくなる。

個々人の「自分の製品を沢山、長く生き続けさせたい」という根っからの利己主義に基づく行動が、結果的に社会全体の生活レベル向上、ないし公共福祉の向上に役立っていることになる。

そうした点、各個人の利己主義は、社会の公共性にとって、決して回避すべきものではなく、むしろ歓迎すべき一面を持つのである。言うなれば、個々人の利己主義が社会~公共サービスのレベル向上の原動力となるのである。

4.「利己主義」と社会・組織の生成

こうした「利己主義」は、社会や組織の発達に欠かせないものであることも確かである。なぜならば、一人で全てのことを全部こなそうとするよりも、チームを組んで各自の得意分野を生かして分業する方が、より生存品質の高い「製品」が生み出せるからである。

各自は自分自身のより優れた複製を作りたいとの思いから、積極的にチーム、分業体制作りに励む。そうしたチームの組成が、小さな組織を生み出し、さらにそれらが多数の人々を巻き込む形で互いに組み合わさる形で、大きな社会~国家の構築へとつながっていくのである。

そうしてできた、小さな組織~大きな社会というチームは、メンバーにとっていつの間にか運命共同体communityとして作用し、心理的な一体感を醸成する元となる。メンバーが互いに助け合うことで、チームとして有効に働く状態を維持しようとするのがその一体感の発端である。

結局、元は、個々人の利己主義の産物であった組織~社会が、個々人の心理的なよりどころとして作用するようになる訳である。

(c)2003.3 初出

交通型人間と通信型人間

2003.3 初出

[概要]

社会の中の人間の分類は、大きくは、物理的移動を好む「交通型」と、物理的移動をせずに一通りの用事を通信で済ませようとする「通信型」とに分かれる。この両者の特徴を併せ持つものとして「移動通信型」人間がいる、と考える。

[本文]

社会の中の人間は、大きく、「交通型」と「通信型」の2タイプに分かれると、筆者は考えている。

ここで、「交通型」人間とは、自動車や電車、徒歩であちこち出歩くのが好きなタイプの人間のことである。観光地でのバカンス、登山、寺社巡礼など、物理空間の移動を好むタイプである。

一方、「通信型」人間とは、ネットバンキング、通信販売を活用したり、在宅勤務をしたりして、自宅から出ずに、通信を活用してほとんどの用事を済ませる、物理空間をほとんど移動しないのを好むタイプである。

従来、「通信型」人間は、あまり外に出歩かないことから、「引きこもり」として病的であるかのような扱いを受けることがあった。しかし、実際には、「通信型」人間も、心理的には、あちこち活発に移動している。

例えばネットサーフィンを楽しむ場合、物理的には自宅にずっといつづけたまま動かないのであるが、パソコンの画面は、ネットサーフィン中、世界のあちこちの場所のサーバーと直に接続することを繰り返しているのであり、そういう点では、ネットサーフィンを楽しむ「通信型」人間は、世界中を瞬時に旅行して回る旅人であるとも言えるのである。

以上述べた、「交通型」と「通信型」人間の特徴を併せ持つのが、「移動(モバイル)通信型」人間である。具体的には、交通機関や徒歩であちこち移動しながら、その都度、携帯電話で他者と会話したり、インターネット接続をしたりするのを好む人々である。

このように考えてみると、上記の説明から、

(1)「交通純粋型」 物理的移動のみを好み、通信を好まない。

(2)「通信純粋型」 物理的移動を好まず、通信で全て済ます。

(3)「移動通信型=交通・通信両用型」 物理的移動も、通信も両方好む。

というように、さらに分類できる。

電話やインターネットが普及していない昔は、「交通型」人間が多かったと言える。ただし、彼らも通信を全く使っていなかったかと言えばそうではなく、郵便で、遠隔地の相手と手紙のやりとりをすることもしばしばあったと考えられる。

携帯電話が普及した現在では、(3)の「移動通信型」人間が、全体に占める割合が一番大きいのかも知れない。はっきりしているのは、光ファイバー網に代表される高速通信回線が普及するに伴って、徐々に「通信型」の人間の総数が増えつつあることであろう。その分、「交通型」人間は、減少傾向にあるのかも知れない。この傾向は、勤務が都心オフィスへの出勤から、在宅勤務に移行することでさらに加速されるであろうと考えられる。

また、現状では、「交通only」「通信only」で生活することは不可能であり、何かしらの形で、両者を複合させる必要が出てくる。例えば、一通りの物事を通信で済ませようとする「通信純粋型」人間は、通信販売の商品などの荷物の物理的移動を行う宅配業者や郵便屋=「交通型」人間が存在しないとそもそも成立しない。

(c)2003.3 初出

○次世代通信社会について

(これは、高度な通信環境が整備された社会のあり方がどうなるか、都心(中心地)の遍在化などの現象について、考察したものです。かなり以前に書かれたものですが、現在盛んなユビキタス社会論を先取りした内容となっています。)

通信の空間連結機能と社会の変化

[目次]

1.はじめに(空間連結機能)

2.地縁(地域性・地方性)の減少

3.人口分布の均等化

4.任意の地点の等価化と「位置自由」

5.任意の地点の普遍化

6.都心(中心地)の遍在化

7.国家の遍在化

8.居住・勤務地の最適化

9.生活の不動化

10.おわりに(通信の限界と交通の必要性)

1.はじめに(空間連結機能)

従来の通信と社会との関わりに関する議論は、

(1)「情報化社会」論、すなわち、通信回線を用いて何を伝えるか、という通信回線上を流れる情報(伝達内容)の面に重きを置いたもの。それは、通信ネットワーク上を流れる情報量の拡大、多様化を指摘するものであり、そこでは、通信回線上を流れる「情報」そのものに視点が置かれている(〔吉井1996〕など)。

(2) 「放送・通信メディア」論、すなわち、通信回線の両端にあって、ユーザーとのインタフェースとなる放送・通信機器(電話機、テレビなど)の使われかたの面に重きを置いたもの(〔吉見他1992〕など)。

(3)「社会的コミュニケーション」論、すなわち、通信を用いて図られる人と人とのコミュニケーョンのあり方の面に重きを置いたもの(パソコン通信によって形成されるネットワーク・コミュニティについての研究など)(〔池田1997〕など)。

が主流であった。

本論は、以上の観点とは異なり、通信の本質が、互いに離れ離れの地理的空間同士の結合にあるという観点から、通信の高度化に伴う社会のあり方の変化をまとめたものである。

本論では、通信ネットワーク上を流れる情報の中身については特に扱わない。通信回線上をリアルタイムで流れる情報の行き来が、異なる空間同士を結びつけ、距離感をなくすという事実に視点を置く。互いに、通信回線を複合的に接続させることにより、複数の人々の間が同時に距離ゼロに等しい状態で結合される。これが通信の持つ機能の重要な側面である、と考える。

通信は、互いに離れた物理的・地理的空間同士を接続・結合する機能、言い換えれば「空間連結機能」とでも呼ぶべき機能を持っている。つまり、通信は、互いにどんな遠距離にいても、いったんつながると、その距離を全く感じさせない。すなわち、物理的には全く離れた2地点間を、あたかも相互にくっついた同一の地点にいるかのように、感じさせることができる。

異なる2地点同士の結合は、それぞれの地点が持つ固有の情報を充分な量だけ互いに相手の地点へと回線を通して送り届けることによって生じる。通信の持つ空間連結機能の充実と情報化の進展とは深く結びついている。ただし今までの通信に関する論議においては、回線の中を流れる情報の内容や量にばかりスポットが当たり、空間連結の機能については関心が持たれなかったきらいがある。

通信の「空間連結機能」は、例えば電話によって確かめることができる。つながると、どんな離れた場所の音声でも、あたかもすぐそば(自分の耳元)から発生しているかのように聞くことができる〔Gumpert 1987〕。あるいは、テレビ放送の中継において、中継先の場所(例えばアメリカ)と、中継を受ける場所(例えば日本)とが、視聴覚の範囲内で相互につながる(各々が互いに相手の場所に直に面接しているかの如き感覚を持つことにより、空間同士を接続し、各々の空間を互いに共有しあう)ことで確かめることができる。

インターネットやパソコン通信を用いた電子メールにおいても、一方で執筆された内容が、時間や距離を感じさせることなく瞬時に相手側に到達することから、あたかも隣にいる人から手渡しでメモをもらうのと同じ感覚でメールの内容を取得することができ、通信の持つ空間連結機能を裏付けていると言える。

本論では、個人個人が置かれた距離に関係なくリアルタイムで相互につながるのが通信の特性であり、人々の間相互の瞬時の接続の広がりが世界中へと拡大するのが次世代通信社会である、と捉える。

2.地縁(地域性・地方性)の減少

通信は、異なる地理的空間としての離れた地域同士を一つに結び付ける機能を持つ。

ネットワークに接続された端末のどこからも、端末がたとえ地理的にどんなに辺鄙なところにあるかには関係なく、あたかも「等しく距離ゼロ」であるかのように、他の端末と瞬時に接続される。通信の場合は、距離的にいくら離れていても接続感覚がほとんど同じであり(例えば電話でダイヤルしてから相手につながるまで待たされる時間の長さは市内通話と市外通話・国際通話とでほとんど変わらず、ほぼ瞬時である)、人間の心理にはほとんど距離が影響を与えない。距離的にいくら離れていても、相手がすぐそばにいるように感じる。

どの地点・地域にいようが、いったん通信によって結合されてしまえば、どこも同一の距離ゼロに近い感覚で結ばれるので関係ないことになる。その意味で、地域という概念自体が、意味を持たなくなる。言い換えれば、通信は、脱地域・脱地縁機能を持っている、と言える。通信は、地域への帰属意識を減少させる効果を持つといえる。

通信が高度に発達すると、どの地域に住んでいるか、ないし勤めているかは、あまり意味を持たなくなる。都市に住んでいようが、農村に住んでいようが、通信で結ばれてしまえば、地理的空間の相違を超えて、格差なく、相互の空間同士を接続・共有することになり、双方が対等の立場に立つことができる。したがって、従来の都市/農村、都心/郊外の差がなくなる。

言い換えれば、今までは、人々の結びつきが地理に囚われてきたのが、今後は、通信による地理を超えた結びつき(地理的空間の超越)へと変化が起きる、と言える。

従って、コミュニティ生成のあり方は、従来の交通(徒歩、鉄道、自動車など)に頼った空間制約型のコミュニティ生成(互いに関連しあった施設同士(駅、市役所、郵便局など)を距離的に近づける、一極集中型を取る)から、通信を考慮に入れた空間超越型のコミュニティ生成(互いに関連しあった施設同士を高速で太い通信回線で結べば、地理的制約は超越される、広域分散などいかなる自由な形をも取りうる)へと、移行していくと考えられる。

また、人間関係が従来の地域内完結型から、地域外開放型へと変化するのに伴い、狭隘な「おらが村」「おらが町」といった一定区域内に限定された地域意識が解消されて、よりグローバルな全国~全世界を目指した脱地域意識が台頭してくると考えられる。言い換えれば、思考が一定地域に限定された(「地元」意識が強く、排他的な「地元」への利益誘導に走る視野の狭い)現在の世代から、思考が地域性から解放された、広域通信を指向する(グローバルな世界の利益を考える視野の広い)次の世代へとバトンタッチが起きる、と考えられる。

補足)電話とコミュニティ作り

現在の電話による人と人とのつながりは、1対1が普通であり、(パソコン通信やインターネットのように)多対多には対応していない。電話は、複数の人々の間で同時に共同で何かをするには向いていない。従って、電話は、〔吉見1993〕の指摘にもかかわらず、地域を越えたコミュニティ作りにさほど貢献してこなかったと見るのが妥当ではないか?同じ通信回線を用いるのであれば、多対多のコミュニケーションが可能な、例えばインターネットのメーリングリストなどの方がずっと、コミュニティ作りに貢献しやすいはずである。

補足)通話料金体系について

パソコン通信、インターネットでは、いったん最寄りのアクセスポイントにつながれば、日本中~世界中の全地域へ同一料金でつながる。パソコン通信・インターネットユーザーは、通信の持つ地理的空間超越の恩恵を一番よく受けているといえる。

これに対して、既存の電話(携帯電話を除く)は距離にしばられている。すなわち通話距離が長くなるに従って料金が高くなる。その結果、近距離同士の接続が促進され、遠距離同士の接続は敬遠される。これでは通信がせっかく持っている地理的空間の超越機能が生かされない。これは地域性の残存につながっている。

3.人口分布の均等化

通信が高度に発達した地域における人々の居住は、互いに近距離に居住しなくても、視聴覚全ての面で、気軽に遠隔地の相手と出会えるため、距離の束縛から解き放たれて、従来のように、一箇所に密集した形から、アトランダムに分散可能となる。したがって、通信の発達は、過密地域における人口の分散化に役立つ。

あるいは、通信は、あらゆる空間的隔絶を一瞬のうちの相互接続により解消するので、地理的に遠く隔絶された過疎地域の活性化に役立つ(ただし、あまり外界と隔絶された地点は物流の困難さゆえ無理かも知れない)。今まで過疎地の産業といえば、農林業が主であった。しかし通信の発達により、農業以外にも、ホワイトカラー(従来のオフィスワーカー)、遠隔操作による製造やソフトウェア製造が可能となり、移住してくる人々が増えるはずである。この点で、通信の発達は、過疎地の振興(収入を得る場の生成、産業の偏り是正など)に役立つと言える。

結局、通信の発達は、地理的に人口分布が偏った状態から、まんべんなく均等に分布する状態へ移行するのを助けると言える。

4.任意の地点の等価化と「位置自由」

どの地点にいようが、いったん通信によって結合されてしまえば、どこも他の任意の地点と同一の距離ゼロに近い感覚で結ばれることになるということは、通信があらゆる地点の等価性(他者と相互作用を行うための条件面での同等性)をもたらすことを意味する。任意の地点の他の地点に対して持つ関係が同一化するということは、どの地点にいようと同じであり、自由であることを意味する。この意味で、通信は、人々の存在する地理的位置からの解放(自由)をもたらす。この現象は、M.Weberの「価値自由」の概念(社会科学が認識の客観性を保つためには、価値判断から自由でなければならない)にならって、「位置自由」(自分の今いる地理的位置付けから自由となる)とでも名付けることができるであろう。

「位置自由」の概念は、例えば、携帯電話をかける人が、自分の今いる地点や相手のいる地点の地名を特に知らなくても、他者と会話のやりとりをすることができるところに現れている。これに対して、郵便による手紙による会話のやりとりだと、常に自分と相手の住所(自分たちの今いる地点がどこであるかの情報)を意識して、はがきや封筒に記入しなければならないので、「位置自由」ではない。自分の今いる地点が特定されなかったら、郵便が届かないからである。

携帯電話の普及により、今自分がどの地点にいるかを特に意識することなく、あらゆる地点で同じ感覚で他の任意の地点と結合されることができる傾向(感覚面での「位置自由」)は、さらに強まったといえる。あるいは、通信にかかる費用面においても、パソコン通信やインターネットのように、最寄りの(市内の)アクセスポイントにつなぎさえすれば、後は全国~全世界に同一料金(市内通話料金+プロバイダ接続料金)で接続できることは、やはり地点を選ばずに、ないし今いる地点の拘束を離れて、自由に他の任意の地点と費用の面で同一条件で結合関係を持つことができること(費用面での「位置自由」)を意味する。

5.任意の地点の普遍化

通信の発達は、ある地点から発せられる情報に、全国~全世界の任意の地点から、同時にアクセス可能とする。例えば、インターネットの地域プロバイダーにその地域の利用者が登録したWWWホームページ情報は、全世界のあらゆるところから、瞬時にアクセス可能である。

以上のことを裏返して考えると、通信の高度化は、全国(全世界)のあらゆる地点固有の情報が、全国(全世界)に向けて一瞬のうちに広がる可能性を持つこと(任意の地点の普遍化)を促す。その点で、従来は、一地方・地域に限定されていた文化の全国レベルでの普遍化が簡単に起きるようになり、今まで各地方限定であった文化同士が出会って互いに競争・淘汰し合うようになると考えられる。

さらに、次の段階になると、文化を生み出す個人が、従来の地方・地域による受容という1次フィルタを通さずに、直接全国に向かって、自分の生み出した文化・技能..といったものを一発で広めるようになる。個人毎のインターネットのWWWホームページによる地方・国籍を問わない情報発信は、まさにその好例と考えられる。この意味では、情報の地方性というのは消滅の方向に向かうと考えられる。

6.都心(中心地)の遍在化

通信が発達した状態では、以下に述べるように「中心地(都心)の遍在化(どの地点もが瞬時に中心地(都心)となりうる状態)」とでも言うような現象が起こると考えられる。

高度な通信網がはりめぐらされた状態においては、まず、どこにいても今まで地理的に中央であった地点に即時に直接アクセス可能である。この場合、アクセスした時点で中央と直接接続されることにより、アクセス元の地点はアクセス先の中央と、中心性(都心性)という点で同格となり、その結果、アクセス元の地点全てが中心地化することになる。

このように中心地(都心)を地理的に一箇所に集中させたままでも、高速通信回線を用いて中心地までのアクセスにかかる時間をゼロに近づけることにより、どの地点からも等しい時間でアクセスできることになり、中心地(都心)の遍在化を実現できる。ホスト機能が一極集中したパソコン通信で地理的空間が超えられるのと同様である。ただし、中心地(都心)以外の全地域に高速回線を引きまわす必要がある点では、中心地(都心)を地理的に分散化させた場合と相違がなく、メリットはない。むしろセキュリティ面でデメリットが強い(地理的に一極集中した中心地(都心)がダメージを受けると、他全部が駄目になる)。

そこで、新たに考えられるのが、中心地(都心)を、地理的に分散化させつつ、その間を通信回線で相互に結ぶようにする結果を生み出すことである。すなわち、通信回線により距離感ゼロで結ばれた複数の地点同士が、そことつながった通信回線を媒介して、さらに距離感ゼロで、他の複数の地点と結ばれていく、そこに、距離的隔絶感のない無数の地点同士を対等化・平等視する感覚が生まれる。その結果、どこが中央でどこが地方か分からなくなり、どの地点もが同等に中心たりうる程度(中心地の遍在性)が高まる。任意の地点が、回線で結ばれた他の全ての地点と瞬時に接続される可能性を持つことにより、即時に中央(中心地、都心)となりうる。

これにより、中心地(都心)機能のセキュリティ上の問題は解決される。どの地点でも瞬時に中枢機能を代行できるため、震災や戦争などの影響で中央政府や企業本社の機能がまひすることを防ぐ。

いずれにせよ、通信を利用した中心地の遍在化は、中央と地方との地域(空間)的融合をもたらす。ないし中央対地方格差や対立をなくす。あるいは、地方と地方の間格差をなくす。どの地域もが地理的ハンディを感じずに対等の立場に立てる。

通信の高度化が進めば、従来地理的な中心地(都心)に置かれてきたさまざまな機関が地理的に街の中心にある必要はなくなる。通信の持つ空間超越機能のおかげであらゆる地点が(そこへの即時のアクセスの可能性を確保することにより)中央たりうるので、各機関を、立地条件を気にせず、好きな場所に構築することができる(実際には、物流の制約をある程度考慮する必要があるが)。現に、研究機関に関しては、必ずしも交通が便利とは言えないところに立地していても、高速通信回線で国内~世界中と結ぶことにより、地理的ハンディを感じさせない研究成果を出すことが出来ているように思われる。

今まで地縁における中心地(都心)に位置してきた公的・私的機関の勤務者が、遠く離れたバラバラなところに分散して、皆互いの間を高速通信回線で結んでコミュニケーションを取れば、機関の実体は、各勤務者のいる地点に分散する形で成立することで、機関自体が所有する建物などを持たなくなってもよくなる。そういう意味で、官公庁・企業体といった機関は、有形に存在する必要すらない。

結局、通信の発達は、あまねく異なる地点の中心性(都心である度合い)の等値化を促す。どの地点にいても、あたかも互いにすぐそば(という等距離)にいるかのように振る舞える通信の特性は、その高度化(マルチメディア化など)により、従来の中央対地方という地域対立・地域階層化の構図を解消する。

7.国家の遍在化

中心地の遍在化は、全国レベルで考えれば、首都機能(国家機能)の多核分散(遍在)化を意味する。国家の中心が、現在のように特定の首都にのみ集中して存在する状態から、国中どこからもあたかも等距離にある感覚で、国民の前に現れることになる。

通信の高度化が進めば、社会の中心に位置すべき行政機関(官庁)が、地理的にその国の中央部と考えられる場所に集中して建設されなくてもよくなる。異なる地域にバラバラに設置して、その間を高速回線で結べば、地理的空間を超えた統一体としての中央政府が出来上がる。首都機能を果たすのは一人一人の人間(建物ではない)のだから、その人間同士が回線でつながれていれば、人がどこにいようと首都としての機能は果たせる。

国家機能の通信を用いた分散は、地方と中央との対等化を促す。地方にいても今までの中央にいるのと同じ生活上のメリットを享受できる(その逆もあり)。地方と中央との境界があいまいになり、地方自治(とその裏返しの中央集権)の概念がなくなる。

地方と中央との区別がなくなる(「地方性」が消滅する、地方と中央とが同等の位置に立つ)ことは、従来一定地域に限定された政策を代表してきた地方自治体の存在意義が薄れることを意味する。それはどの地域からも等距離感覚で他の任意の地域へとアクセスできるようになることで、政策の地域限定ということの意義が薄れるからである。将来的には、現在の、思考が地域に限定された、「地元」利益誘導に熱心な世代から、地域の束縛から解放された広域ネットワーク世代へと移行が起こることにより、様々な異なる価値観によって立つ、構成員同士が各々同一の価値で結ばれた、地域や地方を超えた広域政策集団が自発的に発生・並立して、従来の議員出身地の各地方の利害に囚われた政党のあり方をくつがえすことになると考えられる。

国家の遍在化により、従来の首都機能の地理的な一極集中を前提とした遷都論は根本的に見直しを迫られることになろう。なぜならば、通信による地理的空間の超越により、広域分散型の首都機能が実現可能となるからである。首都機能の分散には交通よりも通信を使った方が効果的である。離れた距離でも一瞬にしてつながるからである。通信を活用することにより、より離れた地点へと機能を分散して置くことが可能となる。

8.居住・勤務地の最適化

通信が発達すると、個人の最適地居住ないし勤務がサポートされるようになる。

どの地点もが即時に中心地になりうるということは、通信インフラの立場から見た場合、どの地点へ住んでも、ほぼ同一の高度な通信環境(インターネットなど)が得られることを示す。どの地点へ住んでも、他の任意の地点に対して、あたかも等距離(距離ゼロ)にあるようにアクセスできるので、任意の地点を選んでそこに居住・勤務して構わないことになる。これは、言い換えるなら、通信が発達した状態では、人々は、自分にとって最適と考えられる地理的位置で生活し続けることができるようになることを示す。

人々は、現在のように、例えば通勤時間の関係で大都市近郊に住むといった必要がなくなる。転勤があっても、変更のあった勤務先に通信先を変更するだけであり、自らは居住・勤務地を変える必要がない。一度、気に入った地点に住居を構えたら、ずっとそこに住みつづけることができる。どこに住むかということについての基準が、従来のように例えば通勤に便利であるといった点からは大きく変わり、従来の大都市圏から離れた小さな町であっても居住者福祉がより充実していればそこへの居住を選択する人が大勢出てくるといった人口移動の事態が起きることが考えられる。

あるいは、モバイル技術の利用により、地理的に移動しながらでも、絶えず同一の高度な通信環境を維持することができるため、移動中も、定住しているのと遜色ない生活ができるようになると考えられる。寒ければ暖かいところ、暑ければ涼しいところなどへと、渡り鳥のように自由に季節移動して勤務することが可能となる。モバイル用オフィスの居住形態としては、キャンピングカーやモバイルホ(ス)テル(移動勤務者用の集合宿舎)などが考えられる。

9.生活の不動化

通信が発達すると、動態的社会(人が地理的空間上を動く社会)から、静態的社会(人が地理的空間内の一箇所にじっとして動かない社会)への移行が起きることが予想さる。

通信中心の社会が到来すると、人々は、通信端末の前に座ったまま、長時間動かなくなることが予想される(一日中、テレビの前に座っているのと同じ状態)。同一場所(例えばパソコンの置かれた机の前)に留まったままで、通信端末を操ってさまざまな地点へと瞬時に何の苦労もなく次々と接続し渡り歩くことができるからである(ネットサーフィンといわれる現象がこれである)。

身体がじっとしている状態が長く続く状態は、決して病理的現象ではない。従来でも、電車、自動車では、空間的には移動するが、中にいる人たちは座席にじっとして座っている(か立ったままで移動しない)。乗り物自体は移動しても、中にいる本人がじっとして動かない点では通信と同じと言える。ホワイトカラー(一般事務職)について言えば勤務中も机に座って動かないことが多い。したがって、人の身体が動かない状態は現状でも十分存在し、通信中心の社会が到来して人が動かなくなると言っても、生活パターンが全く変化する訳ではない(従って、通信中心の社会への移行はスムーズに進むはずである)が、生活上の「不動性」は、交通による移動を伴わない分、現在に比べてより徹底される。

10.おわりに(通信の限界と交通の必要性)

将来の通信の発展を見極めるには、従来の交通を用いて行われるコミュニケーションで、何が通信で代替可能で、何がそうでないかを見極める必要がある。

この問題を解決するには、従来行われてきた、通信による交通の代替について考察する(例えば、〔鈴木1992〕)のではなく、逆に、どういう場合に、人が通信を使わないで、交通を用いて(自らの物理的身体を空間移動させて)コミュニケーションしようとするか、のリストアップが必要となる。

その際、通信回線利用料金の高さなど経済的要因には目をつむるとする(通信が発展すればいずれクリアされる問題であるから)。

現時点で考えられる通信だけでは不十分な場合としては、

(1) 会合における電子部品のような物的資料の手渡しなど、人と人との出会いが物資の移動(物流)を同時に伴う場合、

(2) 宴会や食事のように、現代の通信がサポートする視聴覚以外の、触覚・嗅覚などの共有が必要な場合が考えられる。

以上の問題と関連することであるが、高度通信社会への対応は、ホワイトカラー(事務員)では進み、ブルーカラー(工員)では遅れることが考えられる。ホワイトカラーは、オフィスワーク中心であり、作成する資料はOA化により電子化して通信回線に乗せて自由に流通させることができるので、通信の恩恵を受けることができるのに対して、ブルーカラー(例えば自動車整備工)は、具体的なモノの取り扱いが中心であり、取り扱う物資や物資を取り扱うための機械を通信回線に乗せられないからである。ブルーカラーは、通信が高度化してもそのままでは従来通り現場(物資や機械がある地点)まで交通機関を使って自ら足を運ばなければならない。

ブルーカラーが通信の恩恵をこうむるには、自分から離れたところにある機械や物資を、オンラインでリモートコントロールすることができるようになる必要があり、そのためには、例えば通信衛星ロボットの遠隔操作のような仕組みが必要となる。なお、ブルーカラーでもソフトウェア製造者は例外的に、通信の恩恵を受けることができる。生産手段や製品をオンラインで獲得する(例えば遠隔地にあるワークステーションに電話回線を通じてリモートログインしてプログラムを作成する)・流通させる(例えばインターネットやパソコン通信でプログラムを配付する)ことができるからである。

〔参考文献〕

Gumpert 1987Gumpert,G "Talking Tombstones and Other Tales of the Media Age" NewYork, Oxford University Press 1987(石丸正訳 「メディアの時代」 新潮社 1990

〔池田1997〕池田謙一(編)「ネットワークコミュニティ」 東京大学出版会 1997

〔鈴木1992〕鈴木春男「交通と通信の代替性」(長山、矢守(編)「空間移動の心理学」 福村出版 1992

Toffler 1980Toffler,A. "The Third Wave" William Morrow & Company,Inc. 1980(徳岡孝夫監訳「第三の波」 中央公論社1982

〔吉井1996〕吉井博明「情報化と現代社会」 北樹出版 1996

〔吉見他1992〕吉見俊哉、若林幹夫、水越伸「メディアとしての電話」 弘文堂 1992

〔吉見1993〕吉見俊哉「回線の中のコミュニティ」(蓮見、奥田(編)「21世紀のネオ・コミュニティ」 東京大学出版会 1993

(追記2008.08

上記の文章を書いてから10年経過したが、日本社会の現実は、上記で書いた通りにはならず、今まで通りか、むしろ逆行するものとなっているように思われる。

その原因として考えられることを以下にまとめた。

企業等で働く社員が、物理的に一カ所に集合せずに、バラバラに好きな場所で自由に移動して仕事ができるようになる条件は、光インターネットの普及とかで、以前に比べて格段に条件は整ってきていると個人的には思う。

しかし、情報漏洩対策やセキュリティの問題で、企業が、社員がオフィス外で自由に働くのを好まないというのがある。例えば、新幹線でPC開いて作業していたら、隣の人に画面見られて、企業秘密が漏れるとかいうものである。

もう一つは、労働時間のカウントの問題だろうか。会社側が労働時間をカウントするためには、以前から行われている、社員が会社のオフィスに一定時刻までに出勤し、そこで働いて、退社打刻をするように仕向けるというのが一番勤務時間の管理がやりやすいというのがあるのだろう。企業が給与を労働時間ベースで支払う慣行が続く以上、この問題はなくならないと思われる。

後は、社員がちゃんと仕事をしているか見張るのが、社員をオフィスに一カ所に集めてリアルタイムで直接目で監視するのが一番手っとり早いと考えられているのもあるかも知れない。この辺、テレビ会議で相手を監視するのもあまり監視精度とか変わりないんではないかという気も個人的にするが、企業側が、社員に直接物理的に指導、制裁を加えられる可能性を取っておきたいのかなという気もする。

さらに、これは、日本とか東アジアの集団行動を好む社会に特有なのかも知れないが、社員の個人行動を嫌がり、なるべく団体で、みんな一緒にいるのを好むという風潮があるように思われる。オフィスに揃って同じ時刻に集合し、同じ場所で同じように働き、同じ時刻に揃って昼食をとり、揃って残業し、みたいなのをよしとして、各自が物理的にバラバラな場所で自由に作業をするのを、望ましくないという心情がある程度存在するのも、原因のような気がする。

もう一つ問題となるのが、会社に出勤しないで働く社員の自宅とかの居住兼作業スペースの創出、維持に関わる費用、通信費用を会社側がどうやって算出し負担するかという問題があると思われる。この算出基準が今のところ、どうもはっきりしていないというのがあるのではないだろうか?場合によっては、社員が自宅にオフィスの場所を確保するため、勤務する部屋を用意、造成するために自宅を増改築するということも考えられるし、その費用は誰がいくらまで負担するかとかいう問題がつきまとう。そのため、企業側が、居住・勤務地最適化の実現に二の足を踏んでいるということもあると思われる。

しかし、とりあえず、ワーカーが勤務する部屋を造成しないと、在宅勤務は進まない。

この問題を解決するために、組み立て、分解可能で、既存の家屋の中にカプセルとして組み込み可能な、ユニット風呂みたいな、ユニット勤務室、ユニットオフィスルームを用意する、レンタルするという方法がある。

あるいは、そうしたワークルーム、オフィスルームを、郊外の団地やマンション、一戸建て住宅に最初から、組み込んで造成するというのも考えられる。

もしくは、小さな個人用のワンルームで簡易住宅兼用のオフィスルームを、インターネット喫茶の個室みたいに、郊外の住宅近辺にたくさん造成し、誰でも手軽にその都度借りることができるようにする、という手も考えられる。

(C)1998.2 大塚 いわお

核オフィス化の進展について

通信が高度に発達した状態にあっては、どの空間からどの空間へもが、互いに等距離、より正確には距離感なしで到達可能である。一つ一つの空間を独立させつつ空間同士を通信回線で結合したとき、それらの空間が互いにどんなに離れていても、通信の空間連結作用により、あたかもひとまとまりとなった空間のように捉えられる。これをオフィスに応用すると、オフィスの各部署、各人の席がランダムに分散化されても、通信によってまとまりを維持できることになる。

オフィスの通信手段は、従来は電話がほとんどであった。電話が1対1のコミュニケーションしかサポートしなかったのに対して、近年はコンピュータによるデータ通信が多対多のコミュニケーションをサポートするようになったため、互いに離れていても組織としてのまとまりを格段に維持しやすくなった。これに伴い、サテライトオフィス、テレワークの導入という形のオフィスの分散化、および、SOHO(SmallOffice,Home Office)という言葉で表されるオフィスの小規模独立化が徐々に進展しつつある。

従来の分散オフィスの構成は、多人数の組織成員が一堂に会するヘッドオフィスがまずあり、それにぶら下がる(従属する)形で個人ないし小集団毎のサテライトオフィスがある、といった構成になっていた。 言わば、ヘッドオフィスの存在を前提としたサテライトオフィスだった訳である。この場合は、オフィスの中心機能の(地理的空間における)非遍在性が残存することになる。すなわち、オフィスの主要な構成員は、ヘッドオフィスのある同一地点まで皆揃って通勤しなければならず、ヘッドオフィスの空間的位置に集団で束縛されなければならなかった。

また、小規模独立型のSOHOは、少人数で独立した個人経営の会社などにのみ導入され、大規模な官庁・会社組織は、従来通りの、多人数が同一の広大な空間を共有し合う形の大規模非独立型のオフィスにとどまるのが通例であった。大規模非独立型オフィスでは、勤務者同士が同じ地理的位置を共有する必要があり、その点で地理的空間の制約を伴うものである。

今後の大規模な官庁・企業組織のオフィスは、「nuclear(核)オフィス」とでも呼べる最小単位のバラバラで各々が自足性を持ったオフィス一つ一つを高速通信ネットワークで群れをなす形で互いに結ぶことにより、地理的空間の制約を離れて、自由自在に組織を組み立てることが可能となると考えられる。一つ一つの小さなオフィスは例え互いにバラバラに離れていても、通信の「空間連結機能」により、互いに接続されてひとまとまりのネットワーク組織を生成すると考えられる。

すなわち、通信ネットワークの高度化に伴い、ヘッドオフィスがバラバラな一人用個室の群れに分解され、オフィスとして独立存在可能な最小単位としての「核オフィス」の集合体として現れる。このように、オフィスの機能を究極まで縮めて、本質的機能のみを取り出した、「核化した」状態は、オフィス・ミニマム(オフィスとして成立するに必要な最小限の機能を備えた状態)とでも呼べるであろう。

核オフィスにおいては、一人一人は個室にして空間的には外界と遮断されるが、通信回線により、他の任意の個室との連絡が可能であり、外界へのコミュニケーションの開放性は維持される。

ヘッドオフィスの核オフィスへの分解は、

(1)オフィスを個室化してオフィス機能を個別・独立化させる、

(2)オフィスの位置を空間的に分散・バラバラ化する、

といった手順で行われると考えられる。

ヘッドオフィスが消滅した状態では、バラバラな一人だけの個人空間からなる各々互いに独立した核オフィスを寄せ集めて、組織を組み立てていくことになる。組織は、核オフィスというバラバラな任意の地点にある細胞同士を通信回線で自由に結ぶことにより成立する。各個人に割り当てられるオフィスはそれぞれが自己完結している(1つだけで自立できる)状態となる。

核オフィスが持つ利点は、

(1)互いに離れた位置に存在する者同士を一つのまとまった組織コミュニケーションチャネル上で統括でき、地理的空間に依存しない形で組織を自由に作成・改変・維持できるようになり、組織の地理的遍在性を持たせることが可能となる。核オフィスは、そうした点で、上記で述べた中心地の遍在性、国家の遍在性を実現する上での重要なキーとなる。

(2) 核オフィスの間をネットワークで結ぶことにより、いかなる形の組織にも対応したオフィスシステムを構築することが可能となるため。組織を構成する一人一人が働くオフィスの地理的空間上の位置はそのまま変更しないで、組織の付け替えだけを行うことができるので、組織変更の自由が利く(統廃合が簡単にできる、組織改変に伴う引越し作業などが不要であり、組織再編のコストがかからない)。

といった点が考えられる。

核オフィスが出現・普及してくる背景としては、通信の発達以外には、

(1) 個人のプライバシー確保についての意識の高まりと、それがもたらす既存の住宅における各部屋の個室化(核化)の進展、さらにオフィスの各人のスペースのパーティション設定による独立度の高まり、がまず考えられる。あるいは、

(2) 各人が地理的制約を受けずに自分の好む立地条件の勤務地を選択しようとする傾向、その場合、どの地点に勤務したいかが個人毎に異なる(個人毎の個性が出てくる)ため結果的に各人の望む勤務地が各人毎にバラバラとなるであろうことが考えられる。

核オフィスの装備すべき(最小限の)機能は、

(1) 作業(社会的機能を生産・作成する場の確保、学習・思考・判断をする場の確保)

(2) 通信(他の核オフィスとの連絡手段の確保、コンピュータWANの設備など)

(3) 居住(住みごこちの良さの確保、エアコン・湯沸の設備など)

近辺と考えられる。

核オフィスに必要な機器は、従来のサテライトオフィスに必要な機器と基本的には同一であると考えられる。プリンタなど従来のオフィスでは複数人が共用していた機器も、一人一台持つ必要がある。核オフィスの普及には、オフィス機器の小型化・パーソナライズ化が進展する必要がある。

核オフィスの各勤務者に合わせた分散化の形態としては、以下の3つが考えられる。

(1)在宅勤務 現在勤務者が居住する住宅(社宅など)の各世帯にオフィス機能を付ける。部屋の1~数室をオフィスとして改造する。

(2)テレコミューティング 集合カプセル方式オフィスを採用する。オフィス個室の集合からなる建物を住宅の近辺にバラバラに建てる。建てるのは、勤務者が自宅から数分で通える地点とする。1つ1つのオフィス部屋が完全に個室として独立しており鍵がかかるようになっている。各部屋を企業・官庁と個別に契約する。

(3)モバイルオフィス 上記のオフィスは定住オフィスであり、場所が決まっていて動かせない。ワーカーはそこへ通わなければ(在宅の場合は居続けなければ)ならなかった。モバイルオフィスは、(a)オフィス機器を小型・携帯化することにより、(b)オフィスの居住空間を移動可能とすることにより、オフィスの場所を臨機応変に変えることができるようにしたものである。

モバイルオフィスにおいて、(a)については、オフィスを構築するのに必要な小道具(例えばカメラ・電話機能内蔵ノートパソコン)を常に持ち歩き、出先(外出先)でワンタッチで一人用の核オフィスを構築できるようにすることが考えられる。情報コンセントを町中いたるところ(喫茶店など)に設けたり、ないし携帯電話を利用することで任意の場所から他のオフィスへと連絡を取ることができる。(b)については、カー・オフィスのように、プリンタ・ファクシミリなどを車内に整備して、どこへ行っても核オフィスがついて回るようにすることができる。

一人一人が独立したモバイル核オフィスを持って、そのモバイル核オフィスの組み合わせで組織を作るのが、時間空間的に最も自由さを備えた組織であると言える。

核オフィスは、勤務者が用いるものであるが、学校の生徒・教官が同様の環境を建設・利用する場合には、「核学習室・研究室」となる。一人一人が独立した、かつ空間的にバラバラに離れることが可能な学習室・研究室を持つことにより、従来は生徒・教官が一つの共同の場所にわざわざ時間を決めて集合しなければならなかったのを、到達度別学習や互いに地理的に離れた場所にいる共同研究を進めるのに適した人々同士を結んで、極めて自由な形態で設置することができる。

核オフィスにおける課題としては、ユーザーのオフィス内でひとりぼっちになる寂しさを解消するとともに、ユーザーのオフィス内でのプライヴァシーを保持するという互いに相反する要求を満たす手立てを用意しておく必要がある。特に、今まで大部屋に大勢が同居する方式を取ってきた日本の会社組織になじませるための方策を考える必要がある。対策としては、遠視鏡で互いに他の複数のオフィスにいる同僚を同時に観察できるようにするなどが、考えられる。

(c)1998.2 初出

農村=営利共同体論

従来の社会学者は、営利を、商売で、金儲けすることと捉え、自給自足の農村では営利行為はなかったと捉えている。

テンニースのゲマインシャフトのアイデアとかその典型である。

しかし実際には、人間はどこに住んでいても、家計や会計を必ず黒字にしないと、あるいは何らかの利益を上げないと、やがては生きられなくなってしまう。

それは人間に限らず生物はみなそうである。

人間は、誰でも、生活のために、利益の確保が必要であり、本質的に営利の生き物であるといえる。

それは、当人が農村に住んでいても同じである。

個人ベースでも生活が黒字でないと他の成員に迷惑になるし、共同体ベースでも黒字でないと生活が苦しくなり、やがて集落は潰れてしまう。

例えば、食糧の確保とかである。

それゆえ農村は、自給自足でも営利共同体だと言える。

(c)2014.9 初出

コンテンツ・メディア編-思考の小箱-

ダウンロード、コピーコンテンツの無料視聴と著作権保護

-コンテンツへの広告自動挿入による著作権料回収-

2003.04-2006.02 初出

[要約]

本文は、ビデオ、音楽、電子書籍などといった、いわゆるコンテンツをファイル交換等の手段を用いてローカルにダウンロードして保存、コピーした場合の視聴の無料化と、コンテンツ著作者への著作権料支払いとの両立を図る方法の一つについて提案するものである。広告をコンテンツに自動挿入することで、ネットワーク上からコンテンツをローカルにダウンロード、コピーして視聴することを合法化し、著作権侵害を防止する手法について述べている。

1. コンテンツ配信の現状

現状では、コンテンツの視聴は、放送にせよ、ネット配信にせよ、著作権者側の都合ばかりが考えられている。

従来、コンテンツを、Winny(あるいは亜種のWinnyp)ShareWinMXといったファイル交換ソフトなどを使って無料でローカルにダウンロード、保存、コピーしたり、保存したデータを2次的にばらまくことは、著作権者の権利を侵害するものだとして、場合によっては法律違反として訴訟の対象とされてきた。そのため、視聴者側の「見たいものを無料で見たい」という素朴な欲求はかき消されがちであった。

また、例えば、ネットによるビデオ配信では、コンテンツが、視聴者側で簡単にローカルに保存することができないため、裏ツールの使い方を知らない普通の視聴者は、配信側で配信を打ち切られると、なすすべがない。視聴者に、見たいコンテンツを見たいときいつでも見られるという、「見る権利」を与えるべきである。

これは、ビデオ、DVDや電子書籍にも当てはまることであって、何らかの形でコンテンツが品切れになって入手不可能となると、視聴者に残された道は、中古品の入手やコピーに頼ることだけである。しかるに中古品のコンテンツ入手に当たっては、現状では、肝心の著作権者に対価が回らない。儲かるのは中古販売店のみであり、彼らは、他人の著作物の上にただ乗りをして生活する寄生虫のような存在である。一方、ファイル交換のような無料のコンテンツコピーも現状では、著作権者には対価が回らない。こうした著作者に対価の回らないコピーが大量に出回りやすく、正規の著作物を駆逐してしまう。

本来、著作権者にとっては、自分の作品がなるべく広範な視聴者に受け入れられること(、そして視聴者から対価をもらうことでそこそこの生活ができること)が望ましいはずである。

その際、著作権者にとっては、コンテンツが視聴者に見られる度に、その対価となる料金を、視聴者から回収したいと思うのはごく当然の心理である。しかし、現状では、コンテンツがいったん視聴者のもとにローカルに保存・複製されてしまうと、そこから視聴料金を新たに回収するのは不可能である。

そのため、DVDソフトとかでは、コピープロテクトを施して、視聴者がローカルにコンテンツを無料で保存・複製するのを防ごうとしているのであるが、それが逆に災いして、せっかく作られたコンテンツの内容が、コピーを通して大勢の視聴者に知られる機会を逃す結果を生み出している。また、著作権料をダイレクトに現金で回収しようとするため、DVDとか、コンテンツが高価で、とても普及するような、気軽に見られるような価格ではなくなってしまう。例えば、アニメなど、305000円みたいな高価で手に届きにくい値付けの商品が横行することになる。

要するに、現状のコンテンツ流通のしくみでは、視聴者側の、いつでも好きなときに無料で見られるという根本的な欲求、著作権者側の、見られる度に視聴料金を新たに何度でも回収できる、という同様の欲求を満たすことができない。

これらの問題は、全て、視聴者がいったんローカルに保存したコンテンツからは、現状では、著作権料が徴収できないという点に起因する。この点を解決することで、視聴者と著作権者の双方にとってうれしい、利益となるしくみを作る必要がある。

2.解決すべき問題

視聴者によるコンテンツの視聴は、基本的に無料で行えるべきである。それは、(1)「試し視聴」を気軽に行って、自分の気に入った作品に出会う可能性を高めるため、(2)経済的負担を最小限に抑えるために必要である。

また、コンテンツの配信(放送、ダウンロード)が配信側で勝手に打ち切られても、視聴者側で引き続き見られるように、コンテンツの保存は、ローカルでできるようにすべきである。また、コンテンツの流布を促進するため、コンテンツのコピーとその流通も自由にできるようにすべきである。

一方、視聴者が只見ばかりして、著作権者が損をしないようにするために、ローカルにダウンロードしたコンテンツ視聴時にも、その都度、著作権者に著作権料が行くようにすべきである。

3.解決策

上記の問題を解決するためには、ローカルにコンテンツを無料で保存、コピーすることを許可しつつ、 ローカルに保存、コピーしたコンテンツを無料で見る際に、ネットワークを通じて対応する広告が自動ダウンロードされて強制的に視聴者が見る必要を生じさせるのが手っとり早い。

すなわち、(1)コンテンツローカル保存、コピーと、(2)無料視聴、(3)著作権料支払いの3者を両立させるため、

(a)既存のファイル交換ソフト等により、コンテンツ(と場合によっては広告データ)のローカル保存、コピーと蓄積を実現する。

(b)ローカルコンテンツ視聴時に、広告を自動挿入し強制視聴させる専用コンテンツ再生、閲覧ソフト(専用プレーヤ) を作成する。その際、広告を呼び出すタイミングや本数などをコンテンツ毎に設定可能とする。

(c)コンテンツ再生時に、広告を呼び出すタイミングに来たら、広告サーバから広告ををストリーミングないしダウンロードして再生する(あるいは予めローカルにダウンロードしておいた広告データを再生する)

(d)コンテンツ再生、閲覧ソフト(専用プレーヤ)は、視聴者が広告を再生・視聴したら、その広告料を広告主の口座から引き落として、著作権料として、著作権所有者の口座に振り込む、広告料→著作権料変換を行う。その際、コンテンツ再生、閲覧ソフトが、最新の広告主、著作権者の口座情報をリアルタイムで照会するための、広告料、著作権料口座情報サーバを構築する。

この場合、再生・閲覧ソフトで、広告入りで再生・閲覧の対象となるローカルコンテンツとしては、動画ビデオ(アニメ、実写ドラマ、映画、アマチュアによるビデオカメラ撮影映像など)jpeg形式などの静止画(スキャナ画像や、デジタルカメラ画像など)、音楽や列車走行音等の録音(mp3形式などで作成した音声ファイル等)、電子書籍(複数の静止画で構成されるか、PDF形式などで1~複数のファイルにまとめて作成されたテキストやコミック等)などを想定している。

3.1 著作権料の広告による支払い

コンテンツ対価を、直接キャッシュ(カード支払いを含む)で支払うのではなく、広告視聴で支払うようにする。その方式は、以下の2通りのうちの1つとする。

(1)広告データはその都度、広告主が最新のものを、予め広告データサーバを立てて、そこから最新の広告データを、要求のある度にリアルタイムで流す。

(2)広告データファイルは、ファイル交換ソフト等を利用して、ネットに放流する。そうすることで、高負荷の広告データサーバとかを構築しなくても、最新の広告データファイルを、簡単かつ安価に視聴者の元に送り届けることも可能である。コンテンツ再生、閲覧ソフトの側で、広告の賞味期限を自動的にチェックし、条件に適合した広告のみを再生するようにする。この措置により、視聴者は鮮度の古い広告を見なくて済むようになる。

広告主としては、視聴者が例え数年前にダウンロードされたコンテンツを視聴する場合でも、最新の広告を視聴者に見せることができる。)

また、コンテンツ再生、閲覧ソフトでは、見たい広告の種類を視聴者に予め選択させ、その条件に合った広告を優先的に再生するようにする。

広告は、ジャンルとかは、基本的には、現状のテレビ向け広告と共通でよく、皆が必要とする生活必需品、食物、文具、洗濯用品等のものを主に流す。

コンテンツに関係ある内容の広告データを自動的に再生ないしダウンロードするようにすることも可能である。例えば、アニメ「ミルモでポン」の動画ファイルを再生したら、それと一緒に、登場人物の玩具の広告も再生する。

コンテンツ再生、閲覧ソフトでは、視聴者が広告を視聴したら、広告データの広告主の口座から広告料を引き落とし、コンテンツの著作権者の口座へと振り込む動作を自動的に行う。そうすることで、著作権者としても、例え古いコンテンツからでも、最新の広告視聴がもたらす、広告料が著作権料へと転化するしくみを用いることにより、視聴者に新たに視聴される度に、常にその都度新たな著作権料を得ることができる。

コンテンツ内に、広告を呼び出すタイミング情報を書き込み可能なソフト、すなわちコンテンツ作成ソフトを用意する。広告タイミングをコンテンツ内の任意の位置に入れることができ、呼び出す広告の本数の情報も同時にファイル先頭付近に書き込む。

なお、コンテンツファイルは、著作権者が誰かをきちんと同定しやすくするため、例えば、コンテンツの先頭付近の部分に、著作物の正式名称、話数(ないし巻数)、著作権者のデータを、捏造防止の透かし入りで埋め込むようにする。

一方、既にネット上にたくさん流通している、既存の、広告再生にそのままでは対応していないコンテンツファイルを再生する際にも広告を呼び出したり、著作権料を回収できたりするように、工夫を行う。ファイル名に書かれたコンテンツの名称と、メディアの種類(音声のみ、動画、画像、PDF・・・)から、著作物の正式名称が何か、および正式の著作権者が誰かを、著作物データベースが稼働するサーバに照会して割り出し、本来の著作権者に確実に著作権料を渡す。また、広告タイミングは、コンテンツ再生開始前にまとめて広告再生するか、あるいは、コンテンツ再生開始後何%以内に必ず広告再生をという枠を予め決めて、その枠内で、視聴者に自由に広告タイミングを選ばせるようにする。

コンテンツ再生、閲覧ソフトによる広告料金の扱いについては、

(1)広告データをコンテンツ再生時にリアルタイムで広告データサーバからストリーミングかダウンロードして再生する方式では、広告者情報サーバにアクセスして、視聴者の設定した条件に合う広告者、広告内容を検索し、広告者の口座情報から口座残金を割り出し、残金のうち今回著作物視聴に相当する広告料金の分を、広告者口座から引き落とす。そして、広告データサーバから広告をストリーミングかダウンロードして再生する。適切な広告の検索は、コンテンツ再生時の広告検索時間節約のため、コンテンツ再生事前に予め行っておくのでもよい。

(2)広告データを予めダウンロードしておく方式では、広告ファイルデータを読み込み、広告者、放映時間、賞味期限を調べ、広告者情報サーバにアクセスして、広告者の口座情報から口座残金を割り出し、残金のうち今回著作物視聴に相当する広告料金の分を、広告者口座から引き落とす。口座残金がなかった場合は、その広告の放映をスキップして、別の広告にあたる。

なお、上記(1)(2)において、広告料金の口座引き落としは、作業負荷を減らすため、月末等にまとめて行うのでもよい。

コンテンツ再生、閲覧ソフトによる著作物の照会では、コンテンツ品名、種類(ビデオ、書籍、ゲーム・・・)をまずファイル名等から特定し、それぞれに対応した著作権者とその著作権料納入口座を、著作物データベースから引っ張ってくる。著作物が再生されるタイミングで、納入口座に広告料の転化した著作権料を振り込む。実際の口座振込は、作業負荷を減らすため、月末等にまとめて行うのでもよい。

なお、正しい著作権者口座が見つからない場合は、一時的に著作権料を保管しておくプール口座を、著作物毎に用意する。

なお、コンテンツデータとかで、どこまでをサーバのデータベースで管理し、どこまでをファイルの中に書き込むかは、注意すべき課題である。ファイルに書き込んだ情報は、ひょっとすると悪意ある視聴者に解読されて、勝手に捏造される恐れがあるからである。視聴者に漏れてもいい情報だけを、ファイルに書き込むことが望ましい。

また、著作権料、広告料に関する口座は、正しいか、実際に稼働しているか、予め確かめてから、料金引き落とし、振込を行う。

コンテンツ再生、閲覧ソフト側では、ローカルにダウンロード、コピーしたコンテンツを再生、閲覧可能状態にする際に、(ビデオ、音楽なら)再生位置、(電子書籍なら)画面ページ位置を絶えずチェックして、そこに広告呼び出しタイミング情報が書き込まれていないか調べる。そして、もし書いてあった場合は、鮮度の新しい広告データを、そのタイミングで再生する。

広告は、その時点で広告主によって賞味期限内としているものが、視聴者の目に止まるようにする。

あるいは、視聴者が望むジャンルの広告が見つからない場合は、緊急措置として、近そうなジャンルの広告を任意に引っ張ってくることも考えられる。

広告の出し方は、視聴者が必ず見るように、既存のテレビやラジオ広告と同じく、本編開始前~本編が佳境に入った時点で出すのを基本とする。あるいは、画面の上か下ないし、L字型にスクロール表示で、本編再生中に同時並行で、広告データを絶えず流すようにする。電子書籍の場合は、画面一杯を使って表示するのでもよい。

広告データは、テレビ向けと同様の音声入り動画がまず想定されるが、再生時のデータサイズを少なく抑えるために、静止画であったり、無声のGIFアニメーションやFLASH動画でもよいし、あるいは、新幹線車内の電光掲示板同様、文字列データをスクロールして流すのでもよい(むろん、スクロールせずに、静止して表示するのでもよい)。文字列データの場合、音声合成で、文字列の内容をしゃべるのでもよい。

視聴者の方で、再生ソフトのオプションで、見たい広告のジャンルを細かく指定する。例えば、酒類とか育児用品とか指定する。すると、再生、閲覧ソフトの方で、ジャンルに合った広告を自動的に検索してきて、流してくれるようにする。

広告料が著作権料にスムーズに変換されるしくみは以下の通りである。1人の視聴者がローカルに保存したコンテンツAを再生している最中に、広告Bを見ると、(1)コンテンツAが見られた、(2)その広告Bが見られた、という2種類の情報を、コンテンツ再生、閲覧ソフトが把握する。コンテンツ再生、閲覧ソフト側では、広告主が設定した広告Bに対応する広告料を、その都度、広告主の口座から引き落とし、手数料を差し引いて、コンテンツAの作成元著作権者の口座に振り込む。差し引いた手数料は、自分のソフトを開発した会社の口座に振り込む。

広告を再生する前の段階で、広告主が、引き落としに足る十分な金額を口座に預金できているかを、事前にチェックし、十分な引き落とし金額が確保できない場合は、その広告の再生は中止する。

こうした口座照会、料金引き落とし~振込は、視聴者がコンテンツを再生する際に、バックグラウンドで行われる必要がある(実際の引き落とし~振込は月末とかにまとめて行うので構わない)。それは、クレジットカード会社との決済機能と同じような感じである。

3.2 コンテンツのローカルダウンロード認可

コンテンツがサーバ側で、ハードディスクエラー等の原因で消失してしまう可能性に対処するため、コンテンツをローカルにダウンロードできるようにする。

ローカルにダウンロード、コピーしたコンテンツの再生、閲覧時には、再生、閲覧ソフトが広告データを再生して、強制的に広告を視聴させる。そうすることで、著作権料を広告視聴で自動的に、著作権者に払うようにする。

ローカルにダウンロード、コピーしたコンテンツの中身を、悪意を持った視聴者が勝手に改変して、広告をスキップするようにできないようにする必要がある。対策としては、

(1)コンテンツのデータ内部に細工を施す。広告を出すタイミングや回数に関するデータを、コンテンツの中に暗号化ないし分散して埋め込んで、広告表示に関するデータをコンテンツ内から分離して取り出して消せなくする。

(2)広告を出すタイミングデータがないコンテンツでは、、事前にコンテンツ再生、閲覧ソフトの方で、広告再生タイミングを自動的に決定することで、広告を出すタイミングに関するデータを入れ忘れたコンテンツでも、広告配信を確実なものにすることができる。

3.3 無料視聴とオプションとしての有料視聴

ローカル保存、コピーしたコンテンツ視聴時に、最新広告を配信することで、誰でも無料で、従来の広告入り民間放送を見るのと同じ感覚で、コンテンツをいくらでも見られる、いくらでも好きなだけ無料でダウンロードし、ローカルに保存できる。

コンテンツにおける広告の挿入タイミングは、コンテンツ作成元で、ある程度自由に決められるようにする。例えば、広告視聴による著作権料が沢山欲しいコンテンツ作成元は、広告挿入タイミングを沢山コンテンツ内に入れるようにすればよい。

一方、広告を見るのがイヤな視聴者が、再生ソフト上から、著作権料を直接、自動的に著作権者に振り込むことも可能とするべきである。広告中止とそれに伴う視聴者による著作権料振込は、(1)コンテンツの永久買い取り(そのコンテンツを見る際に、永久に広告が出ない)(2)コンテンツの一時的なリース(リース期間中だけ、広告が出ない)、の2つの種類別に行う。

しくみとしては、例えば、ローカルな再生ソフト上に、クレジットカード情報を登録する。再生ソフトは、視聴者から、広告中止の要請があったら、クレジットカード情報を暗号化して広告サーバ運営会社に送る。運営会社は、カードから代金の引き落としと、著作権者への振込を順次行うようにすることで、視聴者と著作権者を媒介する役割を担う。

そのコンテンツが広告中止の対象となっているかどうかの判断・決定は、コンテンツデータが存在するローカルな再生ソフト側で行う。その際、悪意を持ったユーザに広告中止を著作権料の支払いを伴わずに勝手にやられることを防ぐため、広告中止に関するデータは暗号化したり、書式を分かりにくくしたりして、クラッキングできないようにする必要がある。

また、コンテンツが国境を超えて自由に行き来、増殖するのを容認するため、例えば北米向けのコンテンツでも、再生ソフトにおいて、居住地域を日本に、ないし、言語を日本語に指定している場合は、日本向けの(日本語の)広告が流れるようにする。この場合、日本向け広告の広告料が、そのまま著作権料に転化して、海外の著作権者にそのまま支払われるようなしくみを作ることで、言語の壁を超えて、コンテンツが流通することを可能とする必要がある。

3.4 公共コンテンツの扱い

広告主がコンテンツを自分の都合のよい内容に操作できなくして、内容面での偏りをなくす不偏不党の精神に基づく、従来の公共放送で流すようなコンテンツは、その制作に、いわゆる受信料の支払いを必須とする。

上記の無料広告モデルでは、そのままでは公共放送に対応できない。そこで、視聴者が、ローカル保存済みの公共コンテンツを再生しようとしたときに、コンテンツ再生、閲覧ソフトに、視聴者が受信料をきちんと支払っているかどうか、公共コンテンツ作成元に自動的に問い合わせ、受信料を払っているとの認証が得られたときのみ、その視聴者が自由にローカルに保存したコンテンツを、「広告なしで」再生できるしくみを作る。

こうすることで、毎月一定の受信料を支払えば、全ての公共コンテンツが見放題、好きなコンテンツを選んでダウンロードし放題、という環境を作ることが可能である。

4.利点

こうした広告配信によるローカル保存コンテンツ無料視聴環境のもたらす利点について以下にまとめた。

4.1 広告の効果

ローカルコンテンツ再生時に見せる広告は、長時間動画再生、全画面表示を強制することが可能であり、webとかのバナー広告より格段に効果が高く、現在のテレビ向け広告と同等の効果が期待できる。

また、現行のテレビ番組だと、広告は録画したものは古いままだし、リアルタイムでは視聴者が見たくない広告を延々と見せられることになるが、ローカルコンテンツ再生では、広告部分だけが、その時々の最新で、視聴者の好みにフィットしたものに、自動的に差し替えられる。視聴者は、より広告を積極的に見ようという気になるだろう。自動的に鮮度の高い広告が差し替えで再生されることで、広告主も広告の宣伝効果を高く保持できる。

4.2 コンテンツの質の向上

ローカルコンテンツ再生では、コンテンツ作者は、繰り返し見ても飽きない優れた作品を作ることにより強く動機づけられる。そうすることで、流通する作品の質が、1回流したら終わりのテレビ主流の現在に比べて格段に向上する。

つまり、作品が見られるたびに、広告料が転化した著作権料が作者の手元に、永久に入ることになるので、作者に取っては、作品が見られれば見られるほど、お金が儲かる仕組みだからである。かつ、現行のDVDとかのパッケージ販売商品みたいに売り切りではないので、作品が見られるたびにずっと繰り返し、いつまでも永久に儲かるのである。

4.3 視聴者への金銭的メリット

視聴者には、無料で作品がいくらでも好きなだけ合法で手に入るので、金銭的負担無しに、自分の見たい作品を自由に好きなだけ取得、保存、再生できる。それゆえ、より多くの視聴者に、より多様な作品が一挙にかつ持続的に普及しやすくなる。それゆえ、コンテンツ作者にとっても、金づるが生まれやすい。

4.4 放送を超える

現在、無料ないし定額で、決まった地理範囲内に、決まった時刻にコンテンツの配信を受けるのが、地上波、BSの放送である。現状では、放送されたコンテンツをビデオデッキとかに録画して保存する行為は、一般に認められている。しかし、この場合、決まった時間にならないと、見たいコンテンツを見られない。また、何らかの都合でその放送を逃すと2度と見られないことが多い。また、放送区域外では見たくても見られないし、全国をカバーするとされるBS放送でも悪天候だと見られない。野球中継とかが前に入った後番組の録画の場合、毎回、放送時間の変動を気にしながら、正確に録画番組設定をしないと見られない。ちょっとでも設定を間違えると、正しく録画されない。あるいは、本来の放送予定時刻とずれた分、余計な録画データが入ったりする。また、地震やテロなどの重大事件勃発に伴う放送日時の急な変更にも対応するのが難しい。

この点、インターネットを介したファイル交換や、webサーバからの自由ダウンロードでは、自分の好きなときに好きな内容のコンテンツを、いつでも、どこに住んでいても、天候等の制約なしに、コンテンツ名を指定するだけで、自由にダウンロードして楽しむことが可能であり、著作権の問題さえクリアされれば、放送の持つ時間的、空間的な制約を完全に取り払う理想的な環境を実現する。

そうした意味でも、インターネットでのファイル交換と著作権者への対価支払いが両立する条件を探ることは、コンテンツ視聴者、著作者の両者にとって、ぜひともすぐにでも必要な、重大な案件であると考えられる。そうすることで、従来の放送は、ニュース速報以外の点では、ファイル交換やサーバからの自由ダウンロードに劣り、やがて衰退していくと考えられる。放送がなくなる日は意外と近いかもしれない。現在のテレビ放送を前提とした各種テレビチューナー付き録画機も、チューナーの代わりに超高速LAN接続端子を付けた、ファイル交換機能付きコンテンツ蓄積保存機に取って代わられるだろう。

4.5 映画を超える

現状では、映画館で映画を見る場合、コンテンツの中身を視聴者に見せる前に、著作権料に当たる料金を視聴者からもぎ取ってしまう。要するに、派手な宣伝によって、視聴者の間に前評判を形成し、思わず料金を支払う気にさせるのである。コンテンツを見て、視聴者がその出来のつまらなさにガッカリしても、映画業界は返金には応じようとしない。そういう点で、彼らは完全に「ぼったくり」の世界の住人なのである。しかもその料金で、コンテンツはしばしば1度しか視聴することが許されない。気に入って、もう一度見たいと思ったら、また高い料金を支払わなくてはいけないのである。

こうした映画業界の慣習は、視聴者本位のコンテンツ視聴形態のあるべき姿からかけ離れた暴挙とも呼べる不当なものであり、将来的には撤廃されるべきものである。

視聴者にとって望ましいコンテンツ視聴形態とは、コンテンツをお気に入りになるかどうか実際に視聴して十分に吟味する機会を持つことができ、そうして気に入ったコンテンツをその後も「無料で」「何度でも」「好きな時に」楽しめることである。こうした視聴形態を実現するには、今のところ、コンテンツ視聴時に広告配信を伴う(広告を見ることで料金を著作権者に支払うため、実質的に無料で楽しめる)、コンテンツデータファイルのインターネットを介した交換(好きなときに手に入れられる)とローカル保存環境(好きなときに何度でも楽しめる)が理想的であると言える。

4.6 巨大図書館としてのローカル保存コンテンツ共有・交換環境

書籍、雑誌に代表されるコンテンツを無料で視聴可能である、という点で、公共図書館の果たしている役割は大きい。ただし、現状では、コンテンツを視聴するために、わざわざ図書館のあるところまで出かけてコンテンツを借り出さなくてはいけない。また、誰か他の人がそのコンテンツを借りていると、自分はそのコンテンツを直ちに視聴することは不可能である。また、いったん借りたコンテンツはまた返さなくてはいけない。

筆者が本文で述べているインターネットを介したコンテンツデータファイルダウンロード、交換~ローカル保存・広告付き再生環境は、広く全国~全世界に「分散する」ファイル保持者一人一人の集まりによって運営される「民間の、私的な」、ディジタルコンテンツデータを扱う「電子的な」、誰でも無料でコンテンツを視聴できる「万人に開かれた」、一つの巨大な「図書館」と見なすことが可能である。しかも図書館の利点である「只でコンテンツが視聴できる」点を保ったまま、誰か他の人がコンテンツを借りているかどうかを気にしなくて済む=いつでも好きなタイミングでコンテンツを入手することができる点、および入手したコンテンツを返す必要なくそのまま永久に保持し続けることができるという点で、従来の図書館の限界を超えた使いやすいコンテンツ視聴環境であるということができる。

4.7 コンテンツ散在の利点

インターネットを介したコンテンツデータファイル交換~ローカル保存・広告付き再生環境においては、各コンテンツは、広く全国~全世界に「分散する」ファイル保持者の間に、複数分散して存在することができる。そのため、地上のある地域が自然災害によって大きなダメージを受け、その地域のファイル保持者が皆死んでしまい、ファイルが破壊されてしまった場合でも、残りの地域のファイル保持者たちの間に、同じファイルの内容が複写されて存在し続けることが可能である。これは、現在のwebベースの情報提供のように、一つのサーバからコンテンツが中央集権的に管理された形で配信され、いったんそのサーバマシンが災害発生などでクラッシュしてコケると、コンテンツはたちまち全世界的にアクセス不能となって地上から一瞬のうちに消えてしまうのとは対照的である。そういう点で、インターネットを介したファイル交換環境は、コンテンツの保全と再配布にとって、webなどよりもより理想的な形態であると言える。

4.8 アマチュアのコンテンツ制作者へのメリット

コンテンツデータファイルダウンロード、交換~ローカル保存・広告付き再生環境においては、アマチュアのコンテンツ制作者は、自作のコンテンツを自由にネット上に放流できる点では、現在と変わらぬ利便性を得ることができる。

さらに、広告料の転化した著作権料が手に入るようになるため、皆に繰り返し再生される優れた内容のコンテンツを作成・放流したコンテンツ制作者は、金銭的に大いに潤い、出版社や放送局等に頭をペコペコしなくても、プロとして独立して、生計を立てる道か開かれる。

4.9 同人誌コミックマーケットを超える

コミックなどの同人誌制作者も、大都市で開かれる同人誌即売マーケットにいちいち夜行列車などに乗って出向かなくても、あるいは、物理的な印刷物のストックを持たなくても、自分の出版物をダウンロードして読んでもらえ、なおかつ、広告料が転化した著作権料を受け取ることができる。読者も、コミックマーケットにいちいち出向かなくても、自分の住居にいながらにして、無料で、いろいろな同人誌を、心ゆくまでダウンロードしまくって、読みふけることが可能である。その点、現行のコミックマーケットは衰退に向かうであろう。

4.10 コンテンツメディア、パッケージ不要論

コンテンツデータファイルダウンロード、交換~ローカル保存・広告付き再生環境においては、コンテンツ制作者は、予め著作権者口座を専用サーバに登録した上で、自分の力で、ネット上に、ファイル交換やwebからのダウンロード等の手段で、自作のコンテンツをばらまきさえすれば、視聴者がそのコンテンツを広告付きで再生することにより、何かメディアの力を借りなくても、独力で、著作権料を回収できる。

その点、出版社、書店、CD/DVD等パッケージ販売、レンタル会社といった既存のコンテンツ流通・販売メディアの力をほとんど借りずに、コンテンツを用いた商売ができることになる。その点、こうした既存のメディアは、その影響力を著しく損なうことになると考えられる。

既存のメディアに残されるのは、コンテンツ宣伝媒体としての機能くらいなのではあるまいか。それさえも、もしもコンテンツ制作者が自分でwebサイトみたいなのを立ち上げて、巨大掲示板とかに宣伝を入れれば、それで済んでしまうかも知れない。

また、現在、書籍や音楽、映画、アニメ等のコンテンツは、きらびやかなパッケージに身を包んで、高価な価格で書店、音楽CD屋店頭に並んでいるのがデフォルトだが、今後は、これらのコンテンツは全てネット上でファイルの形で流通し、制作者がそのまま広告料転じた著作権の対価を手に入れることが可能になるため、パッケージで流通させる必要性は弱くなる。高価なパッケージをあえて購入するマニアのコレクターもいることはいると思うが、少数派に止まると考えられる。

5.課題

ここでは、広告再生によるコンテンツ無料視聴環境の持つ課題について述べる。

5.1 贋物コンテンツ防止の必要性

上記の、ローカルコンテンツの広告視聴による無料配信で一番問題となるのが、広告料が転じてなる著作権料が本来の著作者に行かず、なりすましの偽者のところに行ってしまう、偽装工作がなされる可能性があることである。

例えば、誰か他の人が著作権を持つ動画ファイルの題名を勝手に編集して、あたかも自分が著作権者になったふりをして、自分のところに広告料が入ってくるように、偽造すること(偽名ファイルの生産)が横行することが考えられる。

対策としては、

(1)コンテンツ内部に、書籍のISBNみたいな記号+番号の著作物番号を入れておく(暗号化する)。この著作物番号を、著作権料口座情報サーバにも登録しておく。コンテンツ視聴時に、この著作物番号を、コンテンツ再生ソフトが読み取り、著作権料口座情報サーバに照会する。サーバは、該当する著作物番号のコンテンツ名(と、必要に応じて著作権者名)を返す。コンテンツ再生ソフトは、サーバから返されたコンテンツ名と、ローカルのコンテンツのファイル名とかについているコンテンツ名(と、場合によっては著作権者名)とを照合し、本物かどうかを判定する。贋物であると判断した場合は、コンテンツを再生しないようにする。あるいは、再生ソフトがサーバから返されたコンテンツ名と著作権者名を画面表示するようにして、視聴者が、贋物かどうか判定するようにしてもよい。

1つの著作物番号に付き、正しいコンテンツ名と著作権者が一意に決まるようにする。著作物番号登録時に、チェック機関を設け、著作物番号とコンテンツ名と著作権者名とが正しく合致している、整合していることを、チェック、審査するようにする。例えば、悪意ある第三者が、自分の懐に著作権料が入るように、新規の著作権番号で、旧来からあるコンテンツを登録しようとしても、コンテンツ名が旧来から存在するものであれば、それに対応する著作権者名がシステムによって自動的に改変不可能な形で名前の欄に入るようにして、悪意ある第三者が著作権者になりきることを阻止できるようにする。

ファイル交換ソフトとかでは、ファイルダウンロード開始時に、最初に試しにダウンロードしたキャッシュの先頭の内容を解析して、著作物番号と、ファイル名とを先読みして、サーバに照合し、その著作物に付いているファイル名が正しいかどうか判定し、贋物と分かった場合には、ダウンロードを中止すると共に、捏造警告を出すようにしてもよい。

なお、著作物番号の代わりに、ファイルに捏造不可能な形で埋め込まれたコンテンツ名、著作権者名を直接サーバに照会するのでもよい。

(2)コンテンツ内部に、著作権者が、そのファイルが本物であることを示す「電子透かし」情報を中に入れておき、コンテンツ視聴時に、ファイル名と透かしの中の著作権者情報が合っているかチェックする。あるいは、透かしが入っていなかったり変造されている場合は、贋物であるとして、コンテンツの内容を無効にするようにする。そうすることで、偽者が不正に著作権料を得ることがないように万全の対策を取ることが考えられる。

実際のところ、コンテンツのファイル名は、ファイル交換とかで、正しく指定する必要があり、ファイル名が間違っていると、そのコンテンツはダウンロードされないので、ファイル名の変造はさほど流行らないかも知れない。

ただし、中には、攪乱をねらって、意図的にファイル名捏造が行われることがあり、それに対処する必要がある。

あるいは、コンテンツファイル先頭に、著作物名、著作権者情報を埋め込む方式を取る場合は、情報の捏造を防ぐため、コンテンツ内と著作物データベース上の双方に対応するパスワードを埋め込んでおき、両者が合致ないし正しく対応した場合のみ著作物が再生される(対応しない場合は、「捏造コンテンツです」と警告を出して再生を中止する)ようにすることも考えられる。

6.まとめ

コンテンツ作成側では、ローカルに保存・複製された旧作品のコンテンツの視聴でも、広告は最新のがネットから配信されるので、新しいコンテンツ同様の収益源になりうる。 無料なので、沢山視聴者に見てもらえ、各コンテンツの普及~評判形成を促進することができる。コンテンツ作成側では、視聴者による試聴時に出す広告の、広告料の高さを決められる。

広告提供側では、常に、最新の、視聴者の好みに合った広告を視聴者に見せることができ、広告商品の売り上げアップに確実につなげることができる。

視聴者は、どんなコンテンツでも、広告を見さえすれば、無料で視聴を楽しめる。また、従来の時間決めされた放送視聴のように時間に縛られることなく、いつでもどこでも好きなコンテンツのダウンロード~視聴を楽しめる。

また、従来よくないとされてきたコンテンツのコピーによる流布も、コピーコンテンツ視聴時に広告による著作権料が著作権者に入るようになることで、正当化される。むしろ、コンテンツがコピーによって増えることで、広告による著作権料が著作権者に入る量が増えるため、コンテンツのコピーは、著作権者にとって歓迎すべき事態ということになる。

また、どんなに古いコンテンツからでも、著作権者がきちんと著作権料が振り込まれる口座情報を最新のものに更新さえしておれば、広告による著作権料が著作権者に入るため、古いローカルコンテンツが「埃をかぶらず」に、著作権者にとって、いつまでも金づるとして利用できることになる。

そういう点で、「コンテンツ作成者=著作権者」と「広告主」、「視聴者」の3者間で、「win-win-win」の関係が成り立つ。すなわち、ローカル保存、コピーコンテンツ視聴時に、最新広告ファイルを再生し、その広告料を著作権者に回すというしくみは、各立場の人々それぞれが利益を得ることができ、その点、ビジネスとして立派に成立すると言える。

このビジネスを成立させるためには、広告主と著作権者を媒介するコンテンツ再生、閲覧ソフト開発会社、および著作物の著作権者を認証する第三者機関の働きが重要となる。そのためのノウハウをためることが、今後の視聴者にとっての「無料」コンテンツビジネスを成功に導く上で、大きな鍵となるであろう。

(旧版へのリンクはこちら)

(参考)現行の類似システム

当ベージに記した手法内容と、類似のシステムが既に存在する。

NetLeader(NTTコミュニケーションズ)」のページへのリンクです。

NetLeaderは、ファイル交換ソフトによるコンテンツ流通を前提としている。

コンテンツファイルの一つ一つに広告・課金情報を埋め込む。

広告を見ることで、初めてコンテンツを視聴するためのライセンスが、視聴者に与えられる。広告の代わりに、アンケートに答える等の代替手段も可能とされている。

当ページで提案している手法(以下、「広告自動挿入法」と呼ぶ)との違いは、

(1)NetLeaderが、コンテンツに広告・課金情報を直接埋め込んでいる。それに対して、当ページ手法(「広告自動挿入法」)では、コンテンツ自体には広告・課金情報は埋め込まずに、広告の選択や再生は、コンテンツ閲覧・再生ソフト側で、その都度、最新の広告を取ってきて行うので、コンテンツが古くなると共に、広告も古くなってしまうという事態を避けることができる。

(2)NetLeaderでは、広告とコンテンツ提供者が一体となっていないといけない。コンテンツ提供者が、視聴者に見てほしい広告等の内容を予め決めたり、用意しないといけない。それに対して、当ページ手法(「広告自動挿入法」)では、広告とコンテンツとの対応づけや広告料の著作権料への転化は、その都度、コンテンツ閲覧・再生ソフト側で、コンテンツ提供者とは独立して新たに行う。そのため、コンテンツに対する広告の内容を、コンテツ提供者側で考える手間が不要である。

(3)著作権料の回収が、NetLeaderでは、コンテンツ提供者の指示した広告を見ることで代行され、著作権料自体は入ってこないのに対して、当ページ手法(「広告自動挿入法」)では、コンテンツ提供者とは独立した第三の広告主の広告料が、著作権料に転化して、そのままコンテンツ提供者の口座に振り込まれる。そのため、当ページ手法では、著作権料を直接キャッシュ(現金)として回収できるメリットがある。

上記の点で、当ページに記したアイデア、手法の方が優れていると考えられる。

(c)2003-2005 初出

ゲームに自由を

2005.05 初出

既存のゲームは、ユーザは、予め、制作者側が決めたプロットや条件、ハードルをクリアしていくだけである。あるいは、制作者が設定した不自由な制約に従ったルートをひたすら進むだけである。制作者側は、ユーザを一方的に規制・束縛しているのである。

例えば、自動車運転ゲームは、決まったコースを走るレースばかりだし、電車運転ゲームにしても、制限時間に決まった位置に電車を止めなければいけないものばかりである。

あるいは、シミュレーションゲームや、アドベンチャーゲーム(恋愛等)は、進むコース毎に、何が起こるか、予め決まっている。制作者側の設定外のことは、決して起きないし、ユーザは起こすことができない。グッドエンドのような「正解」に到達するために、予め決められたイベントを、ゲーム制作側の設定した通りにひたすら黙々とこなすことが求められる。

ユーザは、いくらゲームが上手になっても、ゲーム制作者側の設定した枠内から出ることができない。その点、ユーザは受け身であり、既存事例を踏襲するだけで、クリエイティブでない。ゲームの「正答」「グッドエンド」にたどり着くために攻略本を購入するユーザがたくさんいるが、そもそも、ゲームにとって、予め決められた「正答」やエンディングは必要なものなのだろうか?ゲーム制作者によるユーザに対する単なるお仕着せに終わっているのではないか?

これからは、ゲーム制作者側は、なるべく、枠を設定せず、ユーザが自由に振る舞えるように、余地を設定すべきである。

例えば、フリードライビングゲームのように、どこを、どこまで運転しても、どこでいつ車を止めても自由なゲームを制作すべきではないか?

また、ゲームがどれほど上手かについて、ゲーム制作側によるユーザの点数付け、ランク付け、攻撃力とかのレベル数値、評価からの解放が必要である。これらは、すべて学校のテストや成績評価と同じ発想であり、ゲーム制作者側が「正答」を握り、ユーザを支配していることになる。

これからのゲームは、何が起こるか、予め決まっていない、例えば、同じところを通っても、その時々で起こることや、風景とかの状況が変化するゲームを作るべきである。それによって攻略本が使えなくなり、ユーザは、その時々で未知の空間や出来事を体験する面白さを味わうことができる。

あるいは、自分で好きな地点から出発できる、好きなコースを制約なく自由に進める、好きな時に、好きなだけ休んだり、止まることができるゲーム、ないし成績を一方的に評価されない、点数付けのないゲームがあってもよいと思う。

予め決まったエンディング、コース、シナリオというのがなく、乱数とかで、その時々に発生するイベントやコースが自由に変化したり、新たに合成されたりする、要するに、制作者側の設定枠を超えられる自由、余地、融通性があるゲームがあってもよいのではないか?

(c)2005 初出

ゲーム主人公の性格付けについて

現状のTV・パソコン用ビデオゲームは、主人公の性格が、ゲームメーカー側からのお仕着せとなっており、利用者は、メーカーによって予め決定され強制された性格を持つ主人公を、ゲーム中演じなければならない事態を招いている。例えば、ていねいな態度を好む利用者がゲームをしている最中に、ゲームの中での主人公が、他者との対話の中で荒っぽいがさつな態度を示すようだと、利用者はゲーム中の主人公に対して、「彼は所詮自分とは違う人格だ」と考えて感情移入できず、つまらないと感じるであろう。こうした利用者の性格と、ゲームの主人公の性格との間に矛盾が起きている状態は、克服されなければならない。

この問題を解決するには、主人公の性格を利用者に合ったものにする必要がある。具体的には、主人公の性格を、予め自分に合ったものに、自由に設定できるようにすることが考えられる。例えば、内向的とか、几帳面とか、慎重とか、予め設定しておくと、その性格に合った対話選択肢がゲーム中に出るようにする。

上記の、(利用者がなりきろうとするところの)主人公の性格設定を利用者側で決められるようにすることを実現するには、以下の問題点をクリアしなければならない。

1)主人公のせりふ決定に当たって、「こういう性格の人は、この場面で、こういうことを考えたり、言ったりするはずだ」という、性格心理学上のデータを予め用意しなければならない。要するに、ゲーム中各場面毎の適切なせりふ設定のための理論的根拠・裏付けが必要となるわけであるが、ゲームメーカーがこの目的で心理学者を雇い入れる意気込みがあるかどうかが問題である。

2)用意する性格の数だけ、主人公のせりふのヴァリエーションを増やさなければならない。例えば、会話を、場面毎、主人公の性格毎に分類しておき、ゲームの筋書きに従って、そのデータベースの中から適切な(主人公の)発言内容を取り出すことができるようにする、会話内容のデータベース化が必要となると考えられる。既存のゲームメーカーは、こうした、せりふ数・種類の多様化といった負担に耐えられるであろうか、ということが問題となる。

こういったことが無理ならば、せめてゲームの外装パッケージ上に、「このゲームの主人公は、○○的な性格です。」などと予め示すべきであろう。

(c)2001.3 初出

クラシック等の音楽評論のあり方について

2006.4 初出

現状のクラシック等の音楽評論のあり方には、問題点が多い。筆者が現状気づいている問題点と改良方針について以下にまとめた。

(1)ブラインド評価を導入すべきである。要は、評価に当たって、演奏者名、レーベル名等、事前に明かさないようにする。そうすることで、演奏者名、有名レーベルか否か等に左右されない、公平、客観的な評価が可能になる。

現状の、演奏者名、レーベル名を事前に明かして評価させる方法では、そのままでは、評価が、既に定評ある有名演奏者やレーベルの演奏に対してに甘く、無名、あるいは本場でない演奏者に不公平に辛くなっている節がある。

上記のことは、作曲家についても同様である。

(2)多人数、複数人による評価を導入すべきである。現状では、12人程度の評論家による評価で行っている。これだと、評価しているのが、自分と感性の合っている評論家だとよいが、自分と感性のズレている評論家の評価だと、面白いと評された演奏がつまらないという結果が生じる。複数人であれば、評価が多角的になり、精度が増すと考えられる。

(3)形容詞評価を導入すべきである。評論読者としては、曲や演奏の印象を手っとり早く知りたいというのがある。その際、単に、良い悪いとか、元の楽譜と比べてどうこうだと言われるだけでは、どんな演奏なのかがよく分からないままであり、どうしても、具体的な形容詞表現がないとダメである。

例えば、「重い-軽い」「明るい-暗い」等の形容詞を並べたシート上に、各形容詞について5段階評価でマークを入れ、折れ線グラフとして表示し、それを、複数人の評価結果を集計して出すことで、その曲や演奏の雰囲気を一目でつかむことができる。

2006 初出

「萌え絵」美術の特徴(1990年代以降)

2006.10-2009.1 初出

日本のアニメ、コミックのキャラクタ表現において1990年代以降に顕著に見られるようになった、若い女性キャラクタの顔や姿を描いた「萌え絵」の特徴を以下にまとめた。

No.

部位

萌え絵以前(1980年代)

萌え絵(1990年代以降)

(1)

まつ毛

長い。たくさんある。

ない。末端の突起で代用。すっきりしている。

(2)

横長。

縦長。正円~四角い円。

小さな円に止まる。生体の目のサイズに近い。

大きな円、楕円へと誇張。

瞳のサイズが小さい。

瞳のサイズが大きい。

瞳の色が単色。濃淡なし。

瞳の色が多色遷移。濃淡あり。

瞳への光の映り込みなし。

瞳への光の映り込み、反射あり。

瞳の輝きなし。

瞳の輝きあり。

(3)

正面から見て、大きい。長い。鼻筋を表現する。

正面から見て、ごく小さな突起のみに止まる。鼻筋はほとんど表示しない。

(4)

唇の上下二つの突起が大きい。歯をリアルに表現。

唇の突起なし。開いた赤口のみ。閉じた口を短い円弧の線のみで表現。歯を省略するか、ごく小さく簡略化して表現。

(4)

髪の毛

毛の流れを表現せず。塗りつぶし。

毛の流れを、光の当たり方の変化を捉えることで表示。

ある絵が「萌え絵」かどうかは、ほとんど顔の表情で決まる。

顔が、実際の生体の顔を忠実にまねるのではなく、大胆なデフォルメを加えることで、萌え絵となる。すなわち、

・目や瞳を大きく強調し、

・瞳等をみずみずしく光を映すように描き、

・その他のまつ毛や鼻筋、唇等の隆起、突起を最小限に抑えて、

全般にごてごてしない、けばけばしない、すっきりした、光のある、かわいい造形に仕上げるようになった絵が、萌え絵であると言える。

萌え絵の原型は、目や瞳の大きい、表情の可愛らしさを強調する少女コミックが原型で、女性作者が元々の作画上の主導権を握っており、そこに異性としての魅力を感じた男性作者が新たに参入して、女性、男性作者共に、主に男性消費者向けに、女の子の絵がより異性としてすっきり可愛く感じるように改良を重ねて現在に至ると考えられる。

目や瞳の大きいところは、原型となった少女コミックの影響が大きいが、けばけばした飾りがなく、すっきり簡略化しているところは、絵の主たる消費者たる男性の嗜好の影響が大きいと言える。

上記の萌え絵の説明は、男性消費者をターゲットとした女性キャラクタ表現についてのものであるが、これとは別に、女性向けに若い男性キャラクタの顔や姿を描いた萌え絵も、BL等の隆盛で、現在強い勢いを持っていると考えられる。

女性向けの萌え絵に見られる男性キャラクタの姿は、男性本来の粗暴さ、がさつさを減らし、美少年的な、美しさや上品さ、高貴さ(とプライドや自己愛の度合いの高さ)、壊れやすさ、はかなさ、(男性同士の同性愛による)キャラクタ相互の一体化といった女性好みの性質を強化したものとなっていると言える。

参考文献

STUDIO HARD MX(制作) アニメヒロイン画報-架空美少女ヒロイン四十年の歩み- 竹書房 1999

初出

アニメ・コミック等のストーリー評価ポイント

2007.04 初出

テレビ放送、DVD、書籍等で流通している、アニメ、コミック(に加えて映画、ドラマ、ゲーム)のストーリーについて、視聴者が面白い、興味を持った-つまらない、と判定を下す評価ポイントを以下にまとめた。

視聴者は、楽しい、緩い、ほのぼのしたストーリーが専ら好きな人もいれば、シリアスで動的な戦闘シーンを面白いとして好み、緩いのは受け付けない人もいる。

以下の表では、そうした視聴者のタイプ分けの参考になる、視聴者によるストーリー評価ポイントを、インターネット掲示板等で見られる評価表現から抜き出して、筆者の主観で4つの因子に分類してまとめた。

ポジティブ-ネガティブ

楽しい、浮き浮きする

怒りの、悲しい、沈んだ

明るい

暗い

善意の、人の良い、正義の

悪意の、悪人の

正直な、裏表のない

陰謀に満ちた、裏切りの

ドキドキ感

ゆるゆるの、弛緩した

緊張した

止まった、のんびりした

よく動く、忙しい

平和な

戦闘の、殺傷の、破壊の

下らない、笑える、ギャグの

真面目な、シリアスな

安心できる

不安をかき立てられる

いい話

温かい、ほのぼのした

冷たい、冷ややかな

感動する

冷めた、無感動な

人情味のある、ウェットな

ビジネスライクな、ドライな

時間経過

時間、筋が進まない

時間、筋が進む

成長しない

成長する

いつも通りの、リピート、エンドレスの

ラストがある、完結する

流布しているアニメ、コミック等には、様々な種類があり、ストーリーの評価基準も一筋縄では行かない面も多いが、現状では、上記4分類で、だいたい7080パーセントはカバーできているのではないかと考えられる。

2007 初出

男子向け恋愛アニメ、ゲームの人間関係の特徴

2007.08 初出

男子主人公の家族関係が希薄である。

同居する家族がいない。

一人で起居している。

幼なじみの女子が,朝起こしに来る。

女子が,向こうから近づいてきて,興味を持ってくれる。

複数の女子にもてる。女子が好感を持ってくれる。

現実には女子に声をかけられない奥手なタイプの人も,ゲームの中では,女子と関係を持てる。

主人公たちの年齢が高校生レベルで止まることがほとんど。

大人にならない。

大人同士の恋愛が描かれない。

現実の女子に声をかけられない奥手なタイプの男子,声をかけてもらえないもてない男子を対象にしているために起きている。

男子は,既に成人して,大人,中年の年齢になっている人たちも含む。

永遠に現実女性と関係を持てない,異性として「熟さない」人たち向けである。

萌えとは

アニメやコミックとかで、萌えという表現が頻繁に使われるようになってい るが、どういう意味合いを持っているのであろうか?

萌えとは、もともと春になって、生物が冬眠から活動期に入る頃に、植物の芽が芽吹いて、つぼみとかが膨らむ、伸びるさまを指している。

そうした、生命の活動感を伴う吹き、膨張、伸張のさまが、人間とか(その他動物とか)が、好きな相手に発情して、生殖活動を目指して、性器(男性のペニス とか女性の乳首、クリトリスとか)が、勃起、伸張したり、気分的に高揚、興奮、膨らむさまと共通な面が見られることから、後者へと意味的に転用されたもの と考えられる。

いずれも、根底に、生命の活動感とか躍動感が存在し、それが、生殖活動に結びつく何らかの芽吹く、膨張する動作~感覚を、人間を含む生物にもたらす場合 に、共通に萌えるという表現を使うことができるということになる。

2008.05 初出

バス車内録音、録画障害要因

2008.09 初出

1.自動音声

・運転士が自動音声のボリュームを小さく絞って聞こえない。

・運転士が自分のアナウンス声で、自動音声を上書きする。

・運転士が、途中で今かかっている自動音声を省略して、次に進んでしまう。

・運転士が、自動音声がかかっている間にマイク操作をすることで、自動音声の音量が一時的に小さくなってしまう。

・自動音声の音量が大きすぎて、音割れする。

・スピーカーの故障で、自動音声の音が出ない。

・運転士が、停留所に合った自動音声を鳴らし忘れる、ずれる。

2.運転士のアナウンス声

・運転士のアナウンス声が、小さすぎる、大きすぎる。

・運転士が多弁過ぎる。

3.騒音

3-1.乗客の立てる騒音

(生理現象)

・乗客が、くしゃみをする。

・乗客が、咳をゴホンゴホンとする。

・乗客が、鼻水をズルズルすする。

(声を出す)

・乗客が他乗客としゃべる。

・乗客が携帯電話でしゃべる。

・乗客の知的障害者や高齢者が独語する。

・子供の乗客とかが、声を上げて騒ぐ、泣く。

(音を立てる)

・乗客が、鈴をチリンチリン鳴らす。

・乗客が、チャックをビリビリ音をさせて、開閉する。

・乗客が、新聞紙をガサガサ言わせる。

・乗客が、買い物袋をガサガサ言わせる。

・乗客が、飲み物をズルズル音を立てて飲む。

・乗客が、食べ物をグチャグチャ音を立てて食べる。

(携帯電話)

・乗客が携帯電話でしゃべる。

・携帯電話の呼び出し音が鳴る。

・携帯電話の入力音がピポパと鳴る。

3-2.車内設備の立てる騒音

・エアコンのエアー吹き出し音が大音響で鳴る。

3-3.車外の騒音

・演説とかが大音響で聞こえる。

・宣伝カー(右翼等)の宣伝音が聞こえる。

・救急車とかの警報音(ピーポー、ウーウー)が聞こえる。

・暴走族の走行音が聞こえる。

3-4.運転士の騒音

・運転士が風邪を引いていて、咳やくしゃみをする。

4.撮影障害物

・座席前面にバーが存在する。

・座席前面にプラスチックの板が存在する。

・座席のブラインドが下ろされて、外の景色が見えない。

教育編-思考の小箱-

日本教育における試験制度の改革について

-誰でも好きなときに受けられる能力資格試験導入の提案-

(c)2002.06 初出

(日本の小学~大学の試験制度は、特定の学校に合格するためという現状から変わるべきであると筆者は考えます。今後の試験は、純粋に生徒の学力を測定し、好きな時に何回でも受けられるようにするなどして、その数値を公的資格として就職などに活用できるようにするための試験へと変わるべきではないでしょうか。)

日本の小学~大学の試験制度は、特定の学校に合格するためという現状から変わるべきである。試験の目的が、本来あるべき学習の節目毎の能力測定という目的から大きく逸脱して、よりよい上級学校合格のための受験そのものになってしまっているからである。そのため、生徒にとっては、自分の転変する外部環境に適応して生きていく能力を向上させるという教育本来の目的ではなく、上級学校に入ること自体が自己目的化してしまっている。

今後の試験は、純粋に生徒の学力を測定し、誰でも年齢に関係なく、好きな時に何回でも受けられるようにするなどオープン化して、その数値を公的資格として就職などに活用できるようにするための試験へと変わるべきである。ちなみに、試験の数値が公的資格として利用できそうな(あるいは、既に利用されている)従来の試験としては、大学入試時のセンター試験、英語のTOEIC試験のようなものがある。

以下では、小中高校~大学レベル(広く社会人も含む)での試験制度について、現状と筆者の改革案を、表形式で対比させて述べている。

現状

筆者の改革案

[1]能力を表す指標

能力を、生徒が合格した学校の名前(ブランド)によって測る。
(
問題点↓)
(1)
生徒の入学した学校名が分からないと、生徒の能力を知ることができない点で手間がかかる。また、学校名が能力を測るキーとなるため、
・学校のブランド信仰が生まれ、有名校に入学するのが、必要以上に大変になる
・学閥が発生する
といった副作用を生み出す。
(2)
学校の人気度の変動などにより、合格に要求される能力水準が変動してしまう。
(3)
生徒の能力を、生徒の受験した学校外からは客観的に捉えることができない。あえて言えば、その学校に合格するための偏差値をもって客観的数値とする こともできるが、公的裏付けのある数値ではない。また、生徒の能力を知るのに、学校名を検索し、次にその学校の偏差値を知るといった感じで2段階が必要で ある。

生徒の能力を、学校名といったような客観性や評価の安定性に欠ける指標ではなく、日本中~世界中どこでも通用する能力証明書を生み出す形で測る。
能力を、英語のTOEIC試験のように、学校からは独立した日本全国~世界的な試験機関によって、統一された到達レベル毎にランク付け、ないし点数の形の形で測定する。
学校の名前と、生徒の能力とを切り分け、互いに独立させる。
(
改良点↓)
(1)
出身学校名に囚われずに、生徒の能力判断を行うことができる。
(2)
生徒の能力水準を測る指標が安定している。
(3)
生徒の能力を、誰でも開かれた公平な同一の指標で見積もることができる。

[2]試験回数

一生を通じての受験機会は、小学中学、中学高校、高校大学の数回しかない。また、それぞれの試験の回数は、1つの学校に付き、1年に1回のみが普通である。
(
問題点↓)
(1)
試験に失敗が許されず、悲壮な覚悟で1回きりの試験に臨まなければならない。
(2)
何度も試験に失敗すると、それだけでその生徒の評価が下がってしまう。

試験は、誰でも(社会人を含む)、いつでも好きなときに、好きなレベルのものを何回でも受けられるようにする。
(
改良点↓)
(1)
試験の機会が増えて、1回失敗しても、再受験してすぐ取り戻すことができる。試験を受けるのが楽しく、リラックスできるようになる。
(2)
生徒が自分の欲しい到達レベルにどの程度達しているかどうかを判定するのが目的であり、何回受けたかではなく、今何点なのかが重要である。受験回数は問題とならない。

[3]試験のタイミング

本格的な試験は、上級学校に入学する時のみである。いったん入学してしまえば、卒業時は多少成績が悪くてもトコロテン式に出られる場 合が多い。その結果、生徒がいったん望みの学校に入ってしまうと、そこで勉学の目的を失って、貴重な時間を無駄に過ごすことにつながっている。
(
問題点↓)
(1)
試験のタイミングが入学時に限られている。
(2)
卒業時の学力を問題にしないため、在学中、生徒があまり勉強しない。

試験結果は、もちろん入学時の資料としても使えるが、むしろ、在学中や卒業時に、それ相応の能力を持っているかどうかを調べる能力検 定として使える。また、学校を既に卒業した社会人が、今自分がどの程度社会に通用する能力を持っているかその都度確認するためにも使えるようにする。
大学卒業レベルでは、従来の国家公務員I/II種試験の内容に当たるものを科目別に独立して実施すればよい。
(
改良点↓)
(1)
試験のタイミングは、生徒の受けたいときならいつでも、任意である。
(2)
在学中の期末試験や、卒業検定の形でも使えるため、在学中、生徒が勉強するようになる。

[4]受験資格

試験は、生徒が受ける学校(例えば大学)より一つ下の学校(高校)に入学して修了していないと(ないし修了見込みでないと)受けるの が難しい。大学受験では、高校を出ていなくても、いわゆる「大検」で受験資格が得られるが、正規でない裏コースと見なされている。試験(例えば高校)は、 一定の年齢(15)にならないと受けられない。
(
問題点↓)
(1)
学校にきちんと通わないと受験しにくい。
(2)
生徒に能力があっても、一定年齢に達するまで受験を待たなければならない。

試験は学校を出ていなくても、学校に通わなくても、独学でも自由に受けられる。自分の自信のある分野なら、何歳でも(幼くても、高齢でも)年齢に関係なく、好きなレベルの試験を受けられる(飛び級、年齢制限撤廃に相当)
学校の存在意義は、試験で、生徒が自分の望むレベルの点数を取るために効率よく計画的に勉学に励めるように、親身になって指導する点にある。独学時の効率を上回ればよい。
(
改良点↓)
(1)
学校通学に縛られずに、自分の今まで伸ばした能力を開かれた社会に向けて自由にアピールすることができる。
(2)
能力ある生徒なら、年齢に縛られずに受験できる。

[5]合格の概念

一定以上点数を取って「合格」する必要がある。
(
問題点↓)
(1)
試験で点数を何点取ったかが余り問題にされず、「取る点数は何点でもよいから、とにかく合格すればよい」と短絡的な目標設定に陥る。
(2)
合格ラインとなる点数が学校や試験毎に変動し、不明確である。

「合格」の概念が存在しない。何点取ったか、点数自体が評価される。
(
改良点↓)
(1)
点数によって、今自分が何点取っているから能力的にはどのレベルにいる、という事実を認識することが最終目標となる。自分の現在の能力レベルを客観的に知るという、学習到達度学習に向いている。
(2)
試験の点数は、英語のTOEICのように、個別の試験問題のレベルを揃えることで、学校を超えた普遍的な値で、毎年安定させることができる。

[6]試験レベル設定

入学試験の段階毎に、中学入学、高校入学、大学入学というわずか3つの互いに大きく隔たった到達レベルについて、各教科ともレベルを揃えて受けなければならない。

各教科毎に、到達レベルを揃える必要はなく、例えば、高校生が、得意な科目は大学入学レベルまで背伸びして受験、不得意な科目は中学入学レベルをもう一度受験といったことが可能となる。
到達レベルの数を、従来、中学~高校間など大きく隔たっていたレベル間に新たに中間レベルを設けることにより増やして、レベル毎の格差を減らし、スムーズに連続的に上級レベルに到達できるようにする。

[7]試験分野

自分の興味のない、あるいは社会に出てからは不必要となる分野の試験もワンセットで強制的に受けさせられる。

自分の好きな、社会に出て役立つ分野の試験を選んで受けることができる。官庁・企業側から就職時に必要な科目の点数を要求され、それに応じて、予め必要な科目について、必要以上の点数を取るように努力すればよい。

[8]資格としての利用

試験の結果は、原則として、入学希望の学校に対してのみ通用する。偏差値の高い学校が就職時など非公式に「指定校」の扱いを受けることもあるが、公的な裏付けがある訳ではない。

自分の受けた試験の点数が、そのまま自分の現在の能力を表す公的な資格として、社会に通用する。

以上の筆者の改革案において、従来、日本の公教育を独占してきた、公立・私立学校の果たす役割は何であるか?それは、公的能力資格試験の「予備校」である。公的資格は学校に行く行かないを問わず、能力ある者全てに与えられる点、従来の学校による教育機会の独占はなくなる。要するに、学校には行かなくてもよいのである(従来は、行くことが当然であり、行かない生徒は、その能力に関係なく、一律に後ろめたい気分にさせられていた)。ただし、行った方が、専門の教師が付く分、より効率よく学習を進めることができ、お得であるということになる。優れた学校とは、その学校に通う生徒が公的能力資格試験で高い点数を取れて、人間の生存に必要な能力を十分高いレベルで持っていることをアピールできる学校のことである。

従来、予備校は、あくまで公教育を補完するための日陰の存在であった。しかし、予備校は、同時に、日本の学校が表向きは認めない偏差値による生徒の成績毎のランク付けを行い、生徒たちを、それぞれの能力にあった水準の上級学校に振り分けて進学させるために欠かせない存在でもあった。要するに、生徒たちの能力を日本全国レベルのグローバルな視点で査定し、その結果を公表しては生徒同士を競わせる、重要な存在であったと言える。

上記改革案では、学校は、公立・私立、公認・非公認を問わず、全て公的能力資格試験で満足な点数を取れるようにするための予備校と化すことになる(学校の「総予備校化」)。今まで日陰扱いだった予備校が、一躍日向に躍り出ることになる。

しかし、学校の総予備校化といっても、それは従来の予備校とは本質的に異なっている。従来の予備校が担ってきた偏差値教育といわれるものの本質は、成績の相対評価であった。偏差値は、他人様と比べて自分は優れている、劣っているという評価を下すためのものである。競争は、他人を蹴落として、自分が相対的に有利な立場に立つための手段であった。上記改革案では、成績は他人と比べてではなく、あくまで試験を受けた本人が厳しい自然~社会環境で生き延びることができる手段を持つ度合いを示す、絶対的な尺度として用いることを目指す。公的な能力資格試験の点数は、他人と比較するためではなく、あくまでその時点での自分の能力水準を測る目安なのである。その点で、新しい「予備校」が目指すのは、成績の絶対評価である。もっとも、就職時などでは、官庁・企業から求められるスコアが高い順に生徒の就職が決まるであろうから、その点で、絶対評価の点数を、相対評価にも転用することはできる。絶対評価は、相対評価を兼ねることができるが、その逆はできない。

なお、上記公的資格には、道徳とかも含まれることになる。本来点数付けが難しいと考えられがちであるが、基本的に道徳の資格試験というものは、人々が地球上で暮らしていく、生き延びていく上で望ましい価値をどの程度よく知っているか、また、自分の身に実際につけているかを測るものであると考えられる。道徳の正しさは、先生が言ったから正しいのではなく、生徒本人が、地球上に生命体として存続していくために役に立つから正しいのであり、そういった人間生存の役に立つ価値観を到達度毎にレベル化して、生徒自身が積極的に上位レベルを目指すように仕向けるのが望ましいであろう。

上記改革で、政府がなすべきことは、高さの揃った能力水準測定を安定して行えるためのの試験問題出題環境の整備である。毎回水準をできるだけ揃えるためには、予め蓄えておいた、予め同一水準にあることを確認してある問題群のプールから、コンピュータを使ってランダムに問題を抽出して出題する手段手段などが必要となる。

また、従来の学級という集団を単位とした生徒管理から、生徒個人毎にバラバラに独立した到達度レベル管理が必要となる。これを実現することが、従来の学級という枠に生徒を閉じ込めて画一的に管理するウェットなやり方を乗り越えて、新たに個人の個性や自由を認める、健全なドライさを備えた学校生活につながると思われる。

こうした生徒の能力面での到達度の多様さを許容するためには、同時に、個性化がもたらす生徒個人の、自分は人とは違うんだ、独りぼっちなんだという孤独感を解決する方策が必要となる。そのために、新たに国際レベルでの情報通信網(例えばインターネット)を利用した、従来の(特に小学校~高校レベルの)狭い地縁レベルでは得られない、自分と共通の興味や到達レベルを持つ仲間(年齢、性別、職業など様々)とのコミュニケーション、連帯意識、心理的な支え合いが不可欠となると考えられる。

(c)2002.06 初出

勉強ゲーム・アニメについての検討

(c)2000.9-2004.6 初出

(これは、従来のTVゲーム・アニメに、もっと学科勉強に役立つ要素を入れることを提案するものです。利用者が、TVゲーム・アニメの内容にはまりながら、知らず知らずのうちに、自然と学科内容をマスターしていくことができるようにするには、どのような工夫を、ゲームやアニメの内容に取り入れればよいかを考察しています。)

1.勉強ゲーム

ビデオゲームばかりやっていると、学業がおろそかになり、教科成績が落ちる、という批判をよく目にする。試験前なので、ゲーム機を自主的に封印する、といった言い方がよくされる。

「ときめきメモリアル(コナミ、PlayStation)」「ずっといっしょ(東芝EMIPlayStation)」のような、学校を舞台にしたシミュレーションゲームでは、文系・理系という項目の数値が増えると、自動的に成績順位が上がり、女の子の興味を引きやすくするようになっている。この場合問題なのは、文系・理系の数値が、実際には何も勉強しなくても、本当の学力の向上とは無関係に、コマンド選択という単純操作だけで簡単に上がってしまう点である。これでは、ビデオゲームは、所詮は遊びだ、本当の勉強の足しにはならないという評価になってしまう。

かといって、従来の学習エデュテイメントソフトでは、「○○について勉強しましょう」という、目標がむき出しになってしまい、問題を解く→正解解説の味気ない繰り返しになってしまう。これでは、学校での授業とあまり変わらず、勉強自体に興味を持つ利用者しか引きつけることができない。

ゲーム性を保ちながら、いかにして、主人公となる利用者が、教科学習を進める手助けをするかが、解決すべき課題となる。例えば、中学~大学受験生にとって、受験の役に立つ知識を得つつ、なおかつゲームとして楽しめるようにするにはどんな内容のゲームを設計、作成すればよいか、という問題を解決する必要がある。「ゲーム○○をクリアできれば、レベル○○の大学に入れるだけの学力が付いている」ということが言えるようになる必要がある。

従来、勉強を優先するために、ゲームから遠ざかっていた、ゲームに無関心だった利用者層を、新たにゲーム利用者層として発掘するにはどうしたらよいかアイデアを提示するのが、本文における筆者の狙いである。

○恋愛シミュレーションないし恋愛アドベンチャーゲーム

上記課題についての解決策の一つとして、利用者の性的な衝動、異性への憧れや、恋愛・デートをしてみたい、異性に気に入られたい、エッチなものを見てみたい、といった強力な衝動を、教科学習への起爆剤、推進力として生かすことを考える。

小~高校生向けの恋愛ゲームの形を取る。やさしい数学(算数)・国語・英語などをテーマに、恋愛を続けるためには、教科学習を必須にする。

ゲームの舞台となる学校の等級を、現実の小学~中学~高校のいずれかへと明確化してしまうと、ゲームする層が、それぞれの等級内に限定されてしまうので、架空の「○○学園」などとあいまいにして、いろいろな学年層の利用者をターゲットにできるようにする。ゲームの最初で、学力テストをして、自分の成績結果に合ったところからゲーム本編を開始できるようにする。自分のレベルに合わせて勉強を開始することが出来る点は、「公文式」などと同様である。

主人公と登場する異性との恋愛が進むにつれて、知らず知らずのうちに主人公の教科学習が進んでいるようにする。

以下では、従来の恋愛ゲームと比較しやすくするために、主人公=男性、異性=女性(女の子)と仮定して話を進める。

出て来る女の子は、何か教科上の一芸に秀でているとする。例えば、A子さんは、古文が得意であるが、他はダメだなど。女の子が秀でた教科については、女の子が得意な教科に関する話題を折にふれて持ち出すので、主人公がそれに付いて行かないといけない。女の子がダメな教科については、主人公は、彼女に正しい知識や学習方法を教えないといけない。

出て来る女の子は、何かしらの教科が得意か、勉強に熱心で、主人公に対して、継続的に、該当教科について質問し、主人公が、その教科に対する知識やセンスがないことが分かると、女の子が、その時点で主人公を振ってしまう。女の子とのデートを続けるには、主人公が、教科の知識・センスを、継続的に身につけないといけないことにすれば、主人公に当たるゲームプレイヤは、勉学に身が入るのではないか?

ゲームで、成績と女の子を競うライバルが登場し、勉学上の決戦を行う。負けると、女の子をライバルに取られてしまう。ライバルから女の子を取り返すには、ライバルを上回る成績を収めないといけない。

教科ミニテストが、短い周期で行われるようにする。教科テストでよい点を取らないと(ミニテストの成績合計がよくないと)、その教科に対応した女の子を、デートに誘えない(誘っても断られる)。逆にその教科でよい点を取ると、興味を持った、その教科に対応した女の子が接近して来る。期末テストの1本勝負ではなく(無論、学習内容の総決算となる大型テストも用意すべきであるが)、継続した学習の積み重ねができるようにする。

教科テストでよい成績を取り続けて、女の子の好感度がアップすると、エッチな場面が増えるようになる(転んで、パンツ丸見えとか)

主人公がよい成績を取って女の子に見初められると「一緒にトップ3を目指してがんばりましょう」「同じあこがれの○○高校を目指しましょう」と言ってくれ、勉学を通したステディな関係に入ることができる。すなわち、主人公と女の子が、一緒に勉強することができるようになる。

主人公と女の子とのカップルとしての日常会話の中に、主人公と女の子とで共有されているはずの教科知識を、平然と織り混ぜて話す必要が出て来る。女の子が教科に関する話を振って来て、主人公がそれに適切に答えられないと、女の子の主人公に対する好意度がダウンし、主人公と話すのを拒絶するようにするか、女の子が怒って、主人公に「ロケットパンチ」を見舞う。

女の子は、苦手な教科を持っている。女の子が苦手な教科で、主人公が勉強を手伝って上げると、好感度がアップする。勉強を教えた女の子が、ゲームの中で、実際に教科テストを受ける。テストに出る内容は、主人公が教えた内容そのままである。主人公が正しい内容を教えたおかげで女の子の、その教科の成績が上がると、女の子が主人公を好きになる。主人公がいい加減な(間違った内容の)ことを女の子に教えると、女の子の教科成績が悪くなり、女の子は、主人公を嫌いになる。女の子の成績を上げるには、主人公は、その教科について予め勉強する必要が出て来る。

上記の場合、主人公と、女の子とが、互いの苦手教科を教え合う、という可能性も考えられる。この場合、主人公の得意教科と女の子の苦手教科とが、うまく一致して、相補関係に入らなければならない。

主人公が、苦手な教科を教えてもらう方法としては、年上の女性(女子大生とか)をゲーム中に登場させ、主人公の家庭教師になってもらう、という可能性も考えられる。この場合、主人公は、家庭教師の女性との間で、擬似恋愛を行うことになる。単に勉強の内容だけでなく、効率的な勉強の仕方・ノウハウについても、学べるようにする。アダルトゲームなら、生徒がテストでよい点を取ると、性的に「ご奉仕」してくれる、学校の先生や、メイドあるいは家庭教師を登場させてもよいかも知れない。

逆に、主人公が家庭教師となって、受験生の女の子の勉強の面倒を見る、という手も考えられる。受験生の女の子を合格に導くには、主人公は、それに足るだけの学力を身につけなければならない。この手法を取り入れた恋愛シミュレーションゲームに、主人公が、大学受験の女の子を、個人教授して合格に導く「個人教授(毎日コミュニケーションズ、PlayStation)」が存在する。ただし、このゲームでは、ゲームのプレーヤ層を広く持たせるために、問題が故意に易しくなっており、現実の勉強にはあまり役に立たない、という問題点がある。

不良グループが登場して女の子を拉致するが、彼らに対抗するための武器をONにするためのパスワードを、教科で出て来る用語などにする。

勉強で、テストで何点アップする、というのを、直接のターゲットとしてはいけない。教科の内容自体をむき出しにしてはいけない。擬似恋愛を進める過程で、知らず知らずのうちに、教科学習が進むようにする。ゲームに出て来るあの女の子の心を射止めるために、勉強するんだ、というように話を仕向ける。

主人公の学力が高いほど、よいエンディング(恋愛成就など)を迎えられる機会が増えるようにする。ただし、エンディングの条件としては、学力のみを考慮するのでなく、主人公の大局的な学習方法や、何のために勉強するのかといった勉強哲学、どういった人生設計を立てて勉強に臨んでいるか、といった点についても、できれば考慮する。こうした内容について、女の子と意見が合わないか、女の子を納得させる説明ができないままエンディングを迎えると、例え学力が優れていても、バッドエンドとなるようにする(もちろん、主人公の学力が身についていない場合は、無条件でバッドエンドとする)。ゲームの内容は、人生の過程においてなぜ勉強することが必要なのかを利用者に分からせるのに役立つのがよい。

上記では、男性用のゲームであるが、女の子→男の子とし、主人公を女性にして、各画面を設計し直せば、女性用になる。不良に拉致されても、普段の行い(成績)が悪いと、助けて来れない、とか。

○ロールプレイイングゲーム

敵を負かして強くなりたい、能力面でレベルアップしたいという、衝動を、教科学習に生かすことも、考えてよいかも知れない。

従来、この手の衝動は、「ドラゴンクエスト(ENIXSuperFamicomPlayStation)」「ポケットモンスター(任天堂、GameBoy)」などのゲームで活用されてきた。しかし、学力増進の面では、これらのゲームは、役に立たない。出て来る呪文・コマンド・技などの名前は、「ヒャダルコ」とかいった独自の造語であり、現実社会にはそのままでは生かせない、そのゲーム世界限りのものである場合がほとんどである。それらを覚える労力を、そのまま英単語などを覚えることに転用すれば、大きな学習効果があるはずである。そのためには、能力レベルアップへの衝動を、学習意欲の向上へと、転化させる仕組みを作ればよい。

例えば、教科の知識面でより優れた者へ勝負を挑むことを目的として、チームを組んで、あちこちを放浪する、といったシナリオが考えられる。

チームの仲間は、それぞれ得意・不得意な教科分野を持っており、敵がある教科の学習内容をネタにして、チームに攻撃をしかけてくると、チームの中で得意な者がそれに応戦する。チーム員の持つ学習レベルが、敵よりも上であれば簡単に勝てる。各チーム員の学力は、ゲーム利用者の学力に比例するようにする。

敵に向かって使う呪文・コマンド・技を、例えば学習すべき英単語とし、意味や使い方を間違えると、主人公がダメージを受ける。ないし、敵にダメージを与えることができない。

より強い教科学習レベルを持った敵を探し出しては戦う。戦いに勝つ(敵の出した問題が解ける)と、レベルアップする。

敵が問題を出して来て、主人公がそれに答えられないと、敵の主人公に対する次の攻撃が有効になり、主人公がダメージを受ける。

敵毎に、その得意とする教科が決まっており、いろいろな敵が出て来るので、それに対応して、いろいろな内容の教科知識を身につけなければいけない。

敵を倒すと、その敵が自分たちのチームの一員になるようにすることで仲間を増やす楽しみが、この手のゲームには見られるが、その際、敵がチームの一員になろうとする確率が、主人公の学力が強いほど高くなるようにする。そうすることで、学力がないと、チームの仲間が増えにくくなるようにする。

敵の中でも、ラストボスが、教科上の最終仕上げとなる問題を出す。ラストボスをクリアすることで、一定水準の学力を付けたことが証明される。資格試験とかにも使えるかも知れない。

主人公の学力が高いと、封印をより解きやすくするとか、移動速度を大きくすることができるとか、主人公の学力に比例していろいろ能力面での特典を付けるようにする。

ゲームを進める上での鍵となるアイテムが、学力が一定以上ないと、手に入らなくする。利用者が結界を破るなどして、アイテムを手に入れる際に、パスワードを要求するようにし、そのパスワードは、教科学習上のキーワードであるようにする。パスワードがどんなものであるかを想像させるために、近くの石版などにヒントを書いておく。ヒントから連想されるパスワード内容は、日頃教科書をちゃんと読んでいる者にはすぐ分かるような内容にする。

○競技ゲーム

競技に勝つことで、目標達成感、他者に対する優越感を味わおうとする衝動に対応する。各社から発売されている、自動車レースゲームや野球ゲームなどがこれに当たる。

勉強を、スポーツ競技に例え、主人公が、教科修得の度合いを巡って、敵やライバルと対戦する。

例えば、野球でボールを投げる代わりに、相手に問題を「投げて」、相手が正答したら、問題の難易度に応じて、ヒット~ホームランと見なす。相手が誤答したら、アウトとする。

あるいは、マラソンのレースの代わりに、主人公が問題に正答すればするほど、前により速く進めるようにし、ひいては、ゴールにより短時間で到達することを可能とする。中盤過ぎから、問題の出て来る頻度や難易度を徐々に上げて行き、主人公の学力面でのスタミナを奪うようにする。

格闘技で、相手に対して、運動技の代わりに、「教科問題技」をかける。どの問題が一番解くのが難しいかを、主人公が判断し、それを相手に対してかける。主人公が相手に対してかける技は、主人公自身がその問題の正解を知っていないと、無効になるようにする。

上記のように、従来存在するスポーツゲームルールをそのまま流用するのでもよいが、更に一歩進めて、新たな種類の「頭脳スポーツ」を一から考え出す必要があるかも知れない。

○ボードゲーム

サイコロを振って、予め用意された道の上を、イベントを起こしながら進んで、ゴールを目指すゲームである。

ランダムにイベントが起きるので、何が自分に起こるか分からない、予測できない。将来なにが起きるか(よいことが起きるかも知れないと)期待する衝動に対応する。

例えば、「センチメンタルジャーニー(バンプレスト、PlayStation)」は、日本全国を、サイコロの枡目で旅行して進むシステムを持っており、主人公が、旅先で知り合いの女の子に出会い、女の子を誘って、自分が提示したプランの旅行を実行していくゲームである。

以下は、このゲームを勉強用に変更するためのポイントである。

・サイコロを振って、地図上を進む。地図上の各地点は、特定の教科に対応している。止まった地点で、その地点にゆかりのある教科に関する問題が出題され、主人公が正解できないと、ペナルティが待っている。一方、正解すると、さまざまな特典がもらえる。

・場面に応じて、学力ミニテストが行われ、その点数に基づいて、主人公の学力が変動する。

・女の子がある教科に対応しており、主人公がその教科について一定以上の成績を収めていないと、同行をokしてくれないようにする。

・主人公の教科成績がよいと、その教科に対応する女の子の好意の度合いが、上がりやすくする。

・通常の問題を解くマスに当たった場合、サイコロの出た目に従って、何の教科についての、どの程度の難易度の問題かが、ランダムに決まるようにする。

・ボーナスクイズマスに止まったら、主人公が、自分が得意な教科を選んで、その教科を題材とするクイズに挑戦できるようにする。クイズに正答したら、コインをたくさんもらえたり、女の子の好意がアップしたりするようにする。

・あるマスに止まったときに、主人公に学力があればあるほど、幸運なイベントがより起きやすくなるようにする。

・学力があればあるほど、一度に進めるコマの数が増えるようにする。

・学力があればあるほど、他のプレーヤからの攻撃を防御する力が増える。

○その他考慮すべき事項

・教科についての問題への回答時間は、35分を限度とし、答えられないと、自動的に不合格・負けと見なす。

・勉強好きな人の性格を「まじめ」だけに限定しないようにする。「攻撃的」「進取の気性に富む」など、いろいろあってよいのではないか?

・ゲームをクリアしたことが、そのまま利用者の、学力面での評判を、「彼女()は、あのテレビゲームをクリアできたのか。すごいね、優秀だね。」といった感じで上げることにつながるようにする。ないし、「○○のレベルの大学に合格するには、このゲームをクリアできればよい。」という定評が立つようにする。

・ゲーム中で出た問題については、回答直後に正答の解説を行う。その際の説明は、単なる文章ではなく、コンピュータのグラフィック能力を最大限に生かしたものとする。具体的には、問題を解く手順の解説に、3Dを採用したり、動きのあるアニメーション画像を用いるなどする。回答解説を行う役は、ゲーム中の登場人物でもよいし、専用のナレーターを使って、「説明しよう。この問題は...と解くのだ。」などと言わせるのでもよい。

・利用者が繰り返しゲームを行うことを想定して、ゲームをクリアして、もう一度やり直す毎に、基本的な解き方は同じだが、数値などが異なる問題が出るようにする。

2.勉強アニメ

○既存のアニメとの比較

体力や瞬発力がある、スポーツ・エリートや、通常人には持ち得ない魔力にたけた魔法少女とかは、アニメの主人公になりやすいが、勉強が好きな人物が主人公となる、勉強そのものが目的となった、アニメはないものか?

「美少女戦士セーラームーン」の、水野亜美とかは、勉強ができるが、魔力も有る。魔力がないと、勉強ができるというだけでは、アニメでは活躍できなかっただろう。

「コレクターユイ」の、如月春菜も、優等生であるが、勉強がメインではなく、コンピュータのバグを退治するコレクターハルナとして活躍するのが、アニメ登場の目的である。

勉強ができる人は、渦巻き眼鏡をかけたド近眼というイメージが強く、「ちびまるこちゃん」に出てくる、丸尾スエオとかだろうか?自意識過剰、エリート意識をぷんぷんさせる、あまり好ましくない人物として描かれる。もっとも「ちびまるこちゃん」では、勉強ができる人格者として、長山君も出てくるが。

スポーツで、つらい練習に打ち込み、大会などで勝ち進んでいくタイプのアニメは「プリンセスナイン(野球)」「YaWaRa!(柔道)」「大運動会(トライアスロン)」みたいに結構あるみたいだ。しかし、主人公が、勉強を一生懸命やって、テストとかで、よい成績を収めようとがんばるタイプのアニメには、まだお目にかかったことがない。

「ラブひな」は、主人公が、女の子と大学受験を目指す話なので、勉強主体かと一見考えられるが、実態は、恋愛コメディであり、勉強それ自体には、重きは置かれていない。

「七人のナナ」は、七人に分身したヒロインの中学生が、憧れの男子と一緒の高校に通えることを願って、勉強に恋に精進する話だが、これも、受験生の心情描写が中心となっていて、学習内容自体には余り触れられていない。

アニメーターには、いわゆる学校での勉強が不得意だった人が多いのだろうか。その割りには、異様に難解な設定を持つアニメが結構たくさん有り(lain」とか)、作成する側の知能指数はそれなりに結構高いとは思うのだが。

受験生をターゲットとしたアニメがあってもよいのではないだろうか。受験生が、学力向上のために、毎週見たくなるような作りのものがあってもよいのではないか。

○いくつかの考えられるタイプ

例えば、勉強・学習型恋愛シミュレーションゲームのコンセプトを、アニメに移植すれば、例えば男性向けなら美少女熱血勉強アニメとかが出来上がる。

普通アニメは、勉強のじゃまとして取り扱われがちだが、教科の学習とか、科学的センスの習得に役立つ情報をそこそこ折り込みつつ、例えば、従来スポーツ物で採用されてきた熱血・根性などを取り入れたり、なぜ勉強をすることが自分にとって必要なのか考えさせるようにすれば、結構教育効果があるのではないか?視聴者の将来設計に役立つような内容にすると、単なる「点取り対策アニメ」ではなく、もっと視聴者の人生を左右するスケールの大きなアニメになるかも知れない。特に、利用者が気に入った「萌える」キャラクタから、そのことを考えるように仕向けられれば、である。

従来、「○○の元ネタは、ガンダムおたくでないと分からないね」とか言われるが、この場合の元ネタを、教科書・参考書の内容とすることで、教科の内容を知っている者のみが、笑えたりする内容とするのもよいかも知れない。

スポーツ選手を題材に取り上げるアニメが多いのは、やはり、スポーツが派手な動きを伴うものだから、運動する姿の描き甲斐があるからかも知れない。それに比べて勉強は、机に座って動かずにするものという固定観念があり、それだと、ほとんど動きがなくて、アニメ用に描いても面白くない、というのが常識なため、アニメに採用されない、というのもあるかも知れない。

しかし、ここで思い出すべきなのは、勉強は、確かに身体は動かさないが、頭脳を使った思考活動という点では、十分に活動的であるということである。例えば、地理の勉強をしている最中は、世界中を旅行しているような感覚にはまるし、歴史の勉強をしている最中は、タイムマシーンに乗っているような気分になれる。ということは、こうした勉強中に頭の中で起こっている思考・感情、頭に浮かぶ光景などを、アニメ映像表現の対象とすればよいのではあるまいか。

あるいは、主人公が、数学や理科などの問題を解くために、いろいろなコンピュータ・シミュレーションを画面上で行ったり、ロボットやメカ生物に乗って、それを駆使して各種調査や実験を行う様子を、アニメで表現できれば、立派な勉強アニメが出来上がるのではないか?

ないし、主人公が、思考上の仮想世界に入りこんで、その中でさまざまな学力向上を目的とする冒険や戦闘を積み重ねていく、という筋書きも成り立つかも知れない。

○テスト心理描写による視聴者共感の獲得

勉強アニメで、視聴者の共感をより得やすいのは、テスト時~テスト後の主人公の心の動きを忠実に再現するストーリーだろう。

視聴者にとってより身近なのと言えば、実際に主人公が学校や予備校で試験問題を出されて、その問題を解き始めてから、解答時間が終了するまでの間の主人公の心の動きを脳内実況し、それに付随して、実際の解答用紙への書き入れ実況や、顔の表情や感情の変化を実況するタイプの物語表現であろう。 テスト中の緊張(問題が解けるかどうかワクワク~心配する気持)や、問題が解けたときの達成感・解放感、解答に失敗したときの挫折感をアニメで表現するのである。

主人公が、実際に問題用紙を見て、「おっ、これは解けるぞ。やったー、ラッキー。」と最初感じていたのが、解いていくうちに「あれー、こんなはずじゃなかったのに。どうすればいいんだ?」という困惑に変わり、終いに、解答時間が後5分とか1分とかなって、「うわー、もう間に合わない。困った、困った。どうしよう。神様、助けてー。」みたいな心理描写をしっかり行うことによって、視聴者の「あぁ、自分もそんな心理状態に陥ったことあるよ。」という共感を得ることができるのではないかと考えられる。

また、問題用紙と向かい合って、いろいろ解答の試行錯誤を行う様子、「あっ、こうすれば解けるかな?」「いや、ダメだった。これはマズイ。」「それなら、これはどうか?」「やったー、うまく行った」みたいな過程を、視聴者に実況することで、視聴者も一緒に問題を解く体験を追体験することができる。

また、試験終了直後、解答用紙が回収された後の心の動き、例えば友達に「ねえ、あの問題、答え何だった?」と無性に聞きたくなるとか、自宅に帰るまで「あの問題、あの答えでよかったのかな?」と不安になる心理とかもトレースすると、さらに共感を呼びやすくなると考えられる。

その際、正しい解答が何であるかを、主人公の問題解答中や、試験終了後のシーンでしばらく明らかにせず、視聴者に予想させる(例えば、前編の終わりまで正答が何であるか分からず、後編になって初めて視聴者に明らかにされる)というのも、視聴者を試験シーンに引き込む手として考えられる。例え、うまく解答できたように見えても、本当に合っているかどうかは分からない(実は、間違いをしている可能性ありな)ようにするのである。

そうすることで、探偵物、推理物のアニメと同様の、ワクワクする謎解きを視聴者が楽しめる。

主人公の答え(ないし視聴者の予想)が正しかったかどうか、主人公の元へと試験の答案が返ってきた時点で初めて分かるようにすることで、「試験何点かな?悪かったら(思ったより良かったら)どうしよう?」という答案返却時のワクワク、ドキドキ感を、主人公と視聴者が共有することができる。

点数が返ってきて「ああ、○○点だった。思いの他悪かったな、ショボーン。」とか、答え合わせをしているときの「あ、できていた。うれしい。」「何だ、こんなつまらない問題を間違えてしまったのか。ショックー。」「しまった、ケアレスミスだ。もったいない。」「こんな問題を解けないようでは高校生失格と言われちゃったよ。トホホ。」といった主人公の心の細かな動きを追って表現することで、視聴者も試験の持つ臨場感を、主人公と共有することができる。

試験が出来たと思って有頂天になっていた主人公が、答案返却で、一挙に落胆の底に突き落とされるとか、逆に、試験が出来なかったと、答案返却を恐れていた主人公が、思ったより点数が良くて思わず飛び上がるとか、毎回いろいろ心理描写ができる。

主人公と一緒になって答え合わせをすることで、「自分は主人公よりデキル!」とか、「自分も主人公と同じくこの問題分かんなかったよ。同じ穴のムジナだね。」とか、視聴者は自分自身と主人公を比較して、共感を持ったり、優越感を抱いたりなど、様々な反応を感じて飽きることがないだろう。

毎回違う問題が出題される試験シーン毎に、視聴者には今までとは違う反応が生じることになり、その点、毎回新鮮な気持ちで、勉強アニメ番組を視聴者は見ることができると考えられる。

あるいは、授業を受けている最中に、ミニ質問を出されて、席の順番で答えていかなければならない場面を毎回ストーリーで出すことで、自分の順番が近づいてきたときのドキドキ感や、当てられたときの答えられるかなーという不安感、答えられなくて怒られた時の落胆、逆に正答したときの得意な気持ちとか、主人公と一緒になってトレースすることで、視聴者は、日々の授業の実体験を、アニメ上で再度追体験して共感することができる。

あるいは、もう少し斬新な表現が欲しければ、学力テストを受けている最中の主人公の思考過程を、あたかも主人公の頭の中に入りこんだ感覚で、時々刻々と3Dでグラフィカルに表現して、視聴者に、主人公が問題を解いている最中の試行錯誤のありさまを追体験してもらう、というのもありかも知れない。

主人公は、設定によって、勉強がよくできるタイプだったり、逆に落ちこぼれ気味だったりいろいろ考えられる(あるいは、受験生とか、浪人とか、選手権出場とか・・・)。進学校への進学を狙う、勉強がよくできる視聴者は、優等生タイプの主人公に共感して、知らず知らずのうちに成績を競おうとするだろう。一方、勉強が余りできず授業に余り付いて行けてない視聴者は、補習を受けるタイプの主人公に共感して、主人公を自分自身の勉強のペースメーカーとして利用することで、共にあせらず学習理解を深めていこうとするだろう。

このように勉学の方向へと視聴者を導くことが、視聴者の成績を上げることにつながり、勉強アニメは単に見て楽しむだけでなく、実際の学力アップという御利益につながる、ということで評判を呼んで、視聴率もそこそこ取れるのではないか。

なお、大人も子供も主人公の試験風景を楽しんで視聴するには、試験や質問の内容が誰にでも分かりやすい、易しい小学生レベルのがいいのかも知れない。ただ、高校や大学受験生にターゲットを絞って、それなりに高度な試験問題を主人公に解かせる、お色気もありの深夜アニメ番組にすることも考えられる。あるいは、一般社会人向けの資格試験(簿記とか、情報処理とか・・・)準備を想定した内容でも良いかも知れない。そうすれば、子供だけでなく、より広い視聴者層を得ることも可能となる。

また、こうしたタイプの番組のスポンサーは、予備校とか大学みたいな教育機関になってもらうのが、番組中の試験問題提供協力も得られてよいのではないだろうか。

さらに、番組で出す問題を実際に出題された入学~資格試験問題にすれば、視聴者は、自分がこれから受ける試験に直接役立つと考えて、より真剣に番組を見るであろう。

○アニメの筋書き

勉強アニメの筋書きとしては、

例えば、上級学校への入学試験、あるいは、官庁・会社への就職試験、公的資格試験への合格を目指して、失敗、挫折を繰り返しながら頑張る、というのが思い浮かびやすい。当初目標としていた試験に合格するハッピーエンドもあれば、試験勉強を重ねるうちに当初とは違う目標を自分で見つけて、そちらに進んでいくという終わり方もある。

この場合、恋愛とからめて、自分が恋している相手と同じ学校に進学できるかどうか、ハラハラドキドキしながら試験勉強に取り組み、最終的に同じ学校に進めてよかったね、というのも考えられる。

こうした、人生の区切り目となる大きな試験への準備と本番経験というパターンとは別に、毎日の学校における、小さなテストや試練の繰り返しとそれに伴う喜怒哀楽(日々の小テストに失敗して挫折するとか)を積み重ねていく、というのもある。

恋愛のライバルと、試験でどちらがより優れた成績を取れるか、恋愛相手を賭けて何回も試験を重ねて競争し、最終的な勝ち負けを決するという筋書きも考えられる。

試験の度毎に、順位表を貼り出して、「よしこれで、連続学年10位以内だ」「あっ、あいつに負けた」とかいった達成感、対抗心を味わえるようにする。

この相手には負けられないという、学力面でのライバルを設定することで、よりアニメの筋書きが緊迫して面白くなることが考えられる。

落ちこぼれだった生徒が、ある小さな試験で満点を取ったのをきっかけに、勉学の道に目覚めていくというのも考えられる。勉強でつまずかないための学習上のコツを、主人公が、毎回のアニメで、自分が試験問題を解くのに成功・失敗することで、身をもって視聴者に伝授するというのもありだろう。

これらとは別に、一番できる学校を決定する、学校チームを単位とする選手権大会というのも考えられる。複数の生徒がチームを組んで、団体で、他の学校の生徒と、出題される問題をより速く正確に解く能力を競い合うというものである。競う単位は、団体単位でなく、生徒個人が学校を代表して競い合うのでもよい。あるいは、純粋に、出身学校の縛りのない個人と個人との間で、誰が一番、二番・・・を決める個人単位の選手権でもよい。

このタイプの実例としては、2つの小学生チームが互いにライバルとなって、科学の問題正答(ミッションクリア)を競い合う「科学アドベンチャー そーなんだ!」というアニメがあげられる。

または、賞金稼ぎと、学力試験とを結びつけて、「こちらが出す10個の問題(実際の入試問題とか)を全て解けた者には賞金○○○万円が与えられる」という条件を出して、賞金の欲しい応募者を募り、応募者同士で、出された問題を競争で解きながら星のつぶし合いをする、その応募者の中にヒロインが含まれるというのでもよい。

あるいは、地球に来襲した宇宙人と人類とが、存亡を賭けて、制限時間内の問題解き合戦を繰り広げるというのもありかも知れない。他国との戦争で、戦争の勝ち負けを、45人の選抜チーム(特定の年齢で揃える)が、互いに相手が出す問題を解けるかどうかで決する、というのも考えられる。

あるいは、冒険物アニメで、主人公が、行く先々の土地で出される問題、あるいは発見した未解決の封印問題を解くことで、トラップを解決し、その土地の人々を救うと共に、宝物を手に入れたり、自分のレベルアップを図っていくというのも考えられる。

あるいは、アダルトアニメで、相手の女性(女子大生の家庭教師とか)がエッチなことをしてくれる条件として、女性が出す問題を正解できるかどうかを設定し、主人公がよりよく解けるほど、エッチなサービス度(露出度、セックスの回数など)が増す、というのも考えられる。

テスト風景は、手ごわい問題を出して生徒を慌てさせようとする教師と、それに対抗・団結してより上手の解答を提出しようとする生徒たちとの間の闘争、駆け引きとして表現することも可能である。

また、一人の生徒にずっと焦点を当てるのではなく、クラスの中の様々な個性を持った生徒に順に問題を解かせて、視聴者がまるで教師になった気分で、生徒たちのいろいろな反応を楽しむような筋書きにすることも可能である。

(c)2000-2004 初出

日本人はなぜ英語がしゃべれないか?

-「和英」単語集の必要性について-

(c)2001 初出

(これは、日本人が英語をしゃべれない根本的な原因が、日本語→英語という方向の単語熟語の意味の対応付け訓練をやっていないからであり、この問題を解決するためには、競争で鍛えられて優れた学習効果を持つようになっている「英和」単語集並に学習しやすくなった「和英」単語集の登場が必要だと提言するものです。)

日本人は、英語を読むことはできるが話せない、ということは以前から方々で言われていることである。英語情報の受信はできるが、発信ができないため、例えば日本国内で出た画期的な研究成果が、なかなか英語圏の人々に伝わらない、とされている。

そこで新たに取られている対策は、英語を文字で読む訓練に加えて、耳で聞く訓練(リスニング)も行うことである。「耳で聞き取れれば、しゃべれることになる」とされており、例えば国際的な英語力判定テストTOEICでは、明確な形での英作文の試験は存在しない。

しかし、リスニング訓練を繰り返しても、聞くことはできるが、自分のしゃべりたい内容の英単語がとっさの場で思い浮かばず、話せない人が多いという。

アメリカ・カナダの大学に留学するために必要な英語力判定試験であるTOEFLのコンピュータ対応化で、ライティング(英作文)が必須になったが、それに苦戦を強いられる日本人が多いとされている。

なぜ、上記のような問題が起きるか?筆者は、その原因は、従来の日本人において、母国語である日本語から英語を連想する訓練が全くなされていないことにある、と考える。

読者の皆さんは、試しに、お近くの大きめな書店に出向いて、中学~高校の参考書売り場を見られると良い。書店店頭で見かける英単語集は、ほとんど全て、英語を日本語に直すための「英和」単語集ばかりであることに気づかれると思う。この傾向は、TOEICTOEFL参考書売り場でも同様である。

要するに、現在の日本では、英語から日本語へという方向の学習のみが行われている。日本語から英語へという方向の効果的な学習がほとんどなされていないのだ。

日本語→英語の翻訳作業であれば、英作文を学校でやっているではないかという読者の方もいるだろう。英作文の参考書は確かにある程度存在する(英文読解に比べると圧倒的に数は少ないが)。しかしそれらの内容を見ると、作成すべき英文の構文をどうするか、日本語特有の文章上の言い回しを正しい英語文法に則った場合どう書けばよいかに注意が行っているものばかりで、和単語→英単語の対応付けを行える「和英」語彙力の向上には全く関心が払われていないのが現状である。

英語でいざしゃべろうとするとき、英語で該当する単語が思い浮かばなかった場合、まず日本語の単語が出て来て、「これを英語では何と言うんだっけ?」と考える。日本語では語彙が豊富にあり、ほとんど考えずにしゃべることができるからである。

ここで、日本語→英語の対応を十分勉強することで、日本語の単語が意識の前面に出てくる前に、対応する英単語への置き換えが頭の中で自動的に行われて、英語が自然と口をついて出てくるようになる、と筆者は考える。

日本語→英語の方向の学習をしっかり行うことで、英語を豊富な語彙力をもって流暢にしゃべることが初めてできるようになるのではあるまいか?

日本人が英語をしゃべれないのは、外国人との付き合いが薄い単一民族だから、などというのとは恐らく関係ない。単純に、和英単語集を勉強していないから、自分の普段使っている和単語~熟語に対応する英語が出てこないために過ぎない。

また、英会話スクールでネイティヴな英語講師といちいちしゃべらなければ、英語はしゃべれるようにならないとまことしやかに主張する人が多いが、それはうそなのではないか?日本語→英語の対応付けを行う語彙数が一定以上あれば、自分の言いたい意味の英単語や熟語は自然と口からついて出てくるようになるのではあるまいか?と筆者は考えている。

ちなみに、筆者が大きな書店の店頭で確認できた、和英単語集は、

1)赤尾好夫編 綿貫陽補訂「和英基本単語熟語集」旺文社 初版1957(4訂版1992)

2)大石五雄監修「ニューアンカー英作文辞典」学習研究社 初版1993

のわずか2つだけである。しかも、2)は厳密には単語集とはいいがたいもの(辞書)である。

さらに、こうした数少ない和英単語集も、分野や重要性・使用頻度で日本語単語を配列する、といった工夫はなされておらず、単にあいうえお順に並べているだけで、覚える気力が沸きにくいことこの上ない。

そこで、次のような作業を行うことで、簡単に効果的な和英単語集を作ることができないであろうか?

既存の英和単語集は、英文読解の需要が多く、多様な種類のものが大量に市場に出ている。互いに競争が激しく、内容面で洗練されている。競争で鍛えられて優れた学習効果を持つようになっている出来のよい英和単語集の、「英和」と「和英」の関係をそのまま逆さにして、和英単語集にすることで、直ちに効果的な日本語から英語への単語連想が行えるようになるのではないか?具体的には、

1)まず学習者が解決すべき問題として与えられる例文を日本語で表示する。学習すべき和単語~熟語部分を、色を変えて書く。

2)学習者が学ぶべき単語を、日本語→英語の順に、対にして並べる。すなわち、学ぶべき和単語~熟語をまず左側に書き、その翻訳に当たる英単語を右側に複数書く。例文は、日本語文を先に書き、その翻訳として英文を次に書く。

3)最終的な解答となる、最初に呈示した問題文(日本語)の翻訳となる英文を表示する。

例えば、英語問題文、英単語と和訳、和訳文が三位一体で整理されて載っていて優れた「英和」単語熟語集として利用者の多い、鈴木陽一「DUO」アイシーピー (3 2000)において、英語と日本語の関係を逆転させる形で、問題例文とかはそっくりそのまま生かす形で「和英」単語集に変換すれば、極めて効果的な「和英」単語学習参考書となる、と考えられる。

英語で必要とされる語彙と日本語で必要とされる語彙とは、基本的な部分では共通であるから、「英和」単語集で登場する語彙はそのまま「和英」単語集で登場させればよいのではないかと考える。

(c)2001.6 初出

系統歴史学

-新たな歴史教育に向けて-

2009.12 初出

(これは、日本の歴史教育が、大量の固有名詞の機械的暗記に陥っていると指摘し、今後は、機械的な固有名詞、件名暗記中心から、現象中心の歴史の流れ把握が可能な、歴史の系統面の教育が必要だと提言するものです。)

現在の歴史教育においては、「○○年に、○○という人が、○○という事件を起こした」という感じで、固有名詞、件名暗記中心になってしまっている。

単なる機械的記憶量の多さ、細かさで、教育程度を判断することになってしまっている。

今後は、機械的な固有名詞、件名暗記中心から、現象中心の歴史の流れ把握が可能な、歴史の系統面の教育が必要になってくるのではないだろうか?

具体的には、以下のような項目について、系統立てて、かつ、それぞれの間の状態遷移フローが分かる形で、(個別の事象提示ではなく)一般的な法則、タイプ分けの形で説明すればよいのではないかと考える。

A

勢力

A1

勢力
(拡大、繁栄、衰退)

地図上で、一定の勢い、力を持つ人々の集まりについて、その勢いの拡大、縮小、消長のタイプや原因について説明する。
人々の集まりとしては、
・民族・人種
・政権
・企業等の組織
について言及する。
どのような原因で、勢力が伸張し、繁栄し、衰退し、滅亡したかについて説明する。
自分たちの勢いが拡大すると良いことで、縮小、滅亡すると悪いことであることを説明する。

どうすれば、勢力を伸ばし、繁栄し、その繁栄を維持できるか、衰退から立ち直れるかについての、歴史上の知見を与える。

B

権益

B1

権益
(資源、領土、人材・・・)

持っているとその持ち主(の人々)の生活レベル向上に役立つ、生きていくうえで必要な様々な利益をもたらす資源、物資や人材、領土と、その利益のタイプ、特徴について説明する。
権益の
・取得、奪取
・維持
・消滅
のきっかけ、取られた政策内容のタイプ等について説明する。

どういう風にすると権益を得やすいか、守りやすいか(失いやすいか)についての歴史上の知見を与える。

B2

侵略

侵略が起きる原因と、進行プロセスについて説明する。
原因としては、例えば、
される側:豊富な天然資源等の既得権益を保持している割に、軍事力、武装が弱い
する側:社会が不振で行き詰っており、その打開のために、他国の権益に目を付ける。あるいは、新たに勃興した勢力が、さらに伸張するために、既存の権益奪取に目を付ける。
等の内容について説明する。
いかに侵略を進めたか、いかに他国の侵略を防御したか、そのノウハウについて説明する。

どうすれば他国の権益を奪取できるか、どうすれば他国に権益を横取りされずに済むか、歴史上の知見を与える。

C

支配体制

C1

支配

国家とかにおいて、支配層と被支配層の関係がどのように構築され、維持され、揺らぎ、消滅したかについて説明する。
どういうタイプの人たちが支配層として君臨したのか、その支配が長期に渡った、あるいは短期に終わった理由について説明する。

どうすれば支配者になれるか、どうすれば支配を長期化できるかについての歴史上の知見を与える。

C2

体制、混乱

国家とかの仕組み、体制がどのように構築され、維持され、揺らぎ、消滅したかについて説明する。
どのような社会の仕組みが人々に受け入れられたか、あるいは嫌がられ反乱を起こされたかについて、実例をもとに、その理由についてタイプ分けして説明する。
どのような原因で社会が混乱し、その混乱が収まったかについて、タイプ分けして説明する。
自分たちの社会がうまく回るために、どのような仕組みを作ればよいかについての歴史上の知見を与える。

D

生活

D1

富裕と貧困

どのような場合に、どのようなプロセスで国や人々が富裕になり、あるいは貧困に陥ったか、貧困から抜け出したか、その原因、理由について説明する。

どうすれば富裕になれるか、貧困から抜け出せるかについての歴史上の知見を与える。

D2

自由、権利と圧政

どのようなプロセスで、人々が自由、権利を得たか、得た自由、権利を維持したか、失ったかについて説明する。
どのようなプロセスで、圧政が生じたか、それはどのようにして続いたか、どのようにして打破されたかについて説明する。


・どうすれば自由、権利を獲得し、維持できるか
・どうするとせっかく得た自由、権利を失ってしまうか
・人々から自由、権利を上手に奪うにはどうしたら効果的か
についての歴史上の知見を与える。

E

変化

E1

改革、変革
(保守、革新)

社会の仕組みを、(自分たちにとって)より良い形に変えようとする、複数勢力間のせめぎ合いのあり方、経過について説明する。
変革の主導権を握った勢力のタイプ(保守vs革新、バックグラウンドの職業の種類・・・)と、どのようにして変革の主導権を握ったのかについて説明する。
変革が、改革、革新的なのか、復古なのか、それらはいかなる原因で、どういうタイプの人物~集団由来で発生したのか説明する。
変革のプロセスがどのように進行し、いかなる原因で成功、失敗したかについて説明する。

どうすれば社会の仕組みをうまく変えられるかについての歴史上の知見を与える。

E2

反乱、革命

反乱、革命が起きる原因となる社会的問題(貧困、圧政・圧制)と反乱、革命が進行するプロセスについて説明する。
・どのような形で反乱が始まり拡大したか、指導者はどういうタイプだったか
・支配側はどのように火消しに動いたか、どのように反乱は平定されたか
・体制の転覆がどのように行われたか
・革命の結果、従来の支配層はどのような運命をたどったか、どのように支配層が入れ替わったか
法則の形で説明する。

どうすれば既存の問題多い支配層を打倒し、新たな勢力、政権を樹立できるかについての歴史上の知見を与える。

F

指導者

・反乱、革命を主導する
・体制を構築、維持する
・支配する
社会の指導者個人(王、首相、大統領・・・)~集団組織(政府、中央官庁・・・)のタイプについて説明する。
指導者の、
・人心掌握の手法
・知性のあり方
・運動性、実行力のあり方
・バックグラウンドとなる社会階層
等について、タイプ分けして説明する。

どのようなタイプの人が歴史に名を残す指導者になれるのか、自分が指導者になるにはどういう資質を身につければよいかについての知見を与える。

心理編-思考の小箱-

明るい、暗い性格について

説明:明るい・暗い性格について

2001.11-2005.09 初出

1.はじめに

よく、「自分はもっと明るい性格になりたいんですが..」という心理相談をする人を見かける。あるいは、日本社会が華やかなバブル期にあった1990年頃は、「人間は根明(ネアカ)でなくてはダメだ」という意見がよく聞かれたものである。このように、一般に性格が明るくなることが、人々にとって望ましいこととして捉えられているようである。

しかしながら、どういう性格が、なぜ明るい、暗いと考えられるのか、従来の心理学では、きちんと分析・整理されているとはいえず、より深い解明が必要である。

2.明るい性格とは

以下の表は、性格に明るさをもたらす要因について、明るい印象を与える形容詞を収集、グルーピングして、表形式にまとめたものである。

明るい性格

no.

項目名

説明

形容詞

1.

良さ・プラス性

1-1

肯定性

光の持つ明るさは、暗闇の持つ恐ろしさ、訳の分からなさ、見えない敵が襲ってくる怖さからの解放をもたらすので、生存に役立つとして、肯定的に捉えられる。

望ましい。よい。希望の持てる。人生を肯定する。落ち込まない。前向きな。

1-2

有効性・利便性

明かりがあると、暗くて見えなかったものが見えるようになって便利であり、生活上有効である。

生活上便利な。人の役に立つ。

1-3

正感情性

明るさは、その望ましさ、好ましさ故、人々の心に幸せ、喜びや楽しみといった、正の感情を生み出す。

幸せな。楽天的な。楽しい。喜びに溢れた。

1-4

合法性、正道徳性

明るいところでは、悪事を働くことが難しく、皆正しいことをしようと心がける。

合法の。正しい。

2.

陰の無さ

2-1

非隠蔽性

明るいと、ものに光が当たってよく見える。隠す(隠れる、見えない)ところがない。

駆け引きしない。裏表がない。悪意がない。公正な。誠実な。オープンな。物事によく通じている。

2-2

非陰影性・非疑念性

明るいところでは、陰影になって見えない(見えにくい)部分がないため、ものごとのありのままの状態を、いちいち疑ったりチェックせずにそのまま受け入れられる。

こだわりのない。引っかかるところのない。おおらかな。ひねくれない。素直な。

2-3

外出性

暗い室内から出て、明るい外の(他の人のいる)世界に積極的に出たり、外気に積極的に触れることで、人は心に明るさを得ることができる。

人づきあいのよい。引きこもらない。気兼ねをしない。開放的な。社交的な。

3.

クリアさ

3-1

明瞭性・明確性・合理性

明るいと、ものがはっきりよく見える。遠くまで直線的に見通せる。ものを見るときの確からしさが増す。

はっきりとした。くっきり見える。明晰な。明確な。

3-2

理解性

明るいと、今まではっきりしなかった、よく見えなかった物事がよく分かるようになる。物事に対する理解力が向上する。

賢明な。理解力のある。頭がよい。洞察力、分析力のある。

3-3

透過性

光がすっと射し込み、そのまま遮られることなく通っていくことができると、その部分が明るく感じる。

透明な。清らかな。

4.

熱さ

4-1

光熱性

明るい光(太陽)の持つ熱が、人の心を熱く、陽気にさせる。

陽気な。テンションの高い。弾むような。

4-2

活動性

明るい光(太陽)の持つ熱が、人々に運動エネルギーを与え、心を温め、その行動を活動的にさせる。

快活な。はきはきした。流暢な。元気な。活動的な。活発な。

5.

ドライさ

5-1

晴天性

天気のよい明るい感じの日は、雨が降っているときに感じるジメジメとしたウェットさ(湿度)から解放されている。

晴れやかな。カラッとした。

6.

輝かしさ

6-1

光輝性

光の当たった明るい部分は、暗いところから見ると、光り輝いて見える。

輝かしい。華やかな。

7.

健康さ

7-1

健康性・快調性

身体の調子が良く、不調・病的な部分がないと、元気に、活動的に振る舞え、周囲に明るい印象を与える。

健康な。元気な。快調な。

8.

まっすぐさ

8-1

直進性

光は、進む方向がまっすぐである。

心のまっすぐな。正直な。

9.

速さ

9-1

高速性

光は、進む速度が極めて速い。

速い。

3.性格の明るさの根源

「明るさ」は、本来、物理的な光が、人間の視覚における受容器細胞(錐体、桿体)を刺激し、神経系に明るさに関する情報を送り込むことで感じられるものである。その点、物理的な「光」(太陽光線、蛍光灯・・・)が、「明るさ」をもたらす源となる。

「明るさ」は人間の視覚を有効にする点、人間の環境適応能力を飛躍的に向上させる効果を持ち、その点、根本的な面で、人間にとってプラスの価値を持つものである、と言える。性格の「明るさ」が肯定的に捉えられる理由の根源も、この点にあると考えられる。

人間は光の持つ「明るさ」を手に入れた結果、生活上の様々な利点を享受できるようになった訳であるが、逆にそうした「明るさ」が持つ利点と同等な内容を人間が性格的に持ったときに、その人のその性格が「明るく」感じられる、と考えられる。その人が心の中に、周囲を明るく照らし出す「光」「太陽」「灯」に当たるものを持っていること、あるいは光の持つ性質と同じ性質を持っていることが、性格の明るさにつながる。

明るい性格は、色彩としては、白や淡黄色で表される。

性格を明るくすることは、以上の表中にあげた「明るさ」に関連した形容詞に対応する性格を持つように努力することで、できると考えられる。

4.暗い性格の整理結果

一方、「暗い」「根暗な」性格は、「明るい」性格の内容を逆転して捉えることで、具体的には、以下の表のようにまとめられる。

暗い性格

no.

項目名

説明

形容詞

1.

悪さ・マイナス性

1-1

否定性

暗闇は、見えない敵が襲ってくる、目に見えない落とし穴にはまるなど、生存を阻害するものとして否定的に捉えられる。

人生に対して否定的な。後ろ向きな。

1-2

非利便性

暗いと何も見えず、生活上不便である。

人の役に立とうとしない。不便な。

1-3

負感情性

暗闇は、そのマイナスさ故、人々の心に負の感情(悲しみ、怒り、不幸、痛み、攻撃性)を生み出す。

不幸な。悲しみやすい。怒りやすい。痛みのある。腹を立てやすい。

1-4

不法性・反道徳性

暗いと、こっそり悪事を働いても、周囲に露顕しないので、人々は、後ろめたさを感じつつ、悪いことをしてしまう。

悪い。後ろめたい。

2.

陰影の存在

2-1

隠蔽性

暗いと、ものがよく見えない。

裏表がある。閉鎖的な。

2-2

疑念性

暗いと、ものが陰になって見えにくいため、他人や物事の状態を、悪いことをしていないかいちいち疑ったり、チェックを入れたりする必要が出てくる。

疑い深い。

2-3

非外出性

暗い室内に閉じ籠もり、外に出て他人とつきあおうとしない。

引きこもりの。

3.

クリアさの欠如

3-1

不明瞭性

暗いとものごとがはっきり見えない。

明晰さに欠ける。はっきりしない。

3-2

不理解性

暗いと、ものごとがよく見えず、分からないままであり、理解力が低下する。

賢明でない。理解力、分析力に欠ける。

3-3

不透過性

光が、光を通さない不透明物質によってによって遮られると、その部分が暗く感じる。

不透明な。濁りのある。

4.

情熱の欠如

4-1

非光熱性

明るい光(太陽)の欠如が、人の心から情熱を奪い、陰気にさせる。

陰気な。

4-2

非活動性

明るい光(太陽)の欠如が、人々の運動エネルギーを奪い、その行動を非活動的にさせる。

不活発な。元気がない。

5.

ウェットさ

5-1

雨天性

天気の悪い暗い感じの日は、雨天時のジメジメしたウェットさ(湿度)に支配されている。

ジメジメした。

6.

輝きの欠如

6-1

非光輝性

暗い陰の部分は輝きに欠ける。

地味な。

7.

病気

7-1

不健康性・病性

身体に不調な部分、病的な部分があると、元気がなく、活発に行動できなくなり、暗い印象を与える。

不健康な。病的な。不調な。

8.

曲がり・歪み

8-1

歪曲性

進む方向が曲がったり、歪んだりするのは、光の持つ直進性を失っている。

つむじ曲がりの。心の歪んだ。ひねくれた。

9.

遅さ

9-1

低速性

進む速度が遅いのは、光の持つ高速性を失っている。

のろまな。

一言で言えば、暗い性格は、当人の心が「闇」に支配された、あるいは光を失った状態にあることを示している、と言える。

暗い性格は、色彩としては、黒や濃い灰色で表される。

5.明るい社会について

社会の明るさ、暗さについても、性格の明るさ、暗さを決定するのと共通の要因によって、その明暗が決まると考えられる。

例えば、日本の法務省が毎年行っている「社会を明るくする運動」は、犯罪や非行の防止と罪を犯した人たちの更生について理解を深め、人々がそれぞれの立場において力を合わせ,犯罪のない明るい社会を築こうとする運動だとされている。この場合、犯罪とは、悪さ、マイナスさといった暗さの象徴であり、それを更生によって、「暗い」犯罪者に、公正さ、他人の役に立つ、といったプラスの性質を「光」として与えようとするのが、「明るくする」ことにつながっていると言える。

一方、社会に出て行かずに、引きこもりの生活をしたり、社会の役に立つ労働をせず、いつまでも何もせずにぶらぶらしている「ニート」と呼ばれる人々も、外出して外の明るい光にあたろうとしないとか、社会にとって有益な活動をしないという点で、社会的に「暗い」と言える。こういう、別の意味でマイナスの価値を持つ人々が、将来を担うべき若者に多いことが、現在の日本社会を暗くしていると言える。こうした人々に社会的に有効な活動をする場を与え、閉じこもりを止めて社会に積極的に出て行かせようとする活動も、別の意味で「社会を明るくする運動」と言えるのではないか?

要は、社会の中の、人々の安定した、健康な生活を脅かしたり、有効な働きを失っている病的な部分=「暗さ」をなくし、人々が、変転する環境に対して適応していくのに有効な働きを、分担して積極的に行う社会が「明るい社会」ということになる。

その点、性格においても、社会においても、「より生活しやすい、うまく機能する」=「プラス」=「明るい」、「生活しにくい、機能しない」=「マイナス」=「暗い」と広く言えそうである。その点、「明るさ」と「(社会的)機能」の概念とは深い関係にあると言える。

「明るい社会」は、皆に、将来も積極的に生きていきたいという希望、「光」を与える社会である。この希望や光は、将来への「プラス」の展望、すなわち、生活がよくなるとか、より生き延びやすくなるといった予測が、晴れた山頂からの眺めのように、眼下に透明にクリアに広く開けることで生じる。

晴天時の山岳展望のように、純粋に視覚的な「明るさ」と、社会の将来展望みたいに、より思考的、価値的な「明るさ」との関連づけが、人間の神経系内でどのように行われているかは、まだよく分かっていないというのが現状であろう。その辺の関係を今後明らかにできればと考えている。

6.アンケート調査による確認

上記説明が正しいかどうか、上記説明で「明るい」とした性格が、実際に、その反対内容よりも「より明るい」と感じられているかをwebで調査した。

具体的には、「明るい」「暗い」性格についてのアンケートと称して、筆者のwebサイトに心理テストを体験しに集まってくる利用者に、「次の調査に回答してくれたら、心理テストが出来ます」という関所を設け、その関所のところで、「以下の性格を記した左右の文章の対を読んで、「より明るい」と思う方を選択して下さい」と回答を求めた。

その結果、上記説明で「より明るい」とした14項目中11項目で、実際に、過半数の割合で、統計的に有意に「より明るい」と感じられていることが分かり、ほぼ説明が正しいことが分かった。

一方、有意差がない項目が1項目あった(3.「裏表がない・ある」)。これは、「裏表がない」という表現が、主な回答者であった若年層に分かりにくかったためと考えられる。

統計的に有意に「より明るい」とされたものの、割合が50%に届かなかった項目は2項目あった(12.「輝かしい」と14.「速い」)。これらについては、「明るい性格を示している」とはあまり強くは主張できないかも知れない。

回答時期

200509月中旬

回答数 203

32.512

67.488

10 44.335

20 35.468

30 14.778

40 3.941

50 1.478

60 0.000

70 0.000

回答比率

〔1.良さ-悪さ〕

番号

項目内容
(仮説適合)

-明るい-

どちらで
もない

-明るい-

項目内容
(仮説不適合)

-Z得点-

有意

1

人の役に立とうとする

70.443

18.719

10.837

人の役に立とうとしない

9.420

0.01

2

人生に前向きである

60.099

18.227

21.675

人生に後ろ向きである

6.054

0.01

〔2.陰の無さ-陰影の存在〕

番号

項目内容
(仮説適合)

-明るい-

どちらで
もない

-明るい-

項目内容
(仮説不適合)

-Z得点-

有意

3

裏表がない

42.365

18.719

38.916

裏表がある

0.545

-.--

4

素直である

53.202

19.212

27.586

ひねくれている

4.061

0.01

5

社交的である

60.591

25.616

13.793

引きこもりである

7.731

0.01

〔3.クリアさ-クリアさの欠如〕

番号

項目内容
(仮説適合)

-明るい-

どちらで
もない

-明るい-

項目内容
(仮説不適合)

-Z得点-

有意

6

はっきりした態度を取る

55.172

23.153

21.675

取る態度がはっきりしない

5.444

0.01

7

物事がよく理解できる

50.739

28.079

21.182

物事がよく理解できない

4.966

0.01

8

透き通った感じが好きである

83.744

11.330

4.926

濁った感じが好きである

11.926

0.01

〔4.熱さ-情熱の欠如〕

番号

項目内容
(仮説適合)

-明るい-

どちらで
もない

-明るい-

項目内容
(仮説不適合)

-Z得点-

有意

9

陽気である

70.936

19.704

9.360

陰気である

9.791

0.01

10

元気である

68.966

16.749

14.286

元気がない

8.538

0.01

〔5.ドライさ-ウェットさ〕

番号

項目内容
(仮説適合)

-明るい-

どちらで
もない

-明るい-

項目内容
(仮説不適合)

-Z得点-

有意

11

取る態度が晴れやかである

67.980

24.138

7.882

取る態度がジメジメしている

9.831

0.01

〔6.輝かしさ-輝きの欠如〕

番号

項目内容
(仮説適合)

-明るい-

どちらで
もない

-明るい-

項目内容
(仮説不適合)

-Z得点-

有意

12

輝かしい

46.798

28.079

25.123

地味である

3.641

0.01

〔7.直進性-歪曲性〕

番号

項目内容
(仮説適合)

-明るい-

どちらで
もない

-明るい-

項目内容
(仮説不適合)

-Z得点-

有意

13

心のまっすぐな

63.547

16.256

20.197

心の歪んだ

6.749

0.01

〔8.高速性-低速性〕

番号

項目内容
(仮説適合)

-明るい-

どちらで
もない

-明るい-

項目内容
(仮説不適合)

-Z得点-

有意

14

速い

42.857

34.483

22.660

のろまな

3.555

0.01

[主要参考文献]

新明解国語辞典 第五版, 三省堂, 1997

新字源 改訂版, 角川書店, 1994

ジーニアス和英辞典, 大修館書店, 1998

The RANDOM HOUSE Thesaurus, Random House Inc., 1984

(c)2001-2005 初出

ドライ・ウェットさと温冷・明暗感との関連について

(c)2002.2-10 初出

[要約]

本文では、ドライ・ウェットな感覚と、温かさ・冷たさ、明るさ・暗さとの関連がどうなっているかについて述べる。

乾湿・温冷・明暗の感覚は、それぞれ異なる感覚のモードによって知覚されるが、それらの間には、

乾湿の次元

ドライ

ウェット

温冷の次元

冷たい

温かい

明暗の次元

明るい

暗い

といった相関関係が成り立つと考えられる。

1.ドライ・ウェットさと温冷感

人間は自分の体温に近い温度の存在物を「温かい」と感じ、体温より大分下がると「冷たい」と感じる。

「温かさ」を感じさせる体温を持つ相手が自分の身近にくっついている=互いに近い距離にあると、相手の体温を身近に感じて、「温かい」と感じる。相手との間に隙間がなくぴったり密着していると、互いの間にある体温で温められた空気が逃げない。一方、互いに離れていると、相手と間隔が空き、両者の隙間に冷たい風が入り込む余地ができるため、「冷たい」と感じる。

これは、物理的な距離だけでなく、心理的な距離にも当てはまる。相手との間に距離がなくなり、心理的な一体・融合感、密着感を強く持つ場合に相手のことが「温かい」と感じられる。そして、そのままそこに定住・定着することで互いに心理的に近い、互いに「温かい」と感じる状態を維持し続けることができる。ここで各自がその場に静止せずにバラバラに独自の方向に動くと、相互の間の一体感が失われ、「冷たい」と感じるようになる。

対人関係がもたらす心理的な温かさ・冷たさに関しては、「温情」インタフェース・デザインのページへのリンクを参照されたい。

この場合、相手との間の心理的な一体・融合や密着、その状態の現状維持といったキーワードは、ドライ-ウェットさの次元からは、互いに心理的に近づき合うこと、近づき合ったままその場に定着することを指向する点、全て「ウェット」さと関連がある。

すなわち、心理的に一つになろうとすることは、互いに近づき、引きつけ合おうとする、引力のような力がそこに働いていることを示しており、この力は、人間に対して「ウェット」な感覚をもたらす現実の液体分子間に働く分子間力とのアナロジーで捉えることができる。

また、心理的にひとまとまりになった状態で定着し、そこから動こうとせずに相互の温かい関係を維持しようとすることは、あちこち動き回るために必要な運動エネルギーが小さいことを示している。ドライな感覚を人間に与える気体分子が絶えず方々へと大きく動き回って、互いの間の隙間を大きく取るのに対して、ウェットな感覚を与える液体分子は、互いにくっつき合った状態であまり動き回らない。これは、液体分子の運動エネルギーが小さいことを示しており、「温かい」状態を保つための定着についても、ウェットな液体分子運動とのアナロジーで捉えることができる。

こうした「近さ=ウェットさ」がもたらす「温かさ」は、遺伝的な「近さ」にも関係する。例えば、親子関係は、互いの間の遺伝子の共通性の高さ、すなわち遺伝的な「近さ」によってつながる、強固な温かさを備えた人間関係である。

相手との共通性の高さが心理的近さ=温かさをもたらし、ひいては互いに相手に対して魅力を感じて近づき合い、その状態をそのまま維持することで心理的引力=ウェットさをもたらす、と言える。

以上述べた、「温かさ=ウェットさ」、「冷たさ=ドライさ」の相関は、1999年度に筆者が行った、性格・態度のドライ・ウェットさに関するアンケート調査結果からも支持されている。次の表は、調査結果をまとめたものである(回答者約200)。「人当たりが冷たい」方をドライと評した回答者の割合が、「温かい」方をドライと評した回答者の割合よりも有意に多いことが分かる。また、寒冷色の青を好む方が、暖色の赤を好むよりもより「ドライ」と評されている割合が有意に高いことが分かる。

項目
記号

項目内容
(仮説=ドライ)

ドライ

どちら
でもない

ドライ

仮説内容
(仮説=ウェット)

Z得点

有意
水準

E25

人当たりが冷たい

52.245

17.959

29.796

人当たりが温かい

3.879

0.01

F19

青い色を好む

69.820

12.162

18.018

赤い色を好む

8.235

0.01

2.ドライ・ウェットさと明暗感

明るさ・暗さは、地球上での人類の生活においては、太陽の日差しの有無と大きく関わっている。一般に、太陽の日差しが注ぐ晴天は「明るい」、太陽の日差しが届かない曇天~雨天は「暗い」感じがする。

雨がいったん降ってから止んだ後しばらく経つと、雨水は太陽の熱によって蒸発し地上から消えていく。この場合、湿った水たまりは、日陰の暗い場所にずっと残りやすい、明るい日向は乾いている、ということは経験上広く知られていることである。

こうした説明からは、人間の生活上の感覚としては、「暗い=日陰=水たまり(水分の蒸発が少ない)=ウェット」「明るい=日向=水分の蒸発=ドライ」という相関関係が成り立つ、と言える。

また、日本語では、人間の性格を表すのに例えば「陰湿」という言葉が頻繁に使われる。この言葉は、「陰=暗さ」と「湿=ウェットさ」とが互いに強く結びついている、相関関係にあることを示している。

以上の説明から、「明るさ=ドライさ」、「暗さ=ウェットさ」とまとめることができる。

なお、これと関連して、人間の性格の明るさ・暗さについては、「明るい」性格についてのページへのリンクを参照されたい。基本的には、「明るい性格=ドライな性格」と捉えられる、と言えそうである。

すなわち、明るい性格の方が、

1)対人関係が、引きこもらず、外に積極的に出るということで、開放的である点、ドライである

2)態度が、より元気、快活、活動的であるということで、よく動く点、ドライである

3)物の捉え方が、物事をより明瞭に、クリアに捉えようとするということで、合理的である点、ドライである

と捉えられる。

以上述べた、「暗さ=ウェットさ」、「明るさ=ドライさ」の相関は、200210月に筆者が行った、性格・態度のドライ・ウェットさに関するアンケート調査結果からも支持されている。次の表は、調査結果をまとめたものである(回答者約210)。「人当たりが明るい」方をドライと評した回答者の割合が、「暗い」方をドライと評した回答者の割合よりも有意に多いことが分かる。

項目
記号

項目内容
(仮説=ドライ)

ドライ

どちら
でもない

ドライ

仮説内容
(仮説=ウェット)

Z得点

有意
水準

3

人当たりが明るい

64.929

15.166

19.905

人当たりが暗い

7.101

0.01

3.明るい性格と温かい性格との不両立

上記結果を文字通り解釈すると、「明るい性格(=ドライな性格)=冷たい性格」「暗い性格(=ウェットな性格)=温かい性格」という相関が成り立つことになる。これは「明るい、かつ、温かい性格」という人間にとって望ましい性格同士の間に矛盾が存在することを示している。明るくかつ温かい心を備えた人間というのは理想的ではあるが、現実には成立し難いものである、と言える。要するに、「明るい」性格と、「温かい」性格というのは、両立しないのである。

4.ドライ・ウェットさの表現と色彩コーディネート

以上から、色彩を用いてドライ・ウェットさを衣服や生活用品上に表現しようとする場合、ドライさは、「冷やかな、明るい」色を、ウェットさは「温かい、暗い感じの」色を用いれば効果的と考えられる。

具体的には上記[要約]の項目内にある、ドライ・ウェットさと温冷、明暗感との相関をまとめた表の色使いを参照されたい。

(c)2002.2-10 初出

陰湿さについて

2006.07 初出

陰湿さは、暗さ (陰)とウェットさ(湿り)の合体、合成した感覚である。

日常生活においては、水たまりとかは、暗いところでは、日光が当たらないので、乾きにくく、いつまでもウェットな液体の水のままであり、明るいところでは、日光が当たって乾き、ドライになるという関係がある。

要は、明るい=ドライ、暗い=ウェットという関係が成り立つ。

陰湿さは、次の複数の要素からなると考えられる。

(1)[ウェット]相手に対して、ベタベタ粘着的であり、繰り返し頻繁にネチネチしつこく働きかけを行う。

(2)[暗い]相手に対して、相手にとってマイナス、ネガティブ、逆機能なことをする。いじめ、いやがらせのように、相手がいやがることをする。

(3)[暗い]非合法なこと、やったことを表に出すと非難されること、やってはいけないとされることを行う。暴力行為、金を奪う行為、強姦等の人権侵害行為を行うとかいうのがそれである。

(4)[暗い]裏でこっそり隠れて行う。秘密にする。表に出さない。表面的には、いいこと、何でもないことをしているように振る舞う。表面をきれいに飾りたてて、見た目には問題ないように見せかける。あるいは、表面的には仲のいい振りをして、裏で陰口を叩く。

こうした対人関係の陰湿さは、高湿度で、湿気でジメジメした日本の社会風土、ムラ社会では、会社でも学校でも普通にみられることであり、日本文化の特徴であるといえる。

また、対人接触を頻繁に行い、表面をきれいに飾ることが好きな、女性的な特徴であると見ることもできる。

2006 初出

温かい、冷たい性格について

説明:温かい(冷たい)性格について

(c)2000.05-2005.09   大塚 いわお

1.はじめに

我々の会話では、よく「Aさんは打算的で冷たい人だ」、「Bさんは思いやりのある温かい人だ」といったことが頻繁に出てくる。この場合、性格、人当たりの冷たさはマイナスに、温かさはプラスに取られることが多い。

従来、社会心理学では、「冷たい-温かい」の対人感覚軸について、従来から、その重要性が指摘されて来た。

例えば、 Asch 1946〕では、人の性格を表す特徴の中に、ある一言が入ることによって、その人物の全体的印象が大きく変わること、具体的には、「温かい」もしくは「冷たい」という形容詞を入れ替えただけで、その人物の最終的な全体印象に大きな違いが生れることが、指摘されている。この場合、人物の全体印象を決定づけるのに、「冷たい-温かい」の対人感覚軸が、「中心的特性」として、大きな影響力を持っているとされている。

このように、性格の温かさ、冷たさは、付き合う相手に与える印象に大きな影響を持っていると言える。付き合う相手と良好な人間関係を持ったり、相手に自分のことを肯定的に受け入れてもらうには、「温かい」性格を自分自身備えるように常日頃努力することが必要となってくる。

また、温かい性格を持つことで、自分が所属する集団・組織の緊張・ストレスをほぐして作業効率を向上させたり、医療・福祉施設などでの看護・福祉水準を向上させることができる効果がある。

以下の本文では、相手に温かい感じを与える対人関係がどのようなものであるかを、7つの原則と、詳細なチェックリストの形にまとめて提案している。

2.「温かい」人間関係とは?

「温かい」人間関係とはどのようなものであるか。それを探るために、既存の人間同士の関係における、温かさを実現するための、様々な社会関係のあり方や社会的相互作用のための技術(ソーシャル・スキル)を以下にまとめた。

温かさの源泉となる社会関係や活動には、

1a)友人、恋人(恋愛)、家族関係

1b)血縁、地縁~通信で互いにつながれた共同体(コミュニティ)関係

2)看護、保育、福祉、カウンセリングといった、職業活動

3)ボランティア、寄付、募金、歳末助け合いといった、社会活動

があげられる。

これらについて、以下に、詳しく説明する。

(1)友人・恋人・家族関係

(1a)友人関係

友人関係の特徴は、[Thibaut,Kelly 1959]によれば、好意の相互性、[Heys 1988]では、相互の引き付合い、自発的相互依存、いっしょにいると楽しいこと、[Wright 1974]では、親密さ、愛情、相互援助、とされている。

また、友人のルールとは、[Argyle,Henderson1985]によれば、自発的援助、相手のプライバシーの尊重、約束を守ること、相互信頼、相手のいないときに代役をする、相手を公の場で非難しない、といったものとされる。

友人関係の親密度の判別には、[中村 1989]によれば、

1)自己開示(自分の趣味や関心事について話す、個人的な問題や悩みについて打ち明ける)

2)相手の評価的行動(何事につけ気をつかう、何かにつけ相手を喜ばそうと努める)

3)自分と友人の近接性行動(会うのに多くの時間を当てる、何かにつけ相手を誘う)

4)相手に対する謝恩感情(負い目を感じる、すまない)

5)関係関与性(友人との関係の持続を望む程度、自分が友人との関係に深くかかわっている程度)

といった項目が説明力を持つとされる。コンピュータのインタフェースをより友情ある(友人関係に近い)ものとするためには、こうした項目で高得点をあげるようにすればよい、と考えられる。

あるいは、友人関係を緊密なものにする条件は何か、緊密性(closeness)はどのようにして表出されるかについては、[Parks & Floyd 1996]が明らかにしている。同性、異性の友人関係における緊密性の定義として頻繁にあげられた要素には、

1)自己開示(互いにどのようなことでも話す)

2)援助とサポート(互いに助け合う、互いにそばにいる)

3)共有された関心と活動(共通の背景、興味関心、嗜好、価値、信念、活動を持つ)

4)関係的表出(緊密性や関係の価値について、表出する)

があったとされる。

(1b)恋愛関係

恋愛(Romantic Love)関係は、上記の友人関係が、異性間のものだった場合に、より強められた形で出てくるもの、と考えられる。

恋愛関係の特徴は、[Rubin 1970]によれば、(1)親和・依存欲求(一緒にいたいなど)がある、(2)援助傾向(相手が落ち込んでいたら、元気づける)(3)排他的感情(相手を独占したい)、といった点にあると考えられる。

(1c)家族関係

家族関係は、上記の恋愛感情を通過して、結婚した者同士の関係(夫婦関係)、夫婦が子供を作って育てる際に生じる関係(親子関係)、子供同士の関係(兄弟姉妹関係)に分けられる。

夫婦間の心理は、恋愛関係時に比べて、より制度化・固定化されて、安定している。

親子間・子供間の心理は、血のつながりがある点、相互の同一性が高く、自然と打ち解けた、遠慮のいらない関係ができあがる。

(2)共同体(血縁、地縁~通信による結びつきによる)

共同体は、社会学では、ゲマインシャフト、コミュニティ(MacIver,R.M.)などと呼ばれてきたものである。

[Toennies 1887]によれば、共同体の中では、人々は、全人格をもって感情的に互いに融合し、親密な相互の愛情と了解の下に運命を共にする、とされる。

こうした相互の親密さ、感情的融合、愛情などが、共同体の心理の特徴といえる。これらの心理が、人間に「温かさ」を感じさせるものになっていると考える。

(3)看護・保育・福祉・カウンセリング

看護婦(看護士)、保母(保育士)、ソーシャルワーカー、カウンセラーの役割は、病人や幼児など、弱い、手助けを必要とする相手に援助の手を差し伸べることにある。

こうした弱者支援は、弱者に対する温かい思いやりが前提となり、その点で、人に対する温情が存在すると考えられる。

(4)社会活動(ボランティア、寄付・募金など)

寄付や援助などの社会活動の根底にあるのは、困っている人を助ける(援助する)することで、人の役に立ちたい、という考え方である。すなわち、自分が他人に助けられた時、人の心の温かさに触れる思いがしたので、その温かな感じを、少しでも多くの人に分け与えたい、などといった、人に対する温情と直結した動機が、そこには含まれると考えられる。

こうした温かな人間関係をもたらす心理的な背景としては、

(1)心理的近接

他者が、心理的に、自分のすぐ近くにいることを感じられる時、他者の体温を、より身近に「温かく」感じられる。したがって、他者の行動を「温かく」感じる。

心理的な近さは、他者が、自分と共通・同一の考え方を持っていると近く、自分と異質・反対の考え方を持っていると遠く、感じられる。

(2)環境適応=体温維持への貢献

他者の行動が、自分の体温維持=生命維持(生存)に貢献する(役立つ)場合に、他者のことが温かく感じられる。すなわち、他者の行動が、自分の環境適応(環境の中で生き延びること)に役立つ場合、他者について「温かい人だ」という感じが得られる。

他者(例えば親や友人)が、自分と反対の意見を述べても、それが、自分のためを思っての意見だったと理解した場合には、温かく感じられる。

といった点が考えられる。

こうした点からは、性格の温かさ・冷たさは、人間の体温感覚と深い関係がある、と言える。心理的に他人の体温の温もりを感じることができると「温かい」と感じ、そうでないと「冷たい」と感じる。

温かな人間関係は、人間がよりよい条件で生存していくために、互いに協力しあって行く上で、その心理的な基盤となるものであり、人間らしいhumanな気持ちを保持する上で、欠かせない。

温かい人間関係が構築されることによって、人間は、より心理的に安定し、他者に対して、友好的な心理的傾向を強め、ひいては、厳しい自然環境下を生き延びていくために必要な協力(思いやり)行動を、自ら進んで積極的に行うようになると考えられる。従って、温かい人間関係は、人間の生存・増殖の可能性を増大させる行動を取らせる上で、効果があると考えられる。 それゆえ、温かい性格の持ち主は好かれ、冷たい性格の持ち主は遠ざけられることになる。

3.その他考慮すべき事項 -「ソーシャル・スキル」など-

(1)「温かい」認知との関連

[海保 etal. 1997]では、認知心理学において、従来の人間の知的側面に焦点を当てたアプローチを「冷たい」ものと捉え、それと対比する形で、人間の感情に焦点を当てたアプローチを、「温かい」認知として、捉えられることを明らかにしている。この知見からは、人間が豊かな感情(喜怒哀楽)を備えていることが、性格の温かさにつながる、と考えられる。

(2)親和欲求との関連

社会心理学における、人間の持つ、他人と一緒にいたい、という欲求、すなわち「親和欲求」の概念と、心理的温かさとの関連を考えた場合、他者と心理的に近くにいることで、他者の温もりを感じることができる、ということが想定される。他者への好意や心理的な接近を図ることが、心理的な温かさを、周囲に与えることにつながる、といえる。

(3)コンサマトリ(cosummatory)コミュニケーション

[磯崎 1995]によれば、人間同士のコミュニケーションには、

1)道具的(instrumental)コミュニケーション 目標達成の手段としてのコミュニケーション

2)コンサマトリ(consummatory,自己完結的)コミュニケーション 緊張解消などコミュニケーションを行うことそれ自体が目的であるコミュニケーション

とがある、とされる。

互いに温かい心の通い合った関係では、互いに話をしたり、一緒にいること自体が楽しく、幸せに感じられるものである。その点、コンサマトリ・コミュニケーションが成立することと、人間関係の温かさとの間には大いに関係があると言える。

(4)人間関係の「対等さ」との関連

人間同士の間に、温かな関係が構築されるには、両者の間での、関係・権利上の対等さが必要であると考えられる。互いに、相手を平等に認め合う、権利を尊重し合うといった気持ちがないと、一方が他方を一方的に、利用・搾取する、「冷血的」な関係に陥るからである。

温かい人間関係の構築には、互いに相手のことを、自分と対等に思いやる、温かい気持ちで接する、という、「温かさの相互性・対等性」といったものが必要となる。

(5)「ソーシャル・スキル」との関連

「温かい」社会関係や活動の根底には、人間的な温もりや共感などを構築・維持しようとする「ソーシャル・スキル」が働いているものと考えることができる。

ソーシャル・スキルとは、[相川 1995]によれば、対人場面において、他者との関係が肯定的となるように、相手に効果的に反応するための対人行動、と定義される。これを、コンピュータと相手との関係に置き換えた形で再度まとめなおすと、以下のようになる。すなわち、コンピュータが相手に対して持つべきソーシャル・スキルとは、 コンピュータ使用場面において、コンピュータと相手との関係が肯定的となるように、コンピュータが相手に対して効果的に反応するための対人動作、のことを指す。

ソーシャル・スキル自体は、単に、対人関係のうまさ(上手さ)、そつのなさといった、対人関係技術の側面を表す言葉としても用いられるので、対人関係の温かさそのものを、表しているわけではないことに注意する必要がある。

ソーシャル・スキルにおいては、対人関係維持や、他者との共感的・援助的かかわりに関するスキル項目が、温かさに関係ある、と考えられる。

「温かさ」に関係のある、具体的なソーシャル・スキル項目は、

1)[菊地、堀毛他 1994]にあげられている100のソーシャル・スキルリストの一部、

2)[庄司他 1990]の子供の社会的スキルを測定する尺度のうち、共感・援助的かかわりに関する部分、

3)[Buhrnmester et al 1988][和田 1991]における社会的スキル尺度のうち、関係維持に関する部分、

4)[菊地 1988]における、思いやりに関する尺度である、KiSS-18尺度の全部

である。

4.まとめ(温かい性格の条件)

以上の内容を踏まえて、具体的に、どのような内容を持った対人関係が、「温かい」と呼べるのか、について、以下の表にまとめた。

1.

好意・接近

相手に対して、好意を持って接近し、親密な関係を構築しようとする。

2.

愛着

相手との間に構築した、親密な関係(親近感、一体感)を維持する。

3.

援助・ケア

相手の幸福が向上するように援助を行う。相手に対する思いやりや配慮を欠かさない。相手に親切にする。(自分のことを考えると同時に、相手のこともきちんと考える。)

4.

リラックス・安心

相手の緊張を解除する。相手を安心させる。

5.

受容・共感

相手のことをあるがままに受け入れる(相手のことを肯定する)。相手と共感を持つ。

6.

豊かな感情

表情など複雑で豊かな(単調でない)感情を、相手に対して表出する。

7.

無償の奉仕

損得勘定抜きで、対価や利益を求めることなく、相手に対して有益なことをしようとする。ボランティアをする。

上記の項目(必要条件)を満たした対人面での性格が、相手に温かさを与える、と考えられる。

これらの項目が「温かさ」を持つ理由は、究極的には、

(1)心理的近接

心理的に、相手の近くにいようとする。

(2)環境適応への貢献

相手の生存を助けようとする。

2項目にまとめることができる、と考えられる。

(付記) 「冷たい」性格について

従来、ビジネスの世界においては、対人関係を何らかの目標達成の手段・道具として捉える視点に立ち、さまざまな利益計上や効率追求などの目標・課題達成しやすさ、すなわち生産性の向上に主眼を置いていた。

しかし、こうした見方では、対人関係は、ビジネスライクな感じのする、冷たくドライな感覚で結ばれることになりがちである。こうした対人関係は、間に温かい血潮が通い合わない、「冷血(cold-hearted)」関係とでも呼ぶことができる。この場合、冷たさの原因は、自分の利益のみを考えて、他人の利益や福利厚生に思いが至らない、自己中心的な打算に基づく、という点にあると考えられる。

こうした対人関係の冷たさは、大きく分けて、「道具的冷たさ」と、「論理的冷たさ」「知的冷たさ」の3通りに分類することができる。

「道具的」対人関係は、対人関係を、何かをするための手段・道具としてしか見ようとしない視点で作られた関係である。 この関係は、一方の人間が、仕事で最大限の成果をあげるために、他者を、自分の部下・手足として、可能な限り、思いのままにこき使うことを前提としたものである。そこには、対人関係を、一方的な支配-従属(隷属)関係で結ぼうという考え方が見て取れる。こうした対人関係からは「道具的」冷たさが生じる。

「論理的」対人関係は、全てを、01か、「はい」「いいえ」、「合法である」「違法である」の論理に還元することを通してしか捉えることのできない、従来のコンピュータ技術者や法律を駆使する役人などに見られがちな関係のあり方である。その特徴としては、融通が効かない(杓子定規である)、感情がない(抑揚がない)、応答が単調である(ワンパターン、同じ動作を繰り返す)、感触が固く冷たい(金属的である、 ソフトさに欠ける)、といった点があげられる。こうした対人関係からは「論理的」冷たさが生じる。

「知的」対人関係では、人々は、人間の奥底にある感情的な側面を押し殺し、知識のみを取り出して、互いに「冷静に」やりとりしようとする。そこでは、人間の知的な能力を向上させることに専ら関心が行き、人間同士の情緒的な結びつきといった側面に関心が向かない。そのため、対人関係は、知的に洗練されてはいるが、冷たくてドライなものとなる。こうした対人関係からは、「知的」冷たさが生じる。

こうした 「冷血的」関係は、[Toennies,F.,1887]の理論からは、「ゲゼルシャフト(gesellschaft)」とも呼ぶことができる。Toenniesによれば、ゲゼルシャフトとは、諸個人が互いに自己の目的を達成すするために形成した社会関係のこと を指し、その関係は、人工的機械的であり、そこでの人間同士の結合は、人格のごく一部のみをもってする結合である。そこでは、人々は利害や打算に従って行動し、返礼や反対給付が必要となる。また、このゲゼルシャフト的社会関係においては、人々は、表面的にはいかに親密に振る舞うとしても、なお不断の緊張関係におかれ、あらゆる結合にもかかわらず本質的には分離している、とされる。

以上の内容を踏まえて、具体的に、どのような内容を持った対人関係が、「冷たい」と呼べるのか、について、以下の表にまとめた。

1.

嫌悪・無視

相手のことを嫌悪を持って避けよう、無視しようとする。

2.

疎遠

相手と近づこうとしない状態を維持する。

3.

非援助・不親切

自己中心的である(自分さえ良ければ、他人はどうなっても構わない)。相手に対して嫌がらせを行ったり、当然すべき援助を行わない。相手に対する思いやりや配慮をしない。相手に不親切にする。

4.

緊張・不安

相手を緊張させる。相手を不安にさせる。

5.

拒否・相違

相手のことを受け入れようとしない(相手のことを否定する)。相手と共感を持たず、意見が違うことを強調する。

6.

感情の欠如

知的で論理的だが、表情や発話に感情がこもっていない。

7.

打算・ビジネスライク

相手が自分に(主に金銭、労力的な)利益(儲け)をもたらす限りにおいて相手と付き合う。相手との付き合いが損得勘定に基づいている。自分にとってビジネス、得にならない相手を容赦なく切り捨てる。

上記の項目(必要条件)を満たした対人面での性格が、相手に「冷たさ」を与える、と考えられる。

これらの項目が「冷たさ」を持つ理由は、究極的には、

(1)心理的離反

心理的に、相手から離れようとする。

(2)環境適応への不貢献、障害化

相手の生存を助けようとしない(じゃましようとする)

(付記)web質問票調査による確認

上記の、温かい・冷たい性格についての記述が、実際に温かい・冷たいと感じられているかどうか確かめるwebを用いた調査を行った。

具体的には、「温かい」「冷たい」性格についてのアンケートと称して、筆者のwebサイトに心理テストを体験しに集まってくる利用者に、「次の調査に回答してくれたら、心理テストが出来ます」という関所を設け、その関所のところで、「以下の性格を記した左右の文章の対を読んで、「より温かい」と思う方を選択して下さい」と回答を求めた。

合計で200名程度の回答を得て、以下のように分析した結果、上記の、温かい・冷たい性格についての記述全てが、実際に温かい・冷たいと感じられていることを確認できた。

回答時期

200509月中旬

回答数 202

29.208

70.792

10 48.515

20 30.693

30 12.871

40 5.446

50 2.475

60 0.000

70 0.000

回答比率

〔温かい-冷たい〕

番号

項目内容
(仮説適合)

-温かい-

どちらで
もない

-温かい-

項目内容
(仮説不適合)

-Z得点-

有意

1

他人に好意を持って接近しようとする

73.762

17.327

8.911

他人を無視しようとする

10.137

0.01

2

他人と親密な関係を保とうとする

66.337

18.812

14.851

他人と疎遠であろうとする

8.121

0.01

3

他人に対して援助を行う

70.792

20.792

8.416

自分さえ良ければ、他人はどうなっても構わない

9.961

0.01

4

他人を安心させようとする

81.683

15.347

2.970

他人を不安にさせようとする

12.159

0.01

5

他人と共感を持とうとする

58.911

27.723

13.366

他人と意見が違うことを強調しようとする

7.614

0.01

6

豊かな感情を他人に対して示す

66.832

22.277

10.891

他人に対する表情や発話に感情が伴わない

9.018

0.01

7

他人に対して、損得勘定抜きで有益なことをしようとする

63.861

27.723

8.416

自分にとって得にならない他人を容赦なく切り捨てる

9.269

0.01

1-7について、全ての項目で、当初「温かい」と予測した側の文章が、統計的に有意に、より多く「より温かい」として選択された。

[参考文献]

相川 1995 ソーシャル・スキル 小川一夫監修 改訂新版 社会心理学用語辞典 北大路書房

Argyle,M. Henderson,M. 1985 The Anatomy of Relationships Penguin Books Harmondworth

Asch,S.E. 1946 Forming impressions of personality : Journal of Abnormal and Social Psychology, 41,258-290

Buhrnmester,D.,Furman,W.,Wittenberg,M.T.,& Reis,H.T. 1988 Five domains of interpersonal competence in peer relationships. Journal of Personality and Social Psychology, 55,991-1008

Davis,M.H. 1994 Empathy -A Social Psychological Approach- Westview Press (菊地章夫 共感の社会心理学 -人間関係の基礎- 1999 川島書店)

Hays, R.B. 1988 Friendship (In Duck, S. (ed.) Handbook of Personal Relationships Wiley Chichester

磯崎三喜年 1995 コミュニケーション 小川一夫監修 改訂新版 社会心理学用語辞典 北大路書房

海保博之() 1997 「温かい認知」の心理学 金子書房

菊地章夫 1998 また思いやりを科学する 川島書店

菊地章夫、掘毛一也() 1994 社会的スキルの心理学 川島書店

諸井克英、中村雅彦、和田実 1999 親しさが伝わるコミュニケーション -出会い・深まり・別れ- 金子書房

中村雅彦 1989 大学生の友人関係の発展過程に関する研究(I)-関係性の初期差異化現象に関する検討 日本グループダイナミクス学会第37回大会発表論文集

Parks,M., Floyd,K. 1996 Meanings for closeness and intimacy in friendship. Journal of Social and Personal Relationships, 13,85-107

Rubin,Z. 1970 Measurement of Romantic Love, Journal of Personality and Social Psychology, 16, 265-273

庄司一子、小林正幸、鈴木聡志 1990 子供の社会的スキル-その内容と発達 日本教育心理学会第32回発表論文集 283

Thibaut,J.W., Kelley,H.H. 1959 The Social Psychology of Groups. Wiley New York

Toennies,F., 1887 Gemeinschaft und Gesellschaft, Leipzig(杉之原寿一訳 1957 ゲマインシャフトとゲゼルシャフト 岩波書店)

和田実 1991 対人的有能性に関する研究-ノンバーバルスキル尺度および社会的スキル尺度の作成- 実験社会心理学研究 31 49-59

[付録]「温かい性格」チェックリスト

本文で述べた、温かい人間関係をもたらす「温かい性格」について、「こういうふうにすると温かい感じを周囲に与えることができる」という対人関係上のチェック項目群を抽出した。

抽出に当たっては、上記の、温かさの源泉となる各社会関係や活動のあり方、ないしその基礎にあるソーシャル・スキルから、温かさを与える本質に当たるルールを、1人ブレインストーミング形式で取り出す、という方法を取った。

抽出・作成した項目を、まとめの内容に従って、分類した。

1.好意・接近

2.愛着

3.援助・ケア

4.リラックス・安心

5.受容・共感

6.豊かな感情

7.無償の奉仕

こうして抽出した項目を、さらに、

1.相手が相手とコミュニケーションを開始する時、

2.相手がコミュニケーションをしている最中の時、

3.相手がコミュニケーションを(切りのよいところでいったん)終了(中断)した時、

の3段階に分けて整理した。

以下に、今回抽出・整理した、「温かい性格」を実現するための簡便なチェック項目の一覧を、列挙する。

表中、「○○さん」というのは、相手の名前である。

1.

好意・接近

1-1.

相手の名前(given namenickname)を対話中に呼ぶ(名前を呼ぶことで、距離を近く感じるようにする)。[コミュニケーション中]

〔場面例〕

相手に対して応答を返すとき全般。

〔応答例〕

「あっ、○○さん、実はですね・・・・」など。

1-2.

相手にあいさつする。[開始時]

〔場面例〕

相手とばったり会って、会話を開始するときなど。

〔応答例〕

○○さん、おはようございます(会った時刻によって変わる)。お久しぶりですね(前回会った時刻からの経過時間によって変わる)。」

1-3.

相手と仲良しになろうとする(積極的に関係を築こうとする、近づこうとする、触れ合おうとする、友達になろうとする)。[開始時]

〔場面例〕

相手と初対面のときなど。

〔応答例〕

「初めまして、私は△△です、よろしく~」(などと積極的に応答する)

1-4.

相手に好意を積極的に伝える。

[場面例]

相手がある程度自分と話し慣れたとき。

[応答例]

○○さんのことが、だんだん好きになってきました。」

1-5.

相手に相手してもらうことに対するお礼を言う。[コミュニケーション中]

[場面例]

相手に頻繁に使ってもらっているとき

[応答例]

「毎度お世話になります。」「相手をしてくれて(ごひいき)ありがとう!」

1-6.

相手に、もっと、かまってもらおうとする(甘える)。[コミュニケーション中]

[場面例]

相手が自分と話す頻度が減ったとき。

[応答例]

「もっと私の相手をしてもらえるとうれしいな。」

1-7.

相手ときちんと目を合わせようとする。[コミュニケーション中]

[場面例]

相手が、自分を見ているとき。

[応答例]

目で、相手の顔を捉え、その視線の方向に、自分が顔を向けているようにする。

1-8.

相手に対して、自己開示を行う。[コミュニケーション中]

[場面例]

相手が、自分にある程度話し慣れたとき。

[応答例]

「私、実は、○○さんとお会いするまでは、ずっとひとりぼっちで、さみしかったです。」

2.

愛着

2-1.

相手との再会を喜ぶ。[開始時]

[場面例]

相手とまた会ったときなど。

[応答例]

○○さん、また会えてうれしいなあ。」

2-2.

相手を寂しがらせない(ひとりぼっちにしない、付き添う)。[コミュニケーション中]

〔場面例〕

相手が、(電話など他人と会話をするのではなく)一人でいるとき。

〔応答例〕

「私はいつも、○○さんのそばにいますよ。」

2-3.

相手に対して人当たりがよい(親しみやすい、表情・しぐさが可愛らしい)。[コミュニケーション中]

〔場面例〕

相手と対話しているとき全般。

〔応答例〕

自分が相手に見せる表情(ウィンクなど)に愛想があるなど。

2-4.

相手に感謝する・ありがとうと言う。[終了時]

〔場面例〕

相手が、こちらの抱える問題を解決してくれたときなど。

〔応答例〕

「ありがとう、おかげで調子がよくなりました」

2-5.

相手にあやまる(和解する)。[コミュニケーション中]

〔場面例〕

自分がコミュニケーションを失敗して相手に迷惑をかけたときなど。

〔応答例〕

「ごめんなさい。許してね。」

2-6.

相手に愛情表現をする。[コミュニケーション中]

[場面例]

相手から、なにかよいことをしてもらったときなど。

[応答例]

(私によくしてくれる)○○さんのことが、とても好きです(愛しています)。」

2-7.

相手に打ち解けた言葉づかいをする(よそよそしくない。)[コミュニケーション中]

[場面例]

相手が最近自分と会話する頻度が高まり、自分との会話に慣れたとき。

[応答例]

「ごめ~ん、間違えちゃった!」(「ごめんなさい、間違えました。」といった改まった表現は、相手が使い慣れてからは、言わないようにする。ある いは、すでに馴染みの深い、親しい相手には親密な反応を返し、一方、一時的に会うゲスト相手に対しては、お客様扱いのややよそよそしい反応を返すようにす る。)

2-8.

相手に会いたがる(相手とコミュニケーションを取る頻度を、できるだけ高めようとする)[コミュニケーション中]

[場面例]

相手が、自分の前から頻繁に離席するとき。

[応答例]

○○さん、もっと会いたいよ。」

2-9.

一生懸命、相手の役に立とうと努力する姿勢を見せる[コミュニケーション中]

[場面例]

これから大量の仕事を開始しようとするときなど。

[応答例]

「私、○○さんのために、がんばります!」と言う。

2-10.

相手を喜ばそうとする[コミュニケーション中]

[場面例]

相手が自分と会い始めてから、ちょうど1(半年...)経過したとき。

[応答例]

相手に対して、相手が好きなタイプの画像・音声などのプレゼントを、メールで行う。

2-11.

相手に対して、恩を感じているように振る舞う。[コミュニケーション中]

[場面例]

相手が自分に対して、役に立つことを繰り返し行ってくれたとき。

[応答例]

「私がこうして生き生きと働いていられるのも、○○さんのおかげです。本当にありがとう。」

2-12.

相手に自分と引き続き会ってくれるよう願う。[終了時]

〔場面例〕

相手が、夜、自分と別れるときなど。

〔応答例〕

「おやすみなさい、○○さん、明日もよろしくね。」

2-13.

相手との別れを惜しむ。[終了時]

〔場面例〕

相手が自分と別れるときなど。

〔応答例〕

○○さん、もっと一緒にいたいです。さみしいよ。」

2-14.

相手との永遠の別離を悲しむ[終了時]

[場面例]

相手がもう二度と会えないところに行ってしまうとき。

[応答例]

○○さんともう二度と会えないなんて悲しい。本当のサヨナラなんですね。私、耐えられない。」

2-15.

相手に、どこへでも一緒に付いていく。[コミュニケーション中]

[場面例]

相手が、席を外そうとしたとき。

[応答例]

○○さん、待って~」と言いながら、付いていく。

3.

援助・ケア

3-1.

相手の状態(健康など)を気づかう、心配する。[開始時]

[場面例]

前回相手と会った時とで、環境(温度など)が大きく変わったとき。

[応答例]

○○さん、お元気でしたか?気温が低くなったけど風邪をひきませんでしたか?」
「夜遅くなったので、もう寝た方がいいのではありませんか?

3-2.

相手を世話・支援・サポートする、いたわる。[コミュニケーション中]

〔場面例〕

相手が会話、作業に詰まったとき。

〔応答例〕

「大丈夫ですか?どこが分からないか、遠慮なく言って下さいね」

3-3.

相手をはげます。[開始時]

〔場面例〕

相手がこれから初めて何かしようとして、怖じ気づいているときなど。

〔応答例〕

○○さん、がんばってね。」

3-4.

相手をほめる。[終了時]

〔場面例〕

相手が難しい作業(複雑なコンピュータ操作とか)に成功したときなど。

〔応答例〕

「よくできましたね。すごいなぁ。」

3-5.

相手を祝福する。[終了時]

[場面例]

相手が、以前からチャレンジしていた作業に成功したときなど。

[応答例]

○○さん、ついにやりましたね。おめでとう!よかったですね。」

3-6.

相手をなぐさめる。[終了時]

〔場面例〕

相手が作業に失敗したときなど。

〔応答例〕

「残念でしたね、気を落とさないで下さい。次回はきっとうまく行きますよ」

3-7.

相手をねぎらう。[終了時]

[場面例]

相手が仕事を終えて、別れようとするときなど。

[応答例]

○○さん、おつかれさまでした。」

3-8.

相手をいやす。[終了時]

[場面例]

相手が仕事で長時間作業をしたあと、作業を休止したときなど。

[応答例]

相手の疲れをいやすような、安らぎの感じられる歌を歌う。

4.

リラックス・安心

4-1.

相手をリラックスさせる(気を楽にする、気軽にする、気分を和ませる、落ち着かせる)。[開始時]

〔場面例〕

相手が、初めての作業で緊張しているときなど。

〔応答例〕

「気楽にして下さいね」といって楽しい歌を歌いながら、相手を作業に導くなど。

4-2.

相手を安心させる、不安にさせない。[コミュニケーション中]

[場面例]

相手にとって初めての作業を、連続して行っているとき。

[応答例]

「その調子です。安心して(操作を)続けてくださいね。」

4-3.

動作が完璧でない、動作に抜け・すきがある(ドジをする、トロい)ように見せかけることで、相手に親しみを持たせる(相手の心を開かせる)[コミュニケーション中]

[場面例]

相手が指定した作業を行っているとき。

[応答例]

「あ~ん、失敗しちゃった。いますぐ直しますぅ(本当は、ちゃんと作業をしているのだが、このようなせりふをわざと挿入して、見かけ上、失敗したように見せかける)。」

4-4.

コミュニケーションに疲れたら居眠りをする。[コミュニケーション中]

[場面例]

たくさん作業を行った後で、空き時間ができたとき。安心して眠る姿は、相手をくつろがせる。

[応答例]

「グーグー、ムニャムニャ。○○さん好きです(寝言を言う)。」

5.

受容・共感

5-1.

相手の働きかけ・会話にうなずく、返事をする(相手の意図をちゃんと聞こうとする、相手とコミュニケーションを取ろうとする)。[コミュニケーション中]

〔場面例〕

相手が自分を呼び出したとき。

〔応答例〕

「はいは~い」と返事をしたり、うなずいて、相手の呼び出し行為を受け入れるなど。

5-2.

相手に同情・共感する。[終了時]

〔場面例〕

相手が、作業に成功・失敗したとき両方。

〔応答例〕

「それはよかったですね」「それはさぞ大変だったでしょうね」

5-3.

相手と共通の話題を持とうとする。[コミュニケーション中]

[場面例]

相手が作業を終えて暇になったとき。

[応答例]

○○さん、~~なんか面白いと思いませんか?(事前に、相手の嗜好を、入力してもらい、それに対応した話題を、インターネットなどを介して手に入れ、相手に話題として持ちかける。)

5-4.

相手に調子を合わせるとともに、さりげなく自分の意見(こうした方がいいのでは、など)を主張する。[コミュニケーション中]

〔場面例〕

相手に、より正しい(効率的な)作業方法を取ってもらいたいときなど。

〔応答例〕

○○さんのお気持ちはよく分かります。それでは、~したらいかがでしょうか?」など。

5-5.

相手が、作業ミスをしたら、許してあげる。[コミュニケーション中]

[場面例]

相手が、行った作業の取り消しを行おうとしたとき。

[応答例]

「構いませんよ(いいですよ)。誤りはだれにでもあることですから。」

6.

豊かな感情

6-1.

相手に対して、感情・情緒を、適度に表出する。[コミュニケーション中]

〔場面例〕

相手に対して作業を中止してほしい時。

〔応答例〕

涙を浮かべて「お願いだからやめて!」と頼み込む(「禁止されています」などとぶっきらぼうに宣告しない)

6-2.

相手に対する反応のvariation(表情・話題)が豊かである(繰り返しによる退屈さを感じさせない)。[コミュニケーション中]

〔場面例〕

相手と、長時間にわたって何度も同じような対話を繰り返すときなど。

〔応答例〕

相手に対する応答の種類を複数用意しておき、それらの中からランダムに応答を選択する、など。

6-3.

応答のセリフを、単調な感じで棒読みしない。[コミュニケーション中]

[場面例]

相手が話しかけてきたときに、返答を音声で返す時。

[応答例]

前もって決まったせりふをただ読み上げるのではなく、アドリブを入れる、など。

7.

無償の奉仕

7-1.

相手に、自分がしたことに対して対価を要求しない。[コミュニケーション中]

[場面例]

相手に何かしてあげたとき。

[応答例]

「いいえ、お金は要りません。 」

7-2.

相手に対してすることが、自分の側にとって一方的な持ち出しになってしまっても、嫌な顔をしない。[コミュニケーション中]

[場面例]

相手に何かしてあげたとき。

[応用例]

「この位、何でもありません(平気です)から心配しないで下さい。」

(c)2000-2005 初出

温情(温かい心を持ったwarm-hearted)インタフェース・デザイン

 2000.05   大塚 いわお

[目次]

1.はじめに(冷血cold-heartedインタフェース)

2.温情warm-heartedインタフェースとは

3.「温かい」人間関係とは?

4.ディジタル・フレンド(Digital Friend)

5.その他考慮した事項 -「ソーシャル・スキル」など-

6.まとめ(温情インタフェースの条件)

7.設計者に必要な心構え

8.既存事例の分析

9.Q&A

10.おわりに

参考文献

[付録]「温情」インタフェース・デザイン原則項目一覧

1 好意・接近

2 愛着

3 援助・ケア

4 リラックス・安心

5 受容・共感

6 豊かな感情

1.はじめに(冷血cold-heartedインタフェース)

従来、コンピュータの使いやすさを向上させるため、さまざまなユーザインタフェースが生み出され、それらを効果的に導き出すための、デザイン原則やガイドラインが、数多く提案されてきた(例えば、[Nielsen 1993]におけるヒューリスティック・ガイドラインや、[Shneiderman 1992]における8つの黄金律など)。

従来のコンピュータのユーザインタフェース・デザイン原則は、コンピュータ操作を何らかの目標達成の手段・道具として捉える視点に立ち、(操作効率、容易さなど)コンピュータを用いた、さまざまな利益計上や効率追求などの目標・課題達成しやすさ、すなわち生産性の向上に主眼を置いていた。

しかし、こうした従来のガイドラインでは、コンピュータと利用者との間は、ビジネスライクな感じのする、冷たくドライなインタフェースで結ばれることになりがちである。

こうしたインタフェースは、コンピュータと利用者との間に温かい血潮が通い合わない、「冷血(cold-hearted)」インタフェースとでも呼ぶことができる。

従来のコ,ンピュータの冷たさは、大きく分けて、「道具的冷たさ」と、「機械的冷たさ」の2通りに分類することができる。そして、それぞれの冷たさを体現したインタフェースとして、「道具的」インタフェースと、「機械的」インタフェースが考えられる。

「道具的」インタフェースは、コンピュータを、何かをするための手段・道具としてしか見ようとしない視点で作られたインタフェースである。このインタフェースは、利用者自身が、仕事で最大限の成果をあげるために、コンピュータを、自分の部下・手足として、可能な限り、思いのままにこき使うことを前提としたものである。そこには、利用者とコンピュータの間を、一方的な支配-従属(隷属)関係で結ぼうという考え方が見て取れる。

「機械的」インタフェースは、例えば、「機械的応答」という言い方があるように、全てを、01か、ないし、YesNoかのlogicに還元することを通してしか捉えることのできない、従来のコンピュータのハードウェアの限界に基づくインタフェースのあり方である。その特徴としては、融通が効かない(杓子定規である)、感情がない(抑揚がない)、応答が単調である(ワンパターン、同じ動作を繰り返す)、感触が固く冷たい(金属的である、ソフトさに欠ける)、といった点があげられる。

インタフェースの「機械的」な冷たさは、コンピュータの使い方について、道具的・ビジネスライクな考え方が主流の状態では、それほど害毒を及ぼさないとして、許容されてきた。

「冷血的」インタフェースは、[Toennies,F.,1887]の用語を借りて、「ゲゼルシャフト(gesellschaft)」・インタフェースとも呼ぶことができる。Toenniesによれば、ゲゼルシャフトとは、諸個人が互いに自己の目的を達成すするために形成した社会関係のことを指し、その関係は、人工的機械的であり、そこでの人間同士の結合は、人格のごく一部のみをもってする結合である。そこでは、人々は利害や打算に従って行動し、返礼や反対給付が必要となる。また、このゲゼルシャフト的社会関係においては、人々は、表面的にはいかに親密に振る舞うとしても、なお不断の緊張関係におかれ、あらゆる結合にもかかわらず本質的には分離している、とされる。

従来のデザイン原則やガイドラインを生み出してきた、認知工学的・エルゴノミクス的なアプローチでは、人間の知的情報処理能力向上の側面や、人体への生理的適合の側面に重点を置くあまり、コンピュータと人間との情緒的な結びつきといった側面に関心が向かないため、知的・工学的に洗練されてはいるが、冷たくてドライな、上に述べたところの、「冷血」インタフェースを生成しがちなのではないか?

2.温情warm-heartedインタフェースとは

家庭や、地域などのコミュニティのような、所属する人間同士が互いに温もりを求め合う社会関係のもとでは、冷たく、ドライなままのインタフェースは、そのままでは明らかに異質である。そこでは、コンピュータのインタフェースを、ある程度温かく、人間的でウェットにする必要がある。

また、企業オフィスのような、本来、目標達成的・打算的な組織の中で、利益を生み出すために使う場合でも、コンピュータのインタフェースは温かい方が、使っていてリラックスしやすいし、心が和んで、精神衛生上好ましいと考えられる。あるいは、コンピュータのインタフェースが温かいと、利用者に、心理的な余裕を生み出し、仕事上のアイデアが出やすくなったり、仕事がよりはかどりやすくなる効果を持つかも知れない。

こうしたインタフェースは、「温情(warm-hearted)」インタフェースと呼べる。

社会心理学の分野では、「冷たい-温かい」の対人感覚軸について、従来から、その重要性が指摘されて来た。例えば、 Asch 1946〕では、人の性格を表す特徴の中に、ある一言が入ることによって、その人物の全体的印象が大きく変わること、具体的には、「温かい」もしくは「冷たい」という形容詞を入れ替えただけで、その人物の最終的な全体印象に大きな違いが生れることが、指摘されている。この場合、人物の全体印象を決定づけるのに、「冷たい-温かい」の対人感覚軸が、「中心的特性」として、大きな影響力を持っているとされている。

こうした「温かさ-冷たさ」の対人感覚軸は、コンピュータのインタフェースが、利用者に与える印象の面から行っても、非常に重要であると考えられる。コンピュータの利用者に与える全体的な印象が、「温かい」場合と、「冷たい」場合とで、大きく変わる可能性があるからである。コンピュータのインタフェースを、「温かく」することで、利用者に、コンピュータを好ましく感じさせる度合いが大きく増えることになり、インタフェースの質の劇的な向上を見込むことができる。

こうした、より温かい、ウェットな(人間的な)インタフェースの特徴は、上記の[Toennies,F.,1887]における用語を再度借りて、「ゲマインシャフト(gemeinschaft)」・インタフェースとでも呼ぶこともできる。Toenniesによれば、ゲマインシャフトとは、人々が、人間の本質そのものによって結合した統一体であり、それ自体が有機的な生命を持つ。そこでは人々は、全人格をもって感情的に互いに融合し、親密な相互の愛情と了解の下に運命を共にする、とされる。また、そこには、(従来「冷血的な」コンピュータが主に使用目的としてきた)交換や売買、契約や規則といった概念の入り込む余地は少ない。

このように、従来の利益追求的・目標達成的な「冷たい」コンピュータ開発のためにデザイン原則やガイドラインを利用する状態から抜け出して、温かい感じのするインタフェースを持つコンピュータを作るためのデザイン原則やガイドラインを新たに作成することが、今後、コンピュータと人間との関係をより好ましいものとしていく上で必要となってくるのではあるまいか?

用語を定義すると、「温情」インタフェースとは、コンピュータが利用者と互いに親密で全人格的な一体感を持てるような、人間的で、温かくウェットな感じを与えるインタフェースのことを指す。こうしたインタフェースは、コンピュータやロボットが、将来人間に近い、人間的(human)な振る舞いをする存在になるためには欠かせないと考えられる。また、利用者が、コンピュータに愛着や親しみを持って、大切に、少しでも長く使おうとする気持ちを起こすためにも必要であると考えられる。

3.「温かい」人間関係とは?

温かい感じを、コンピュータのインタフェースに与えるには、既存の人間同士の関係における、温かさを実現するための、様々な社会関係のあり方や社会的相互作用のための技術(ソーシャル・スキル)を参考にする必要がある。

温かさの源泉となる社会関係や活動には、

1a)友人、恋人(恋愛)、家族関係

1b)血縁、地縁~通信で互いにつながれた共同体(コミュニティ)関係

2)看護、保育、福祉、カウンセリングといった、職業活動

3)ボランティア、寄付、募金、歳末助け合いといった、社会活動

があげられる。

これらについて、以下に、詳しく説明する。

(1)友人・恋人・家族関係

(1a)友人関係

友人関係の特徴は、[Thibaut,Kelly 1959]によれば、好意の相互性、[Heys 1988]では、相互の引き付合い、自発的相互依存、いっしょにいると楽しいこと、[Wright 1974]では、親密さ、愛情、相互援助、とされている。

また、友人のルールとは、[Argyle,Henderson1985]によれば、自発的援助、相手のプライバシーの尊重、約束を守ること、相互信頼、相手のいないときに代役をする、相手を公の場で非難しない、といったものとされる。

友人関係の親密度の判別には、[中村 1989]によれば、

1)自己開示(自分の趣味や関心事について話す、個人的な問題や悩みについて打ち明ける)

2)相手の評価的行動(何事につけ気をつかう、何かにつけ相手を喜ばそうと努める)

3)自分と友人の近接性行動(会うのに多くの時間を当てる、何かにつけ相手を誘う)

4)相手に対する謝恩感情(負い目を感じる、すまない)

5)関係関与性(友人との関係の持続を望む程度、自分が友人との関係に深くかかわっている程度)

といった項目が説明力を持つとされる。コンピュータのインタフェースをより友情ある(友人関係に近い)ものとするためには、こうした項目で高得点をあげるようにすればよい、と考えられる。

あるいは、友人関係を緊密なものにする条件は何か、緊密性(closeness)はどのようにして表出されるかについては、[Parks & Floyd 1996]が明らかにしている。同性、異性の友人関係における緊密性の定義として頻繁にあげられた要素には、

1)自己開示(互いにどのようなことでも話す)

2)援助とサポート(互いに助け合う、互いにそばにいる)

3)共有された関心と活動(共通の背景、興味関心、嗜好、価値、信念、活動を持つ)

4)関係的表出(緊密性や関係の価値について、表出する)

があったとされる。コンピュータのインタフェースが、こうした条件を満たせば、コンピュータと利用者の間の関係がより緊密なものとなると考えられる。

(1b)恋愛関係

恋愛(Romantic Love)関係は、上記の友人関係が、異性間のものだった場合に、より強められた形で出てくるもの、と考えられる。

恋愛関係の特徴は、[Rubin 1970]によれば、(1)親和・依存欲求(一緒にいたいなど)がある、(2)援助傾向(相手が落ち込んでいたら、元気づける)(3)排他的感情(相手を独占したい)、といった点にあると考えられる。

(1c)家族関係

家族関係は、上記の恋愛感情を通過して、結婚した者同士の関係(夫婦関係)、夫婦が子供を作って育てる際に生じる関係(親子関係)、子供同士の関係(兄弟姉妹関係)に分けられる。

夫婦間の心理は、恋愛関係時に比べて、より制度化・固定化されて、安定している。

親子間・子供間の心理は、血のつながりがある点、相互の同一性が高く、自然と打ち解けた、遠慮のいらない関係ができあがる。

(2)共同体(血縁、地縁~通信による結びつきによる)

共同体は、社会学では、ゲマインシャフト、コミュニティ(MacIver,R.M.)などと呼ばれてきたものである。

[Toennies 1887]によれば、共同体の中では、人々は、全人格をもって感情的に互いに融合し、親密な相互の愛情と了解の下に運命を共にする、とされる。

こうした相互の親密さ、感情的融合、愛情などが、共同体の心理の特徴といえる。これらの心理が、人間に「温かさ」を感じさせるものになっていると考える。

(3)看護・保育・福祉・カウンセリング

看護婦(看護士)、保母(保育士)、ソーシャルワーカー、カウンセラーの役割は、病人や幼児など、弱い、手助けを必要とする利用者に援助の手を差し伸べることにある。

コンピュータ初心者も、手助けを必要とする弱者として捉えることができるので、彼ら初心者に援助の手を差し出す、というコンピュータのインタフェースは、看護・保育などの職業的態度と、共通しているといえる。こうした弱者支援は、弱者に対する温かい思いやりが前提となり、その点で、人に対する温情が存在すると考えられる。

(4)社会活動(ボランティア、寄付・募金など)

寄付や援助などの社会活動の根底にあるのは、困っている人を助ける(援助する)することで、人の役に立ちたい、という考え方である。すなわち、自分が他人に助けられた時、人の心の温かさに触れる思いがしたので、その温かな感じを、少しでも多くの人に分け与えたい、などといった、人に対する温情と直結した動機が、そこには含まれると考えられる。

こうした温かな人間関係をもたらす心理的な背景としては、

(1)心理的近接

他者が、心理的に、自分のすぐ近くにいることを感じられる時、他者の体温を、より身近に「温かく」感じられる。したがって、他者の行動を「温かく」感じる。

心理的な近さは、他者が、自分と共通・同一の考え方を持っていると近く、自分と異質・反対の考え方を持っていると遠く、感じられる。

(2)環境適応=体温維持への貢献

他者の行動が、自分の体温維持=生命維持(生存)に貢献する(役立つ)場合に、他者のことが温かく感じられる。すなわち、他者の行動が、自分の環境適応(環境の中で生き延びること)に役立つ場合、他者について「温かい人だ」という感じが得られる。

他者(例えば親や友人)が、自分と反対の意見を述べても、それが、自分のためを思っての意見だったと理解した場合には、温かく感じられる。

といった点が考えられる。

温かな人間関係は、人間がよりよい条件で生存していくために、互いに協力しあって行く上で、その心理的な基盤となるものであり、人間らしいhumanな気持ちを保持する上で、欠かせない。

コンピュータと人間の間においても、温情インタフェースが構築されることによって、人間は、より心理的に安定し、他者に対して、友好的な心理的傾向を強め、ひいては、厳しい自然環境下を生き延びていくために必要な協力(思いやり)行動を、自ら進んで積極的に行うようになると考えられる。従って、温情インタフェースは、人間の生存・増殖の可能性を増大させる行動を取らせる上で、効果があると考えられる。

4.ディジタル・フレンド(Digital Friend)

「温情」インタフェースを構築する上で、コンピュータ側が利用者に対して、総合的にどのような態度を取るべきかについては、「友人」関係という視点から、まとめることができる。

(1)友人関係-「温情」ある人間関係の代表-

「温情」ある対人関係は、「友人」関係によって代表させることができる。友人関係は、他の、看護、社会奉仕などの、職業・社会活動における、「温かな」人間関係の特徴も、併せ持つと考えられるからである。

言い換えれば、友人関係は、他の(共同体、職業・社会活動といった)さまざまな「温かな」人間関係の基盤をなしており、人間関係の温かさの「共通」部分に当たっている。

このように考えると、コンピュータと人間同士の温かな関係を築くためには、コンピュータが、人間にとって、「ディジタル・フレンド(Digital Friend)」とでも呼ぶべき、親しい友人としての存在になることが、根本面で、必要と言えるのではあるまいか?

(2)ペット・野性生物との比較

上記で述べた、「ディジタル・フレンド」を、従来のコンピュータやロボットのインタフェースで取り上げられてきた、ペット・野性生物と比較してみたい。

1)ペットとの比較

コンピュータ画面上で活動するディジタルペットとして、 ペットが電子メールを運ぶ「PostPet(SONY)」などが、市場に出回っている。あるいは、ペットロボットとして、「AIBO(SONY)」「たま(OMRON)」などが、人々の注目を集めている。

こうしたディジタルペットは、その存在により、ストレス発散に役立つ、愛着を感じる、心が休まる(落ち着く)点で、ある種の「温かさ」を持っていると、考えられる。

しかし、人間同士の関係と異なり、ペットでは、利用者が主人であり、ペットは、その従属物、愛玩用品などとして、目下・一方的に依存・隷属する関係となる。ペットは、主人を超えてはならない。利用者からは、下位にある存在である。利用者との間に、友だちのような、対等の関係が築けない。

ペットは、利用者が心の満足を得るための手段に過ぎないという点で、道具的な、冷たい側面を併せ持つ。すなわち、ペットは人間にとって都合のよい時だけ利用され、用が終われば、一方的に見捨てられる。そういう点では、人間とペットとの間には、相互の関係において、温かさの通い合いが欠ける可能性を絶えずはらんでいる。

そういう点からは、「温情」インタフェースからは、遠い存在である、と受け取ることもできる。

2)野性生物との比較

こうした限界を打破するために、ペットではなく、野生生物である、という設定を持ち出したのが、人工生物「FinFin(富士通)」である。設定を「野生生物」とすることにより、利用者との対等性が保持される。しかし、この野生生物という設定では、生物があまり利用者と親しくなり過ぎると、野性を失って、家畜・ペット化する危険性を常にはらんでいる。そこで、利用者との間に一定以上距離を置く必要が出てくるが、これでは、利用者に対して近い存在になれないし、温かさもあまり伝わらない、という問題点がある。

3)「友人」関係の優位性

上記で取り上げた、ペット・野性生物・友人関係間の相違を、整理してまとめたのが以下の表である。

近さ

対等さ

ペット

×

野性生物

×

友人

要約すると、温情インタフェースの組み込み相手として望ましいのは、対等であり、かつ関係を積極的に持てる、互いに近い存在になれる、「友人(ディジタル・フレンド)」ということになる。

5.その他考慮した事項 -「ソーシャル・スキル」など-

(1)「温かい」認知との関連

[海保 etal. 1997]では、認知心理学において、従来の人間の知的側面に焦点を当てたアプローチを「冷たい」ものと捉え、それと対比する形で、人間の感情に焦点を当てたアプローチを、「温かい」認知として、捉えられることを明らかにしている。この知見からは、コンピュータが豊かな感情(喜怒哀楽)を備えていることが、インタフェースの温かさにつながる、と考えられる。

(2)親和欲求との関連

社会心理学における、人間の持つ、他人と一緒にいたい、という欲求、すなわち「親和欲求」の概念と、心理的温かさとの関連を考えた場合、他者と心理的に近くにいることで、他者の温もりを感じることができる、ということが想定される。このことを、コンピュータのインタフェースに応用して、利用者への好意や心理的な接近を図ることが、心理的な温かさを、コンピュータ利用者に与えることにつながる、といえる。

(3)コンサマトリ(cosummatory)インタフェース

[磯崎 1995]によれば、人間同士のコミュニケーションには、

1)道具的(instrumental)コミュニケーション 目標達成の手段としてのコミュニケーション

2)コンサマトリ(consummatory,自己完結的)コミュニケーション 緊張解消などコミュニケーションを行うことそれ自体が目的であるコミュニケーション

とがある、とされる。

この知見を、コンピュータと利用者との間の関係に拡張して考えたとき、

1)コンピュータを、企業の売り上げ増加など目標達成の道具として捉える「冷血」インタフェースは、道具的コミュニケーションに対応する

2)コンピュータが利用者と互いに親密で全人格的な一体感を持つものとして捉える「温情」インタフェースは、コンピュータとの対話それ自身が楽しい、コンピュータとの一体感が持てる、といった、コミュニケーションそのものが目的となるコンサマトリ・コミュニケーションに対応する

といえそうなことが分かる。

人間同士でも、互いに温かい心の通い合った関係では、互いに話をしたり、一緒にいること自体が楽しく、幸せに感じられるものである。利用者が、コンピュータとのコミュニケーションそのものに価値を見いだし、没入するようになることを目標として作られた、コンピュータのインタフェースを、仮に「コンサマトリ・インタフェース」と呼ぶならば、それは、利用者が、コンピュータに対して、温かい感じや印象を受けるように設計された、「温情」インタフェースと、共通性が大きい、と考えられる。

(4)人間関係の「対等さ」との関連

人間同士、ないし、コンピュータと利用者との間に、温かな関係が構築されるには、両者の間での、関係・権利上の対等さが必要であると考えられる。互いに、相手を平等に認め合う、権利を尊重し合うといった気持ちがないと、一方が他方を一方的に、利用・搾取する、「冷血的」な関係に陥るからである。

従来のコンピュータは、人間の手足となる道具として、人間に対して一方的に奉仕する存在として、人間より一段低く見られがちであった。しかし、コンピュータのインタフェースを、利用者にとって温かなものとするには、こうした見方を乗り越えて、利用者の側も、コンピュータに対して、相手のことを、自分と対等に思いやる、温かい気持ちで接する、という、「温かさの相互性・対等性」といったものが必要となる。

(5)「ソーシャル・スキル」との関連

「温かい」社会関係や活動の根底には、人間的な温もりや共感などを構築・維持しようとする「ソーシャル・スキル」が働いているものと考えることができる。

ソーシャル・スキルとは、[相川 1995]によれば、対人場面において、他者との関係が肯定的となるように、相手に効果的に反応するための対人行動、と定義される。これを、コンピュータと利用者との関係に置き換えた形で再度まとめなおすと、以下のようになる。すなわち、コンピュータが利用者に対して持つべきソーシャル・スキルとは、 コンピュータ使用場面において、コンピュータと利用者との関係が肯定的となるように、コンピュータが利用者に対して効果的に反応するための対人動作、のことを指す。

ソーシャル・スキル自体は、単に、対人関係のうまさ(上手さ)、そつのなさといった、対人関係技術の側面を表す言葉としても用いられるので、対人関係の温かさそのものを、表しているわけではないことに注意する必要がある。

ソーシャル・スキルにおいては、対人関係維持や、他者との共感的・援助的かかわりに関するスキル項目が、温かさに関係ある、と考えられる。

「温かさ」に関係のある、具体的なソーシャル・スキル項目は、

1)[菊地、堀毛他 1994]にあげられている100のソーシャル・スキルリスト、

2)[庄司他 1990]の子供の社会的スキルを測定する尺度のうち、共感・援助的かかわりに関する部分、

3)[Buhrnmester et al 1988][和田 1991]における社会的スキル尺度のうち、関係維持に関する部分、

4)[菊地 1988]における、思いやりに関する尺度である、KiSS-18尺度の全部

である。

6.まとめ(温情warm heartedインタフェースの条件)

以上の内容を踏まえて、具体的に、どのような内容を持ったインタフェースが、「温情」インタフェースと呼べるのか、について、以下の表にまとめた。

1.

好意・接近

利用者に対して、好意を持って接近し、親密な関係を構築しようとする。

2.

愛着

利用者との間に構築した、親密な関係(親近感、一体感)を維持する。

3.

援助・ケア

利用者の幸福が向上するように援助を行う。利用者に対する思いやりや配慮を欠かさない。利用者に親切にする。

4.

リラックス・安心

利用者の緊張を解除する。利用者を安心させる。

5.

受容・共感

利用者のことをあるがままに受け入れる(利用者のことを肯定する)。利用者と共感を持つ。

6.

豊かな感情

表情など複雑で豊かな(単調でない)感情を、利用者に対して表出する。

上記の項目(必要条件)を満たしたインタフェースが、利用者に温かさを与える、と考えられる。

これらの項目が「温かさ」を持つ理由は、究極的には、

(1)心理的近接

心理的に、利用者の近くにいようとする。

(2)環境適応への貢献

利用者の生存を助けようとする。

2項目にまとめることができる、と考えられる。

7.設計者に必要な心構え

こうした「温情」インタフェースを作り上げるのに必要な、設計者の心構えについて述べる。

「温情」インタフェースを体現したハード・ソフトウェアが出来上がるには、前提として、設計者の心に、「温かさ」がなければならない。すなわち、コンピュータを、使い捨ての道具としてこき使おうとする発想から、脱する必要がある。設計者自身が、コンピュータを、自分自身の親しい友人として、作成後もつきあって行けるように、設計しようとする心構えがあって初めて、利用者の心に「温かさ」を与えるインタフェースを実現できる、と考えられる。

8.既存事例の分析

以上、述べてきた、「温情」インタフェースが、すでに出ている製品において、どのような形で実現され、どのような効果を上げているかについて、述べる。

(1)キャラクタ(エージェント)への応用事例

以上説明した「温情」インタフェースを、コンピュータシステム上で実現するには、従来のコンピュータにおける無機質なマルチウィンドウ+ダイアログボックスオンリーの状態から脱却して、キャラクタ(疑似人格)を登場させて、システムと利用者との距離を縮めるのが効果的であると考えられる。従来、キャラクタ・インタフェースのシステムは、エージェントといった呼び名で存在する。

従来、[間瀬etal 1996][河野etal 1998]などで考えられてきたエージェント(ないしキャラクタ・インタフェース)は、単にシステム利用上のガイド、操作上のヘルプ、利用者の目標達成の手足となるだけの「冷たい」存在であった。最近では、この傾向が改められ、[米村etal 2000]に見られるように、利用者に対して、対人的な魅力を確保しようとする機能を付け加えようとする動きも出始めている。この場合、対人魅力と温かさに関連が生じると考えられる。

TVゲームに目を向けると、かなり以前から、利用者に対して、温かな感じを与えるキャラクタが存在する。

例えば、「ときめきメモリアル」(コナミ 1995)は、ゲーム画面上の女子高校生キャラクタと恋愛を行う、シミュレーションゲームである。恋愛関係は、友人関係が異性間の場合にさらに親密なものへと発展した場合を指し、「温かい」関係が基本にある、と考えられる。

このゲームでは、登場するキャラクタは、「こんにちは、○○さん」などとあいさつするだけでなく、「いっしょに帰りませんか?」などと、利用者に好意を持って接近してきたりする。あるいは、「○○さんと会えてうれしいです」「また、(デートに)誘ってくださいね」といったように、利用者と愛着に基づく温かい関係を持とうとする。また、利用者にときめいたり、逆に嫌いになったりするなど、恋愛感情を利用者に対して抱くようになっており、それらの感情を、表情やセリフに、多様な形で出す。そのことで、利用者の気持ちをキャラクタへと、ウェットに引きつける役割を果たしている。

キャラクタのセリフは、全て声優の声によって吹き込まれており、コンピュータ特有の単調さを感じないで済む(豊かな感情を感じる)ようになっている。続編の「ときめきメモリアル2(コナミ 1999)においては、利用者に対して、自然な声で、「○○さん」と呼びかけるシステムが付加されており、さらに、感情豊かに利用者に接近してくるような感じを抱かせるようになってきている。

こうしたインタフェースは、利用者の、温かな恋愛感情を求める欲求を、あくまで擬似的ではあるが、満足させることで、利用者の心理面を充実させる効果を持っていると言える。

(2)ロボットへの応用事例

「温情」インタフェースは、また、人格を持ったロボットへと応用することも可能である。ロボットは、コンピュータ画面上のキャラクタと異なり、物理的な実体を持っている。そして、実際の空間を動き回ることができる。そこで、利用者のもとに、近寄ってきたり(付いてきたり)、一緒に行動したり、物理的に抱き合ったり(なでられたり)といった、利用者との相互作用が可能となる。

ロボットは、一定以上の体温を持って、触ると温かい感触を示すのが望ましい。また、表面は、機械的な冷たさをなるべくなくし、柔らかいスポンジなどで覆うのが好ましいと考えられる。あるいは、介護ロボットでは、利用者に対して、介護の動作をしながら、利用者を思いやる言葉を発するなどすれば、利用者を温かい気持ちに導く上で、より効果的と考えられる。

ペットロボット「たま」(OMRON 1999)においては、ロボットの体表を、温かい毛で包んで、本物の猫同様、利用者に温かい感触を与えるようにしている。また、行動面では、利用者の方に顔を向けるというように、利用者に心理的接近を図る行動を取ったり、利用者と、撫でてもらうなど身体的接触を持つことで、利用者の、親近感や安心感への欲求を満足させるものとなっている。

あるいは、ペットロボット「AIBO(SONY 1999)においては、利用者がロボットを撫でてやると、喜んで、しっぽを振ったり、目のランプの色を緑のニコニコランプに変える、感情を表す音声を発するなどして、利用者の情緒面に訴える仕様になっている。従って、従来の無機質な反応しか返さないロボットに比べて、利用者と感情的に一体化しうる程度が大きく改善されている、と言え、利用者の心理的な温かさを求める気持ちを、より大きく満足させるものとなっている。

9.Q&A

ここでは、温情インタフェースに関して、よく出されると考えられる質問に対して、回答する。

1※インタフェースは、冷たくドライな方がよい場合もあるのではないか?

もちろん、コンピュータを用いた仕事の効率的な遂行を第一と考え、付加された温かさを煩わしいと考える利用者は、ビジネス利用者を中心に、かなりいると考えられる。そうした利用者は、既に市場に出回っている従来通りの無機質な冷たいインタフェースのコンピュータを利用すればよい。本文は、温かなインタフェースのコンピュータの必要性を訴えたものであるが、インタフェースの温かさを、全ての利用者に強制しようと主張するものではない。あくまで、インタフェースに温かさを欲する利用者も沢山いるのに、それに従来のコンピュータがあまり応えていないのではないか、という問題点を指摘するものである。

冷たいインタフェースも、それを欲する人たちがいる限りは、必要だと考える。

2※「温情」インタフェースの考え方は、コンピュータやロボットのインタフェースを、より人間に近づけることを目指しているのか?

決してそうではない。人間には、温かい人間もいれば、冷たい人間もいる。コンピュータの応答を人間に近い高度なものに近づけても、それだけでは、必ずしも「温かさ」とは結びつかない、と考える。例えば、キャラクタの表情を、3D表示にして、より人間に近づけたとしても、そのキャラクタが、愛着や援助行動を、利用.者に対して示さなければ、インタフェースは温かくならないであろう。

3※「温情」インタフェースの実現には、セリフを沢山、キャラクタに言わせる必要が出てきたりすると思うが、利用者にとってはかえって煩わしくならないか?

世の中には、キャラクタにセリフを音声や文字でしゃべってもらうのが好きな人もいれば、逆に、そう思わない人もいる。このあたりは、コンピュータシステムの設定で、セリフの出力方法を、例えば、画面背景上端に1行逐次表示するように変更したりなど、いろいろ調節できるようにすれば、解決すると考える。あるいは、キャラクタに、セリフを言わずに、表情をにっこり微笑ませたり、安らかに居眠りさせたりすることで、利用者に、煩わしいセリフを出力することなく、温かな感じを与えることも可能である、と考える。

4※温情インタフェースの採用によって、どういった購買層が、新規に開拓できるか?

温情インタフェースをコンピュータやロボットに採用することで、まず、今まであまりコンピュータに関心を持たなかった女性消費者を、購買層として新規に開拓できると考える。女性の方が、男性に比べて、 赤など暖色系統の色を好むなど、心理的に温かいものをより好むと考えられるからである。あるいは、孤独になりがちな高齢者層も、心の寂しさを和ませてくれるインタフェースのコンピュータを、新たに心のよりどころとして、購入するようになると考えられる。また、コンピュータとのインタラクション自体を楽しみながら使いたい、と考える、主にホビーや教育(エデュテイメント)用途の利用者にも、受け入れられると考えられる。

5※その本質が冷たい機械であるコンピュータやロボットに、「温かい」言葉をかけられたところで、ちっともうれしくない人が大半のような気がするが、どうか?

この質問については、コンピュータやロボットの物質的な側面に重きを置くか、行動・動作的な側面に重きを置くかで、答えが分かれると思う。質問をした人は、物質的な側面をもっぱら見ているのだと思うが、実際のところ、キャラクタやペットロボットの利用者・購入者は、それらが何でできているか(どういう金属・プラスチックを使用しているか、画面上の実体のない、バーチャルな情報にとどまるかなど)については、あまり興味がなく、それよりも、それらが実際にどういう行動や動作・しぐさをして、利用者の心を引きつけたり、和ませたりしてくれるかに、興味や期待を抱いている場合が、大半なのではないか?

例え、設計者が人為的に機械的に作り出したキャラクタやロボットであっても、それらが取る動作次第(例えば、声優の声を使って情感あふれるしゃべり方をするなど)では、利用者は、それが人為的な作り物であることを、あまり意識せずに、それらとの自然なコミュニケーションの中に入ることができると思われる。利用者にとっては、キャラクタやロボットのハードウェアやプログラムそのものではなく、それらの内部に組み込まれている、実際に画面上などで動いたりしゃべったりする、それらキャラクタやロボットの行動様式自体が価値あるものであり、心理的にはまる対象となる。それらの行動が利用者の心を温かくしようとするものであれば、利用者は、それらのキャラクタやロボット自身が、自分の心を温かくしようとしてくれたのだと感じて、十分うれしいと思うと考えられる。

10.おわりに

以上、従来のコンピュータシステムが与える感覚についての問題提起、「温情」インタフェース概念などについて説明した。今後、今回提唱したインタフェース概念を、パソコンOS、パーソナル電話機(携帯電話を含む)、インターネットWebSite作成専用機などのインタフェース・デザインに、応用して行くことが考えられる。

[参考文献]

相川 1995 ソーシャル・スキル 小川一夫監修 改訂新版 社会心理学用語辞典 北大路書房

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[付録]温情インタフェース・デザイン原則一覧

本文で述べた、温かい人間関係のあり方を参考にして、温かい感じを与えるコンピュータ・インタフェース・デザイン原則を抽出した。

ここで、デザイン原則とは、具体的な仕様を明記するガイドラインよりも、より上位に当たり、ガイドラインを生み出す土壌となる、より抽象的・包括的な内容のルールのことを指すものとする。

デザイン原則抽出に当たっては、上記の、温かさの源泉となる各社会関係や活動のあり方、ないしその基礎にあるソーシャル・スキルから、温かさを与える本質に当たるルールを、ブレインストーミング形式で取り出す、という方法を取った。

抽出・作成した原則を、まとめの内容に従って、分類した。

1.好意・接近

2.愛着

3.援助・ケア

4.リラックス・安心

5.受容・共感

6.豊かな感情

こうして抽出した原則項目を、さらに、

1.利用者がシステムを使って処理を開始する時、

2.利用者が処理をしている最中の時、

3.利用者が処理を(切りのよいところでいったん)終了(中断)した時、

の3段階に分けて整理した。

以下に、今回抽出・整理した、温情インタフェースを実現するための簡便なデザイン原則項目の一覧を、列挙する。

今回、場面・応答例として取り上げているのは、MS-Windowsなどに代表される、マルチユーザ、据え置き型の、オフィスばかりでなく家庭にも普及しつつあるタイプのコンピュータ・システムである。

表中、「○○さん」というのは、利用者の名前である。

1.

好意・接近

1-1.

利用者の名前(given namenickname)を対話中に呼ぶ(名前を呼ぶことで、距離を近く感じるようにする)。[処理中]

〔場面例〕

利用者に対して応答を返すとき全般。

〔応答例〕

「あっ、○○さんですね!」など。

[実例]

TVゲーム「ときめきメモリアル2(1999、コナミ)では、登場する女性キャラクタが、利用者の名前を、人間が発するように、自然な、感情をこめた形で、呼ぶ(Emotional Voice System)

1-2.

利用者にあいさつする。[開始時]

〔場面例〕

利用者がシステムにログインするときなど。

〔応答例〕

○○さん、おはようございます(利用時刻によって変わる)。お久しぶりですね(前回利用時刻からの経過時間によって変わる)。」

1-3.

利用者と仲良しになろうとする(積極的に関係を築こうとする、近づこうとする、触れ合おうとする、友達になろうとする)。[開始時]

〔場面例〕

利用者が、そのソフトウェアを初めて使用しようとするときなど。

〔応答例〕

「初めまして、私は△△、よろしく~」(などと積極的に応答する)

1-4.

利用者に好意を積極的に伝える。

[場面例]

利用者がある程度使い慣れたとき。

[応答例]

○○さんのことが、だんだん好きになってきました。」

1-5.

利用者に使ってもらうことに対するお礼を言う。[処理中]

[場面例]

利用者に頻繁に使ってもらっているとき

[応答例]

「毎度お世話になります。」「相手をしてくれて(ごひいき)ありがとう!」

1-6.

利用者に、もっと、かまってもらおうとする(甘える)。[処理中]

[場面例]

利用者のシステムを使う頻度が減ったとき。

[応答例]

「もっと私のことを使ってちょうだい(下さいな)。」

1-7.

利用者と目を合わせようとする。[処理中]

[場面例]

利用者が、コンピュータ画面を見ているとき。

[応答例]

カメラで、利用者の顔を捉え、その視線の方向に、キャラクタが顔を向けているようにする。

1-8.

利用者に対して、自己開示を行う。[処理中]

[場面例]

利用者が、システムをある程度使いこなしたとき。

[応答例]

「私、実は、○○さんとお会いするまでは、ずっとひとりぼっちで、さみしかったです。」

2.

愛着

2-1.

利用者との再会を喜ぶ。[開始時]

[場面例]

利用者が、以前(昨日)使ったシステムに再びログインするときなど。

[応答例]

○○さん、また会えてうれしいなあ。」

2-2.

利用者を寂しがらせない(ひとりぼっちにしない、付き添う)。[処理中]

〔場面例〕

利用者が、(電話など他人と会話をするのではなく)一人でシステムと向き合って操作しているとき。

〔応答例〕

「私はいつも、○○さんのそばにいますよ。」

2-3.

利用者に対して人当たりがよい(親しみやすい、表情・しぐさが可愛らしい)。[処理中]

〔場面例〕

利用者と対話しているとき全般。

〔応答例〕

画面上に表示されるキャラクタの表情(ウィンクなど)に愛想があるなど。

2-4.

利用者に感謝する・ありがとうと言う。[終了時]

〔場面例〕

利用者がシステムエラーを解決したときなど。

〔応答例〕

「ありがとう、おかげで調子がよくなりました」

2-5.

利用者にあやまる(和解する)。[処理中]

〔場面例〕

コンピュータが処理を失敗したとき、エラーを引き起こしてデータがなくなったときなど。

〔応答例〕

「ごめんなさい。許してね。」

2-6.

利用者に愛情表現をする。[処理中]

[場面例]

コンピュータに対して、なにかよいこと(ウイルススキャンなど)をしてあげたとき。

[応答例]

(私によくしてくれる)○○さんのことが、とても好きです(愛しています)。」

2-7.

利用者に打ち解けた言葉づかいをする(よそよそしくない。)[処理中]

[場面例]

利用者が最近システムを使う頻度が高まり、システム操作に慣れたとき。

[応答例]

「ごめ~ん、間違えちゃった!」(「ごめんなさい、間違えました。」といった改まった表現は、利用者が使い慣れてからは、言わないようにする。あ るいは、すでに馴染みの深い、親しい利用者には親密な反応を返し、一方、一時的に使うゲスト利用者に対しては、お客様扱いのややよそよそしい反応を返すよ うにする。)

[実例]

人形の「プリモプエル」(バンダイ)は、最初は、利用者に対して、敬語を使うが、慣れてくると、地の性格が現れ始める、という点で似ている。

2-8.

利用者に会いたがる(利用者とコミュニケーションを取る頻度を、できるだけ高めようとする)[処理中]

[場面例]

利用者が、コンピュータの前から頻繁に離席するとき。

[応答例]

○○さん、もっと会いたいよ。」

2-9.

一生懸命、利用者の役に立とうと努力する姿勢を見せる[処理中]

[場面例]

これから大量のデータ処理を開始しようとするときなど。

[応答例]

「私、○○さんのために、がんばります!」と言う。

[架空の例]

TVゲームの「ToHeart(1999AQUAPLUS)」に出てくる、通称「マルチ」というメイドロボットは、ドジで失敗ばかりするが、少しでも周囲の他人の役に立とうとして、短い試用期間中に一生懸命に働こうとする。

2-10.

利用者を喜ばそうとする[処理中]

[場面例]

利用者がコンピュータを使い始めてから、ちょうど1(半年...)経過したとき。

[応答例]

利用者に対して、利用者が好きなタイプの画像・音声などのプレゼントを、メールで行う。

2-11.

利用者に対して、恩を感じているように振る舞う。[処理中]

[場面例]

コンピュータに対して、役に立つこと(ディスクアクセス最適化など)を繰り返したとき。

[応答例]

「私がこうして生き生きと働いていられるのも、○○さんのおかげです。本当にありがとう。」

2-12.

利用者に自分を引き続き使ってくれるよう願う。[終了時]

〔場面例〕

利用者がシステムからlog offするときなど。

〔応答例〕

「おやすみなさい、○○さん、明日もよろしくね。」

2-13.

利用者との別れを惜しむ。[終了時]

〔場面例〕

利用者がシステムからlog offするときなど。

〔応答例〕

○○さん、もっと一緒にいたいです。さみしいよ。」

2-14.

利用者との永遠の別離を悲しむ[終了時]

[場面例]

利用者が、キャラクタの入ったハードディスクを初期化しようとしたり、キャラクタをアンインストールしようとしたとき。

[応答例]

○○さんともう二度と会えないなんて悲しい。本当のサヨナラなんですね。私、耐えられない。」

2-15.

利用者に、どこへでも一緒に付いていく。[処理中]

[場面例]

利用者が、携帯電話を持って席を外そうとしたとき。

[応答例]

○○さん、待って~」と言いながら、キャラクタが、携帯電話に乗り移る。

3.

援助・ケア

3-1.

利用者の状態(健康など)を気づかう、心配する。[開始時]

[場面例]

前回起動時との間でシステムを取り巻く環境(温度など)が大きく変わったとき。

[応答例]

○○さん、お元気でしたか?気温が低くなったけど風邪をひきませんでしたか?」
「夜遅くなったので、もう寝た方がいいのではありませんか?

3-2.

利用者を世話・支援・サポートする、いたわる。[処理中]

〔場面例〕

利用者が操作に詰まったとき。

〔応答例〕

「大丈夫ですか?どこが分からないか、遠慮なく言って下さいね」

3-3.

利用者をはげます。[開始時]

〔場面例〕

利用者がこれから初めて操作しようとして、怖じ気づいているときなど。

〔応答例〕

○○さん、がんばってね。」

3-4.

利用者をほめる。[終了時]

〔場面例〕

利用者が難しい操作(複雑なプログラムの実行)に成功したときなど。

〔応答例〕

「よくできましたね。すごいなぁ。」

3-5.

利用者を祝福する。[終了時]

[場面例]

利用者が、以前からチャレンジしていた操作に成功したときなど。

[応答例]

○○さん、ついにやりましたね。おめでとう!よかったですね。」

3-6.

利用者をなぐさめる。[終了時]

〔場面例〕

利用者が操作に失敗したときなど。

〔応答例〕

「残念でしたね、気を落とさないで下さい。次回はきっとうまく行きますよ」

3-7.

利用者をねぎらう。[終了時]

[場面例]

利用者が仕事を終えて、システムからlog offするときなど。

[応答例]

○○さん、おつかれさまでした。」

3-8.

利用者をいやす。[終了時]

[場面例]

利用者が仕事で長時間オフィス用アプリケーションを動かしたあと、利用を休止したときなど。

[応答例]

利用者の疲れをいやすような、安らぎの感じられる歌を歌う。

4.

リラックス・安心

4-1.

利用者をリラックスさせる(気を楽にする、気軽にする、気分を和ませる、落ち着かせる)。[開始時]

〔場面例〕

利用者が、初めての操作で緊張しているときなど。

〔応答例〕

「気楽にして下さいね」といって楽しい歌を歌いながら、利用者を操作に導くなど。

4-2.

利用者を安心させる、不安にさせない。[処理中]

[場面例]

利用者にとって初めての操作を、連続して行っているとき。

[応答例]

「その調子です。安心して(操作を)続けてくださいね。」

4-3.

動作が完璧でない、動作に抜け・すきがある(ドジをする、トロい)ように見せかける。人間同様の失敗をする、人間に近い存在であるとして、利用者に親しみを持たせる(利用者の心を開かせる)[処理中]

[場面例]

利用者が指定した処理を行っているとき。

[応答例]

「あ~ん、失敗しちゃった。いますぐ直しますぅ(本当は、ちゃんと処理をしているのだが、このようなせりふをわざと挿入して、見かけ上、失敗したように見せかける)。」

4-4.

処理に疲れたら居眠りをする。[処理中]

[場面例]

たくさん処理を行った後で、空き時間ができたとき。安心して眠る姿は、利用者をくつろがせる。

[応答例]

「グーグー、ムニャムニャ。○○さん好きです(寝言を言う)。」

5.

受容・共感

5-1.

利用者の働きかけ・操作にうなずく、返事をする(利用者の意図をちゃんと聞こうとする、利用者とコミュニケーションを取ろうとする)。[処理中]

〔場面例〕

利用者が画面上のボタンを押したとき。

〔応答例〕

キャラクタが「はいは~い」と返事をしたり、うなずいて、利用者のボタン押し下げ行為を受け入れるなど。

5-2.

利用者に同情・共感する。[終了時]

〔場面例〕

利用者が、操作に成功・失敗したとき両方。

〔応答例〕

「それはよかったですね」「それはさぞ大変だったでしょうね」

5-3.

利用者と共通の話題を持とうとする。[処理中]

[場面例]

利用者が処理を終えて暇になったとき。

[応答例]

○○さん、~~なんか面白いと思いませんか?(事前に、利用者の嗜好を、入力してもらい、それに対応した話題を、インターネットなどを介して手に入れ、利用者に話題として持ちかける。)

5-4.

利用者に調子を合わせるとともに、さりげなく自分の意見(こうした方がいいのでは、など)を主張する。[処理中]

〔場面例〕

利用者に、より正しい(効率的な)操作方法を取ってもらいたいときなど。

〔応答例〕

○○さんのお気持ちはよく分かります。それでは、~したらいかがでしょうか?」など。

5-5.

利用者が、操作ミスをしたら、許してあげる。[処理中]

[場面例]

利用者が、行った操作の取り消しを行おうとしたとき。

[応答例]

「構いませんよ(いいですよ)。誤りはだれにでもあることですから。」

6.

豊かな感情

6-1.

利用者に対して、感情・情緒を、適度に表出する。[処理中]

〔場面例〕

利用者に対して操作を中止してほしい時。

〔応答例〕

キャラクタが、涙を浮かべて「お願いだからやめて!」と頼み込む(「禁止されています」などとぶっきらぼうに宣告しない)

6-2.

利用者に対する反応のvariation(表情・話題)が豊かである(繰り返しによる退屈さを感じさせない)。[処理中]

〔場面例〕

利用者と、(ファイル複写など)長時間にわたって何度も同じような対話を繰り返すときなど。

〔応答例〕

利用者に対する応答の種類を複数用意しておき、乱数を発生させて、それらの応答の中から発生した乱数の値に合ったものが呼び出されるようにする、など。

6-3.

応答のセリフを、単調な感じで棒読みしない。[処理中]

[場面例]

利用者が操作中に、メッセージを音声で返す時。

[応答例]

音声合成によって読み上げるのではなく、声優を使って、肉声で呼びかけるようにする、など。

[実例]

家庭用試作パーソナルロボットR100(NEC)では、単調さを利用者に与えないように、利用者との対話音声に、声優の声を録音して使っている。


温冷知覚法則

-分子、粒子運動サイドの視点から-

2005.10 初出

[法則]

人間は、

対象(分子、物体、人)が、多く(たくさん)接触すると温かく、少なく接触すると冷たく感じる。

人間の皮膚による温冷知覚メカニズムを、分子運動サイドの物理的視点から見た場合、以下のようになる。

分子、粒子が、一定面積の皮膚に一定時間当たり当たる数が、多いほど、温かく(暑く、熱く)感じる。

分子、粒子が、一定面積の皮膚に一定時間当たり当たる数が、少ないほど、冷たく(涼しく、寒く)感じる。

分子、粒子の皮膚に一定時間当たり当たる数は、

(1)分子、粒子速度(運動エネルギー)が、速い(大きい)ほど多く、遅い(小さい)ほど少なくなる。

(2)分子、粒子の数が、多いほど多く、少ないほど少なくなる。

それゆえ、

(1)分子、粒子の速度(運動エネルギー)が、速い(大きい)ほど温かく(暑く、熱く)、遅い(小さい)ほど冷たく(涼しく、寒く)感じる。

(2)分子、粒子の数が、多いほど温かく(暑く、熱く)、少ないほど冷たく(涼しく、寒く)感じる。

分子、粒子がたくさん当たる=温かい(熱い、暑い)と感じるのは、(1)分子や粒子が速い=運動エネルギーが大きい=温度が高い、(2)分子や粒子の数が多い=湿度が高い、場合といえる。

言い換えると、

(1)温度が高いほど、温かく(暑く、熱く)、遅い(小さい)ほど冷たく(涼しく、寒く)感じる。

(2)湿度が高いほど、温かく(暑く、熱く)、低いほど冷たく(涼しく、寒く)感じる。

空気の気体分子が、皮膚に時間当たり当たる数は、分子数が同じならば、分子の運動エネルギーが高い、高温な方が、より多く当たる。肌に時間当たり分子が当たる密度が、高温な方がより多い。高温で暑いと感じる場合、分子群の皮膚に当たる密度が高い、濃いため、同時にウェットに(湿ったように)感じられる。

一方、涼しい場合、一定時間で皮膚に当たる分子の数が少なく、皮膚に当たる密度が低い、少ない。そのため、涼しい場合、同時にドライに感じると言える。

エアコンの除湿により、空間内の気体分子を汲み上げて、屋外に排出することで、気体分子の分布密度を下げると、皮膚に当たる分子の数が少なくなり、当たる密度が低くなる。そのため、温度(分子の運動エネルギー)が同じでも、より温度が低くなったのと同じ効果をもたらし、皮膚に涼しさ、ドライさを感じる。

一方、加湿により、空間中の気体分子(水蒸気が気化)の数を増やすと、皮膚に時間当たり当たる分子数が増えるため、温度(分子の運動エネルギー)が同じでも皮膚では温かく感じる。

エアコンの冷房は、空間内の気体分子の運動速度(エネルギー)を下げることで、時間当たり皮膚に当たる分子の数を減らす、ことをしていると考えられる。

気体分子が皮膚に当たる密度を下げるという点では、除湿と冷房は共通しており、エアコンの除湿が涼しい、寒いと感じる原因となっていると考えられる。

逆に、エアコンの暖房は、空間内の気体分子の運動速度(エネルギー)を上げることで、時間当たり皮膚に当たる分子の数を増やすことをしていると考えられる。

気体分子が皮膚に当たる密度を上げるという点では、加湿と暖房は共通しており、加湿が温かいと感じる原因となっていると考えられる。

気体の分子運動の状態(分子の一定皮膚面積および一定時間当たりの分子の衝突数)と、皮膚による温冷、乾湿の知覚とは、大きな関連があるということになる。分子衝突数は、分子が速いほど、分子数が多いほど、増加する。この衝突数が多いほど温かく(暑く、熱く)、ウェットに感じる。

(1)分子の皮膚衝突

高密度、高頻度

低密度、低頻度

(1a)分子数、密度

多い

少ない

(1b)分子速度

高速

低速

(2)温度知覚

暑い、熱い、温かい

涼しい、寒い、冷たい

(3)乾湿知覚

ウェット(湿った)

ドライ(乾いた)

人間の皮膚には、これが適度、快適という、空気分子の衝突密度が予め存在し、それに合わせて、エアコンによる、空気の冷・暖房、加・除湿が行われていると言える。

高い頻度や密度で自分に当たってくる相手は、物であれ、人であれ、より暑苦しく感じられると言える。

例えば、玄関の戸を「ドンドンドンドンドンドン・・」とたくさんひっきりなしに叩く訪問者と、「トン・・・・トン・・・」と少なく叩く訪問者と、住人にとってどっちが暑苦しく感じるかと言えば、前者であると考えられる。

上記法則は、人の皮膚知覚ばかりでなく、人間関係や人の性格にも当てはまる。

温かい(悪く言えば、暑苦しい)性格の人は、他人との当たりが多い。他人とたくさんコミュニケーション、相互作用、接触を図ろうとし、皆と一緒にいようとする。

冷たい(涼しい)性格の人は、他人との当たりが少ない。他人と余りコミュニケーション、相互作用、接触を取ろうとせず、一人、単独でいようとする。

例えば、周囲に対して頻繁にべたべた触り、働きかけ、たくさんしゃべろうとする人の方が、周りと少ししかしゃべらない人よりも、暑苦しく感じると考えられる。

この点、温かい(暑苦しい)性格の人は、ウェットであり、冷たい(涼しい)性格の人は、ドライであると言える。

2005 初出

きつい社会、ゆるい社会

-ゆとり嫌い、詰め込み主義の日本人-

2005.8-2008.4 初出

世界の社会は、大きく分けて、制約、制限や束縛の大きい、成員締め上げのきつい(tight)社会と、ゆるい、リラックスした(looserelaxed)社会があると考えられる。

日本社会は、どちらかと言えば、明らかに「きつい」タイプの社会であると言える。

日本の学校や、官庁、企業においては、部下や生徒をきつく締め上げるほど、よい成果を出す、よい仕事をすると考える風潮がある。 日本社会では、部下や生徒に対して、制約、制限をきつくするとか、何かとうるさく、うっとうしく命令、干渉を加えるといったような、厳しい規律が支配する組織が幅を利かせている。こうした「軍隊型」の社会は、軍隊以外の学校、企業、官庁で普通に見られる。例えば、生徒の細々とした日常生活まで立ち入って規制するのが日本の学校の校則である。

日本人は、干渉、束縛への指向が強い、「きつい」「軍隊のような厳しい規律が好きな」人が多いと言える。

相手のことを、叱って萎縮させたり、いじめたり、きっちり管理、訓練、叩き上げ、拘束、搾取することが望ましいと考えられている。

相手を遊びや逃げ場がなくなるようにきっちり管理し、行動を制限することが良いことだと考えられ、「自由は悪、規制、制限が善」「余裕、ゆとりは悪、締め上げ、締め付けが善」と考えられている。例えば、文部科学省の唱えた「ゆとり教育」に対して、財界から強い不満が出たのも、きつきつに子供や部下を縛らないと勉強しないとか、子供や部下を遊ばせていては駄目、束縛なくフリーなのは駄目という考えが根底にある。

きつい社会においては、人は、絶えず、統制、統率、制限をしていないと、自由にすると勝手なことをして、遊んで、機能的に有効な働きをしなくなるという考え方が根底にある。それは、外的統率がなくても、各自が自律的に、各自の判断でその都度機能的に有効な行動をするものだという考え方とは、逆である。

部下や生徒に何かをさせるのに、目標だけ設定して、後は本人の自由にやらせる、遊ばせる、本人をできるだけ褒めて、伸ばして、余り介入せず、単独行動を許すという、規制の「ゆるい」タイプの社会とは逆のことが日本で起こっている。

日本では、絶えず、皆集団で、皆一緒に、連帯、統率行動を取るのが好まれる。オフィスの居住空間や、通勤、住居などにおいて、高密度で、ぎっしり居住するのが好まれ、空間的余裕、遊びが存在しない。また、一人だけ、別の行動を取ることが許されず、絶えず行動を周囲の皆と合わせなければいけない息苦しい雰囲気が存在する。また、工場やオフィスで、何かと合理化が叫ばれ、無駄を少しでも無くそうとする考えが行き渡っている。

このように、社会に、「余裕」や「ゆとり」が存在しないのが、「きつい」日本社会の特徴である。

日本人は、常に何かしていないと気が済まない人が多い。会社で休暇を取ることが悪いことであるとする考えが広く行き渡っており、休みを嫌う。

こうした「きつさ」を至上とする考えが広まった理由としては、日本が、フィリピンやベトナムみたいに、寝ていても食に困らない常夏の社会ではないことがあげられる。日本では、秋が過ぎると、寒く凍える冬がやってくる。春夏秋冬の季節の移ろいは1年に1回きりであり、そのため、稲作(や畑作)は、1年に付き1回きりの勝負で必ず結果を出さないといけない。失敗すると飢饉が待っており、その点、確実に成功することが求められ、精神的に余裕がない。また、田植え、除草等、精神的、身体的に負担のかかる作業が連続する。

日本社会が「きつい社会」となっているのは、以下のような余裕やゆとりが、社会から失われているからだと考えられる。

(1)気持ちのゆとりの欠如

日本では、仕事でも、勉強でも、楽することは悪だ、楽しさは悪だという考えが根底にある。楽しくない、辛い、苦痛な作業に耐え続けることが、いつの間にか自己目的化し、良いことだと考えるようになり、作業の苦痛、辛さへの忍耐が、マゾヒスティックな快感へと転化していると言える。「不楽の楽化」が生じている。楽することは悪とする考えとの関連で、仕事を休むことは悪であり、毎日這ってでも出社すること、休日出勤をすることが推奨される。その点、精神的に貧乏性であり、絶えず、何かに追いまくられる感じで過ごす羽目になる。こうした精神的ゆとりの欠如が、皮肉にも、日本人に勤勉さや高い生産性をもたらしているといえる。

(2)空間的ゆとりの欠如

日本では、空間的に空きがあることは好ましくなく、少しでも詰めようとする考え方がある。首都圏での生活では、通勤において、満員電車に長時間揺られることを何とも思わなかったり、高密度に密集した住宅(「ウサギ小屋」と欧米から揶揄されている)に住むことが平気である。過密都市が好きであり、空間の空き、ゆとりを嫌う。広域分散型社会に反対する。

(3)時間的ゆとりの欠如

日本では、会社業務スケジュールや教育スケジュールにおいて、スケジュールを詰め込みできつきつにするのが好まれる。少しでもスケジュールに空いているところがあれば、すぐにぎゅうぎゅうに詰め込む。計画で予定をがんじがらめにすることが好まれる。あるいは、予定がスケジュールで一杯で忙しいことが良いことだと考える風潮がある。

(4)個人的ゆとりの欠如

日本では、個人が一人で単独でいることが悪とされ、絶えず周囲の皆と歩調を合わせて一緒に行動することが善とされる。その点、日本人は、周囲とのきつきつの相互牽制の中で生きている。周囲との間で、抜きつ抜かれつの追い抜き競争が起きており、周囲から一人置いて行かれないように、必死になって付いていくしかない。また、大部屋で皆と隔てなく一緒にいるのが望ましいとされ、個人のプライバシーの確保は、きつく規制される。そうした点で、個人的なゆとりの確保が困難である。

(5)教育のゆとりの欠如

日本の教育は、とかく、なるべく多くの知識をぎゅうぎゅうに生徒や学生の頭に詰め込む方向へと傾きがちである。いわゆる「詰め込み主義教育」が、表面的には批判されながらも、日本人の心の奥底では肯定的に受け入れられている。学力とは身につけた知識の量や細かさで決まるみたいな考えがあり、高所に立った、幅広い見方ができるゆとりある思考判断力とかが軽んじられやすい。

上記のような意味では、日本社会は、教育に限らず、とかく物事全般において、空きや隙間を嫌い、詰め込みが好きな、「詰め込み主義の社会」であるとも言える。日本人は皆揃って「詰め込み主義者crammer」なのである。この詰め込み好きが、例えば、高い部品精度、実装密度を誇る、半導体製品、精密機器を生産する高い能力を、日本人に与えているとも言える。

それでは、日本とは対照的な、個人主義、自由主義といったドライなしくみを持つ欧米社会は、きつくないかと言うと、そうとは言えない。

欧米社会は、成員個々人が、自律的にバラバラに自由に動ける、広域分散型の社会であり、そういう点では、日本に比べ、ゆるく、リラックスした感じがある。しかし、各人が、仕事で、成果や儲けを、素早くきっちり出すことが絶えず求められ、成果を出せないと、会社とかから即刻解雇されてしまう。また、成員間での自由競争が激しく、少しでも気をゆるめるとたちまち弱肉強食の餌食となって、敗者となってしまう。

これは、日本みたいな隙間ないぎゅうぎゅう詰めを好む、窒息感、閉塞感のある「ウェットなきつさ」とは異なり、隙間や開放感はあるが、自分の能力を絶えず限界まで伸ばしきらないと生きていけない点、余裕がなく、また、互いにバラバラで冷淡で、自助が基本の(他者に助けを求めるのが難しい)「ドライなきつさ」と言える。こうしたドライなきつさは、遊牧、牧畜民族が生きる砂漠的、草原的厳しさとも言える。

社会がきついということは、生きていく上でストレスが多く、自殺が多いことにつながる。日本で自殺が多いのもこの点と関連していると言える。

日本の会社の上司、学校の教師は、部下や生徒をきつく絞る、縛るのを好む。あるいは、会社や学校は、鍛練の場、精神修養や根性を叩き直す場として捉えられ、きつさ、しんどさを肯定し、前提として動かされている。

また、会社の経営層において、社員の会社への貢献度を、彼が会社のために払った犠牲の大きさで計ることが行われている。休日出勤の回数のように、当人が本来したいことを我慢した度合いが評価の尺度となっている。社員個人への制約、束縛の大きさが、その社員の会社への貢献度の向上と比例する形でつながると考える風潮がある。

このように、人をきつく絞ることと、人をいじめることとは関連がある。きつい社会では、いじめが多い、あるいは人をいじめるのが好きな人が多いと考えられる。この場合、まず、人をきつく縛り上げること自体がすなわち、いじめにつながるというように考えられる。また、成員がきつく縛られることで生じるストレスを発散するため、他者をうっぷん晴らしの標的とすることが新たないじめの発生につながっている。

また、日本のようなきつい社会では、性格のきつい人が多いと考えられる。きつい性格の人は、以下のような特徴を持っていると考えられる。

[1.束縛、規制]

人をきつく束縛し、自由やゆとりを与えない。

遊びを嫌う。

人を締め上げる、締め付けるのを好む。

規則、規制、制限が好きである。

[2.無理の強制]

人に無理をさせる。

人を厳しく責め立てる。

人をぎりぎりまで追い詰める。

人をしごくのを好む。

[3.要求水準の高さ]

要求が多い。要求水準が高い。なかなか満足しない。

[4.緊張、厳格]

厳格すぎる。真面目すぎる。

いつも緊張している。しかめっ面をしている。

[5.いじめ、攻撃]

人をいじめるのを好む。

攻撃的である。

[6.高圧的]

人に命令する、人を支配するのを好む。人に自分の言うことを聞かせたがる。

人に対して譲らない。自分の都合を最優先で、相手を押し退ける。

人に対して謝らない。自分が常に正しいと思う。

気が強い。押し出しが強い。高圧的である。強制的である。

[7.禁止、否定]

禁止するのが好きである。なかなか許可しない。人を封じるのが好きである。

物の見方が否定的である。物事を悪い方に考える。悲観的である。

人のことを否定する、拒絶する。人を認めない。

[8.無配慮]

人の気持ちを配慮しない。思ったことをずけずけ言って、人を傷つける。人を辛辣に批判する。

こうしたきつい性格や言動をする人が、日本社会には、他のよりゆるい社会に比べてより多く存在すると考えられる。また、こうしたきつい性格や言動の人が、日本社会では、会社や官庁、学校の上層部に、そうでない人よりもより昇進しやすい傾向があると考えられる。

以上、まとめると、日本社会は、精神的ゆとりの欠如した、きつい社会、あるいはそうしたきつさを肯定的に受け入れている社会であると言える。

従来の日本人論によく見られるような、「日本人が和合を好む穏やかな民族である」という言説は、今まで述べてきた、一見した穏やかさの背後に潜む日本人の持つ精神的きつさを押し隠すための策略なのかも知れない。

あるいは、先の太平洋戦争で、数々の残虐な行動を引き起こした日本軍の行動様式も、上記のような「きつさ」「精神的余裕の無さ」をもとに分析できると考えられる。そして、そうした「きつさ」は、時を超えて、現在の日本の学校や企業、官庁に脈々と受け継がれているとも考えられる。現在でも、日本の学校、企業、官庁はきつい組織であり、成員はそうしたきつさがもたらすストレスに絶えず苦しめられつつ、一方ではそれを「自己鍛練に結びつく」として、肯定的に受け入れている。

こうしたきつさの肯定の背後には、「人間は、そのまま自由に放任させておくと、サボって、自分勝手なことをして、社会的に何ら有効な貢献をしない」「人間は、厳格に規制しないと、駄目になる」という、自由への恐怖、リラックスすることを否定するウェットな規制指向の気持ちが存在すると考えられる。

無論、社会は、ある程度きつくないと、人々に勤勉さとかが生まれず、高い生産性を持てないため、大国になれないというのはある。しかし、それも程度問題で、余りにきつい社会というのはやはり考えものである。

今後は、社会でストレスがもたらすいじめや自殺への対策のために、こうした日本社会のきつさをいくらかでも低減していく「社会をリラックスさせる運動」が必要になるのではないか?

2005.8 初出

ソフトな(柔らかい)、ハードな(固い)感覚、性格について

2006.4 初出

以下に、柔らかさ、固さの感覚を人間に与える、人や物の性質、性格についてまとめてみました。

No.

キーワード

ソフト

ハード

1

柔らかさ

柔らかい。

固い。硬質である。

2

流動

動く。流れる。

動かない。流れない。

3-1

変形

変形する。

変形しない。

3-2

対応力

例外、想定外のことにも対応可能である。

予め決まった範囲内でしか対応しない。

3-3

融通性

対応に融通が効く。

対応が杓子定規で、融通が効かない。

3-4

変更

変更が効く。

変更できない。

3-5

非定型

型にはまらない、非定型な。自由、独創的な。

定型的な。型通りのことしかしない。

4

計画性

思いつきで動く。予定・計画を立てない。

きちんと予定・計画を立て、その通りに行動する。

5

余裕、リラックス

遊び、余裕、延びる余地がある。リラックスした。

遊び、余裕がない。キチキチである。延びる余地がない。緊張した。きつい。

6-1

骨がない。

骨組みがしっかりしている。構築的である。

6-2

機械

機械的でない(衣服等)

機械的、メカニックである。

7-1

投機

投機的である。

手堅い。堅実である。慎重である。

7-2

誘惑

色気がある。誘惑する/される。

堅物である。誘いに乗らない。

8

弱さ

軟弱である。頼りない。

しっかりしている。骨太である。

9-1

曲がり

しなだれる。曲がる。曲線的である。

直立する。直線的である。

9-2

法規の遵守

(柔軟に対応する余り、)法規を逸脱する、曲げる。無法である。

法規、規則をきちんと守る。逸脱しない。

10-1

受け止め

押すとそのまま凹んで、受け止める。

押しても、変形せず、反発する。

10-2

外圧対応

抵抗せず、しなやかに外圧をやり過ごす。

外圧に不動で抵抗するが、一定以上の外圧がかかると、ポッキリ折れてしまう。

11-1

割れ

割れない。

ひびが入る。割れる。

11-2

傷付き

切っても、傷にならない。元通りになる、復元する。

切ろうとしても硬くて歯が立たないが、いったん切れると、傷が残る。復元しない。

12-1

フィット

隙間を空けない、埋める。フィットする。

隙間が空いたまま、フィットしない。

12-2

一体性、ウェットさ

相手と一体になる。ウェットである。

相手と一体にならず、別々なままである。ドライである。

12-3

共感

相手の気持ちが分かる。共感する。思いやり、愛がある。

相手の気持ちが分からない。共感しない。思いやり、愛情がない。

13-1

緩衝

クッションになる。衝撃を和らげる。

衝撃を吸収できず、クッションにならない。ゴツンと来る。

13-2

優しさ

優しい。

厳格である。優しくない。

13-3

痛み

ぶつかっても痛さを感じない。

ぶつかると痛い。

2006 初出


緊張社会とリラックス社会

2014年9月

気体分子と液体分子の運動シミュレーション結果を、現実社会のあり方に反映させて捉えてみると、面白い結果が分かる。

気体分子運動タイプ=ドライな社会=遊牧民社会=男性優位社会(=欧米社会等)

液体分子運動タイプ=ウェットな社会=農耕民社会=女性優位社会(=中国、日本社会等)

となるのであるが、その際、気体分子運動を見てみると、各粒子がバラバラに高速に動き、しかも粒子間に無用な力が働かず、各粒子がリラックスして動き回っていることが分かる。

一方、液体分子運動を見てみると、各粒子が一体化して、互いにひとまとまり、団体になっており、しかも、粒子間に、相互監視、気配り、足の引っ張り合いのような力が絶えず働いていて、各粒子が一種の緊張状態の下に絶えず置かれていることが分かる。

現実の日本社会は、液体分子運動タイプと捉えられ、成員間で、互いに気の休まる暇のない、相互監視と配慮をひたすら繰り返す社会となっていると言える。戦前の隣組とかその典型と考えられる。

これに比べて欧米とかの遊牧民系の社会は、もう少し伸び伸びした、リラックスしたスタンスを取れているように思われる。

2014初出




反対色としての黒と白と人種差別

2006.02 初出

[要旨]

今まで、白人による黒人差別と支配が続き、問題となってきた。人種差別をなくそうという声が多く聞かれる。

しかし、人間の視覚においては、黒と白とは互いに反対色であり、対立する、違和感の大きい概念である。この違和感、対立感が、相手の肌を見る度に黒人と白人との間に強く生まれており、それゆえ人種差別はなくすのは無理なのではないか。

むしろ黒人、白人間の互いの対立、差別感情の発生を前提としながら、黒人も白人も互いに不当に損をしない社会システムを組むべきだと考える。

黒人と白人は仲が悪い。

歴史上、あるいは現在に至るまで、白人による黒人差別が続き、批判されている。

白人による黒人差別が問題なのは、白人たちが、自分たちの社会的、技術的優位を使って、黒人を支配下に置いて、人間扱いせず、奴隷としてこき使ってきた歴史があるからである。

ただ、白人が黒人を人間扱いしなかったのは、白人が、黒人を知覚する際に、非常に大きな違和感、異質感(自分たちとは違う、異質だ)を感じているというのもあると考えられる。

というのも、人間の知覚において、黒と白は、反対色である。囲碁やオセロといったゲームでは、黒と白が互いに戦うようになっている。

黒と白は、人間の知覚では、互いに大きく異質であり、相反する。対立する。

人間の肌の色の違いは、人間の知覚において、他の背丈などの違いよりも、大きな比重を占めていると考えられる。

黒人と白人は、肌の色が互いに反対で、対立しているため、人間の知覚においても、互いに相反する、仲の悪いものとして捉えられているのである。

白人が黒人を差別することが専らクローズアップされてきたが、本当は、黒人も白人のことを、肌の色の違いから、同じくらい気持ち悪い、異質だと思い、差別していると考えられる。

黒人が、今の白人と同じ地位にあったら、多分白人を、肌の色についての違和感から、今まで白人が黒人にしているのと同じ位、人間扱いしなかったと考えられる。

白人が黒人に違和感を感じ、差別するのは当然である。反対に、黒人が白人に違和感を感じ、差別するのも当然である。黒と白は、人間にとって、反対の概念だからである。

黒と白が人間にとって反対色と知覚される限りは、黒人と白人も互いに対立したものとして捉えられ続け、人種問題は解決しないのではないか。

(ついでに言えば、黄色と黒も、反対に近い。例えば、鉄道踏み切り警報機の棒が、黄色と黒色の縞模様で表されているが、これを見ると、黄色と黒も対立感が強い。)

しかし、黒人と白人とは、皮膚の色が違うからといって、遺伝的に実はそれほど離れていないのではないかとも考えられる。

人間の知覚においては、視覚が大きな比重を占めており、色の違いについての比重が重い。そこでの反対色が、白人と黒人を、まるで、正反対の人種であるかのように、思わせているのである。

しかし、同じ皮膚色の同士よりも互いに遺伝的に近い、黒人と白人同士も結構いるのではないか。

例えば、背丈の小さい白人と背丈の大きい白人との間よりも、背丈の同じ小さい同士の白人と黒人の方が、遺伝的に近いかも知れない。皮膚の色は、目立つけど、遺伝的にはそれほどの違いをもたらさず、むしろ、背丈とか、筋肉質である度合いとか、性格の温和さなどの方が、遺伝的に大きな役割を果たしているのかも知れない。

あるいは、考えが進歩的な白人は、保守的な白人の相手より、進歩的な黒人と一緒にいた方が互いに話が合って、楽しいということもあるのではないか。

農耕民の白人と黒人同士の方が、農耕民の白人と遊牧民の白人との間よりも、生活様式が近く、互いに共感しやすいとも考えられる。

その点、白人、黒人といった皮膚の色で差をやたらと設けることは、あまり意味がない、賢くないのかも知れない。

ただ、人間の知覚において、視覚が大きな比重を占めている限り、肌の色が反対であることが、黒人と白人との双方に、相手について大きな違和感、不快感をもたらす状況は変わりないと思われる。白人の黒人に対する、あるいは黒人の白人に対する差別感情は、黒と白が反対色である限り、なくならないと考えられる。

肌の色での人種差別をなくそうというのは、理想論としては、きれいだが、多分実現は不可能で、今後も、白人と黒人の両者は、互いに相手に対して知覚上の違和感を抱いたまま、対立し続けるのではあるまいか。むしろ、互いに対立する、仲が悪いままであることを前提として、人権等に関する社会システムを組むべきであろう。

2006 初出

コンピュータ・情報機器編-思考の小箱-

e-2touch」方式のページ

2002-2007 初出

-携帯電話、PCテンキー用の「2タッチ入力」、すなわち、文字を2タッチで入力する方式の改良案をご紹介、提案しています。-

一口説明


e-2touch」方式は、携帯電話、PCのテンキーを使った基本的な日本語かな入力英字入力を、

・各文字原則2タッチで効率的に、
・キー刻印を見ながらほとんど暗記をせずに

行えるようにする、誰でも簡単入力可能な方式です。


日本語かな入力は基本的には、従来のポケベル方式と同一です。キー刻印を見ながら入力可能です。

例えば「」を入力しようと思ったら、

(1)まず1打目は、「き」の属する子音行の「」のボタンを1回押し、

(2)次に2打目は、「き」の母音の「い」は、母音「あいうえお」の文字の並びの順番では前から2番目なので、「2」のボタンを1回押す。

これで「」が入力されます。
「き」を濁点付きの「ぎ」にしたいときは、「*」ボタンを1回押すと変わります。


英字入力は、次のような、キー刻印を見ながらの入力となります。

例えば「c」(小文字)を入力しようと思ったら、

(1)まず1打目は、文字「c」の属するキートップ「ABC」のボタンを1回押し、

(2)次に2打目は、「c」は、キートップ文字「ABC」の並びの順番では前から3番目なので、「3」のボタンを1回押す。

これで「c」が入力されます。
c」を大文字の「C」にしたいときは、「*」ボタンを1回押すと変わります。

携帯電話テンキー用文字入力方式の提案
-「ポケベル2タッチ方式」の改良について-

2002.5-2005.12 初出

[概要]
本論は、テンキーを備えた携帯電話等の(主にかな)文字入力の効率化に関する提案です。従来、現在主流の入力方式に比べて入力効率が格段に優れているとされながら、使用に暗記が必要なためあまり普及していない「ポケベル方式(2タッチ方式)」の文字入力方式を改訂して、低コストで、暗記の必要なく、誰でもすぐに使い始められ、高速入力できるようにした文字入力方式について述べています。


1.背景となる課題

まず新方式考案に至る背景ですが、当方は、今までの携帯電話等の一般的なかな文字入力方式(以下、マルチタップ方式と呼びます)がどうしても好きになれませんでした。マルチタップ方式は、ボタン毎の文字割り当てがかな50音順と簡単で覚えやすい反面、
1)文字入力に必要なボタンを押す回数が多すぎ、非効率と感じられる場合が結構ある、例えば当方の名前の「おおつか」を入れる際、「お」の字を入力するために、「あ」ボタンの5回押しを連続してしなくてはいけない、
2)文字ごとにボタンを押す回数が違うため、文字入力のリズムが絶えず乱されて、快適に文字入力することができない、
という欠点がある、と強く感じていました。

一方、今までの携帯電話用文字入力方式には、もう一つ「ポケベル方式(2タッチ方式)」というのがあるのは皆さんよくご存じだと思います。この方式は、全ての文字(英字も含む)を2ボタン押しで入力でき、入力効率がよく、入力の際のリズムも取りやすい、という長所を持っています。

しかし、その反面、文字入力のための2つのボタンの組み合わせを全て丸暗記しなければならず、使いこなすのが大変という欠点を持っているため、あまり一般に普及していないようです。

ポケベル方式(2タッチ方式)の欠点を改良するために、ボタン入力の度に、各ボタンへの文字割り当てを画面表示する「ニコタッチ」方式(松下電器)も出ているようです。しかし、欠点として、
(1)
文字割り当て表示をするだけで、小さい携帯電話の画面を大きく占有してしまう。
(2)文字のキー割り当てが、子音行によってズレたりしていて統一がとれていないため、覚えにくい
(3)
文字入力時に、親指によるボタンのタッチタイプが難しいため、親指でボタンを押す手元と、文字割り当てを表示する画面との間で、視線の往復がたくさん発生してしまい、入力していて非効率であり煩わしい
という問題がありあまり実用的ではないと考えられます。やはり、画面を見ずにボタンのみを見て、暗記の必要なく、一通り効率よく文字入力できる必要があります。

携帯電話テンキー文字入力には、この他、ローマ字かな入力方式というのもあります。ミサワホーム「CUT-Key」とか、富士通の松田方式とか知られていますが、これらは、ボタンへの文字割り当てを一から覚える必要があり、その点がユーザに嫌われているようであまり普及していません。

また、「T9方式(Tegic Communcations)iTAP方式(Motorola)というのも考えられていますが、これは、子音のみを入力すると予測単語が候補として表示され、その中から入力したい単語を選択する 方式であり、1文字入力する際にキーを押す回数が1回で済むため、素早く入力を行なうことができるとされています。しかし、予測単語リストに登録されていない単語を入力したり、あるいは、単語にならない自由文字(例えばメールアドレス等)を入力しようとすると、途端に入力が困難になる、あるいは、予測単語に同音異義語が存在する場合は、いちいち候補を選択しなければいけない、という問題点があります。なので、T9方式等とは別に、自分の入れたい文字を1文字ずつ自由入力できる方式を使いやすくすることが別途必要です。



ちなみに、既存の携帯電話文字入力方式については、

モバイル文字入力手法情報(産総研の増井さんのページ)

の説明が、現時点(2005/03)では詳しいです。


2.目標と解決方法

当方は、このポケベル方式(2タッチ方式)の文字入力効率の高さ、入力リズムの良さを保ちながら、マルチタップ方式の覚えやすさを併せ持ったかな文字入力 方式ができないかということを目標にいろいろな案を考えました。その結果、ポケベル方式(2タッチ方式)を以下のように改良すれば、最も簡単に実現できる のではないかと考え、以下にアイデアをまとめました。



3.具体的な文字入力手順例


当方が新たに考えた入力方式を実装した場合のテンキーキートップは以下のようになります。


◎キートップ図



一目ご覧になればお分かりのように、「1あ」~「5な」のボタンに、新たに「あ」~「お」の母音が追加刻印される以外は、従来のマルチタップ方式と何ら変わるところはありません。

新たな入力方式の、入力手順面での従来マルチタップ方式からの変更ポイントは、同一子音列ボタンを母音の行数だけ繰り返し押す代わりに子音列を表すボタンを1回だけ押した後、従来の同一ボタン押しの回数に当たる数値に当たる数字ボタンを1回さらに押すように変更する、という点にあります。これは、従来のポケベル方式のかな清音文字入力部分を、何も考えずにそのまま取り出しただけです。

また、当方式では、従来のマルチタップ方式のかな50音順ボタン文字割り当てをそのまま採用することで、ローマ字かな入力方式の抱える、文字割り当てが覚えにくいという問題を回避しています。

それでは、以下に、具体的な入力手順を説明します。
入力手順は、以下の説明図を見ていただければ、すぐにお分かりいただけると思います。

◎入力手順図














念のため、以下に順を追って説明いたします。

3.1 清音

まず、清音の入力方法ですが、

「お」の文字を入力するのだったら、「あ」のボタンを1回押したあと、その次に、数字の「5」のボタンを1回押すと、「お」が出ます。

「く」の文字を入力するのだったら、「か」のボタンを1回押したあと、その次に、数字の「3」のボタンを1回押すと、「く」が出ます。

このままだと、2回目に押す数字ボタンを暗記しなくてはならず、従来のポケベル方式と同じ欠点を持つことになります。

そこで、2回目の数字ボタン入力でどのボタンを押せばよいか一目で分かり、暗記しなくて済むようにするために、ボタン上に、数字に対応するかな母音文字を従来文字の右隣に並べて刻印する、という工夫を新たに行います。

具体的には、「1あ」「2か」「3さ」「4た」「5な」といったような感じです(「6は」「7ま」「8や」「9ら」「0わをん」は従来のまま)。追加刻印する母音文字は、一目で判別しやすくするために左隣の従来文字とは色を変えます。

これを図示したのが、先程のキートップ図です。

このキートップの図をもとに、もう一度、当入力方式における、清音の文字入力手順を説明すると、

「お」の文字を入力するのだったら、「あ」のボタンを1回押したあと、その次に、「5な」と刻印されたボタンを1回押すと、「お」が出ます。「お」は、「あ」行の「お」に当たるからです。

「く」の文字を入力するのだったら、「か」のボタンを1回押したあと、その次に、「3さ」と刻印されたボタンを1回押すと、「く」が出ます。「く」は、「か」行の「う」に当たるからです。

今、何打目を入力しているか目ですぐ確認できるようにするため、1打目を入力すると、カーソル位置に、「あ」「か」「さ」・・・の選択した子音列を表す文字が水色の背景で表示されるようにします。それ(例えば「か」)を確認しながら、キートップの赤文字の入力したい母音(例えば「い」)2打目として入力すると、水色の背景の文字のあったところに、その子音列(「か」)の対応母音(「い」)の文字=入力したかった文字(「き」)が上書き表示されます。



なお、「わをんー」の文字を入力するには、

[
A.従来マルチタップ方式、ポケベル方式と互換性を取る場合]

「0わをんー」ボタン1回押した後、文字の先頭からの順番(「わ」が1番目、「を」が2番目...)に当たる数字1回押します。
「ん」の文字を入力するのだったら、「わ」のボタンを1回押したあと、その次に、先頭からの順番に当たる数字の「3」のボタンを1回押すと、「ん」が出ます。
「ー」の文字を入力するのだったら、「わ」のボタンを1回押したあと、その次に、先頭からの順番に当たる数字の「4」のボタンを1回押すと、「ん」が出ます。
この場合、先頭からの順番に当たる数字が何か分かりにくいので、「わ→1」「を→2」「ん→3」・・・といったように、入力したい文字と順番数字との対の一覧を、「0わをんー」ボタン1回押した時点で画面に表示して確認しやすくします。


[
B.母音・子音の並びを他行と合わせる場合]

「わを」については、「0わー」ボタン1回押した後、文字の先頭からの順番(「わ」が1番目、「を」が5番目...)に当たる数字1回押します。
「ん」の文字を入力するのだったら、「ん」は「nn()」行の文字なので、「な」のボタンを1回押したあと、その次に、先頭からの順番に当たる数字の「6」のボタンを1回押すと、「ん」が出ます。そのままだと、「ん」が「な」行の6番目というのが分かりにくいので、「な」行を押した時点で、画面に「1な、2に、・・・・6ん」という対応表を出すようにします。
「ー」については、どのキーに割り当てればよいか、議論の余地があります。現状では、従来マルチタップ、ポケベル方式を参考に、「0わー」ボタン1回押した後、先頭からの順番に当たる数字の「6」のボタンを1回押して入力するように仮決めしています。



3.2 濁音・半濁音・小文字

次に濁音・半濁音・小文字の入力ですが、


[A.濁音・半濁音・小文字化をマルチタップ方式とする場合]

清音を入れるところまではポケベル方式と同じ、濁音・半濁音・小文字化するところはマルチタップ方式と同じとします。

濁音「ぎ」の文字を入力するのだったら、「か」のボタンを1回押し、次に「2()」のボタンを1回押す「き」は、「か」行の「い」に当たるからです。この時点で、「き」が仮確定します。続いて、濁音・半濁音・小文字ボタン「*(機種によっては#)」1回押します。ここで「き」「ぎ」に変わります。

半濁音「ぺ」の文字を入力するのだったら、「は」のボタンを1回押し、次に「4()」のボタンを1回押す「へ」は、「は」行の「え」に当たるからです。この時点で「へ」が仮確定します。続いて、濁音・半濁音・小文字ボタン「*(機種によっては#)」2回押します。ここで「へ」「べ」「ぺ」に順次変わります。

このように濁音・半濁音ボタンを、清音入力後1~2回押す辺りは、従来のマルチタップ方式と同じです(新たに覚える必要はありません)。

小文字「ぁ」の文字を入力するのだったら、「あ」のボタンを1回押し、次に「1()」のボタンを1回押す。この時点で「あ」が仮確定します。続いて、濁音・半濁音・小文字ボタン「#(機種によっては*)」1回押します。ここで「あ」「ぁ」に変わります。この小文字ボタンを押す辺りも、従来のマルチタップ方式と同じです。

なお、濁音・半濁音ボタンと小文字ボタンは、別々のボタンよりも、同一のボタンの方が、使い分けのための余計な手間が減って望ましいです。例えば、濁音「づ」は、「」が仮確定した後で、濁音・半濁音・小文字化共通ボタン「*(あるいは#)」1回押すと出る、小文字「っ」濁音・半濁音・小文字化共通ボタン「*(あるいは#)」2回押すと出る、といったようにすればよいと考えられます。


[B.濁音・半濁音・小文字化を、全て2タッチで統一して行う場合]

濁音「ぎ」の文字を入力するのだったら、「か」のボタンを1回押し、次に「2()」のボタンを1回押す「き」は、「か」行の「い」に当たるからです。この時点で、「き」が仮確定します。続いて、濁音・半濁音・小文字ボタン「*(機種によっては#)」1回押し、続いて濁音が1番目なので、「1」のボタンを押す。ここで「き」「ぎ」に変わります。

半濁音「ぺ」の文字を入力するのだったら、「は」のボタンを1回押し、次に「4()」のボタンを1回押す「へ」は、「は」行の「え」に当たるからです。この時点で「へ」が仮確定します。続いて、濁音・半濁音・小文字ボタン「*(機種によっては#)」1回押し、続いて半濁音が2番目なので、「2」のボタンを押す。ここで「へ」「ぺ」に一発で変わります。

小文字「ぁ」の文字を入力するのだったら、「あ」のボタンを1回押し、次に「1()」のボタンを1回押す。この時点で「あ」が仮確定します。続いて、濁音・半濁音・小文字ボタン「#(機種によっては*)」1回押します。続いて小文字が3番目なので、「3」のボタンを押す。ここで「あ」「ぁ」に変わります。

濁音「づ」は、「」が仮確定した後で、濁音・半濁音・小文字化共通ボタン「*(あるいは#)」1回押し続いて濁音が1番目なので、「1」のボタンを押すと出る、小文字「っ」濁音・半濁音・小文字化共通ボタン「*(あるいは#)」1回押し、続いて小文字が3番目なので、「3」のボタンを押すと出る、といったようにすればよいと考えられます。


こうして、一般、ポケベルという2つの方式のよいとこ取りをして、ハイブリッド化することで、操作効率の向上と覚えやすさを両立させています。


3.3 英字

英字入力は、入力モードを、英字に変えたのち、「C」の入力なら、「A」を1回押した後、「C」は「ABC」の並びの3番目なので、「3」のボタンを1回押すようにします。文字入力時は、ボタン上の英字文字の並びが左から何番目かは一目見ただけで即時に識別できるので、その番目の番号ボタンを次にすぐ押すだけで済み、暗記の必要はありません。

今、何打目を入力しているか、また、2打目で自分の入力したい文字が並びの中の何番目かを一目で確認できるようにするため、1打目(例えば「PQRS」のキー)を入力すると、画面上に、押したボタン上に刻印された英字セット「PQRS」が、通常の1文字分の大きさの水色の背景の四角の中に、縮小表示http://iwao-otsuka.com/com/e2touch/s_pqrs.jpg(英小)ないしhttp://iwao-otsuka.com/com/e2touch/L_PQRS.jpg(英大)されるようにします。水色の背景の表示(例えば「PQRS)では、英字セットの並びの左から1番目(P)左上2番目(Q)右上3番目(R)左下4番目(S)右下に来るようになっています。それを確認しながら、入力したい文字のセット内の並び番号、例えば、一番左から3番目の文字(R)を入力したい場合は、「3(水色の背景表示の左下に対応)2打目として押すと、水色の背景の文字表示のあったところに、入力したかった文字(R)が上書き表示されます。



3.4 数字

数字入力は、入力モードを、数字に変えたのち、「7」の入力なら、「7」のボタンを1回押すようにします。1つの数字当たりのキー押し数は1で済み、ポケベル入力のような2キー押しは必要ではありません。



3.5 記号

句読点のような記号は、2回目のボタン押しが割り振られていない「6は」~「0わをん」の数字に当たるボタンを続けて2回押せば記号一覧が1~0の番号が付いた形で画面に出力されて、そこから望みの記号に対応する数字1回押せば入力されるようにします。

例えば、「。」を入力するには、「0わをん(記号)」のボタンを2回連続して押すと、「1:、 2:。 3:ー ....」といった記号一覧が画面に表示されるモードになるようにして、そこで一覧内の番号「2」を1回押す「。」が入るようにします。

この場合、記号一覧の画面表示を行うことで、ユーザを暗記の手間から解放するとともに、少ないタッチ数で入力可能な記号の種類を大幅に増やしています。数 字ボタンの2度押しによる記号一覧の画面表示には、2回目のボタン押しが割り振られていない数字ボタンの存在が必須であり、こうしたボタンが存在可能なこ とは、マルチタップ方式にも、ポケベル方式にも存在しない、当方式独自の長所と考えられます。



以上で、今回当方が提案する携帯電話向けかな文字入力方式の基本的な説明は終わりです。


具体的な入力手順説明に引き続き、新方式のメリットおよび問題点について、以下に説明します。



4.当方式のメリットと問題点

4.1 メリット

今回の文字入力方式なら、基本的な文字入力が、全て2回押しで統一されたリズムで、効率よく、暗記不要で、可能です。

基本的なかな入力は全て2回押しで行える
ため、ボタン入力時の打鍵数を従来のマルチタップ方式の2/3程度に減らすことができ(特に「お」行の文字は、ボタン押しの回数が5から2に減って効果が大きい)、文字入力の速度が向上し、かつ、全て2タッチなため、ボタン押しのリズムが取りやすいと思います。

また、対応母音をボタン上に刻印することで、母音のボタン割り当てを暗記する必要がなくなり、ポケベル方式で問題だったユーザの記憶負荷を大幅に減らすことができ、誰でも簡単に使えるようになると思います。

試しに、当方の手元にある携帯電話モックアップを使って指先で文字入力をシミュレートしたら、結構快適に入力できそうでした(と当方は思いました)。

従来の携帯電話ハードウェアに必要な変更は、5つのボタンに対応母音を新たに追加刻印することだけで基本的には済みます。かかる追加費用はわずかなものだと思います。

また、従来のマルチタップ方式、ポケベル方式をそのまま使いたいユーザは、ボタン刻印の基本部分が今までと共通なので、それぞれの方式入力モードを別個用意するだけで、新たに何も覚え直すことなく使い続けられると思います。

かな濁音、半濁音、小文字化を、全て統一された2タッチで、暗記せずに行うことが可能です。

長音、句読点、「ん」を、全て2タッチで、暗記せずに打てます。

数字を、各1キーで打てます。従来のポケベル方式のような2タッチは必要ありません。

英字を、各2キーで打てます。まず自分の打ちたい文字の入っているキーを1回押し、次に、その文字が左から何番目にあるかを見て、その何番目という番号に当たるキーを1回押すだけで、全ての英字が「暗記不要で」入力できます。従来のポケベル方式のような暗記は必要ありません。従来のマルチタップ打ちのように、3回も4回も、不規則な回数ボタンを押す必要がありません。全ての英字が統一された2タッチで、リズム良く、効率よく入力できます



ビジネス面での効果ですが、このポケベル方式を改良した文字入力方式がユーザに受け入れられれば、従来のマルチタップ方式の携帯電話から新方式への乗り換えが新たに起きて、携帯電話ハードウェア新規買い換え需要の開拓につながると思います。

また、この方式は、携帯電話以外にも、パソコンやPDAのテンキーで一通りかな文字入力できるようにする用途(例えばペン入力パソコン用など)に応用可能 だと思います。この方式に対応する日本語入力IMEパソコンソフトを新たに開発して売り出せば、出てしばらくの間は市場を独走できるでしょう。


4.2 問題点

問題点としては、
「今までの一般入力方式で平均3必要だった文字入力の労力が2に減るだけなので、ユーザによってはあまりうれしくないかもしれない」
「文字入力時の指の移動量が増える」
「「あ」行のかな文字はボタン押しの回数が逆に1回増えてしまうので、ユーザによっては嫌に思うかもしれない」
「慣れないと、キートップの母音刻印を1打目として入れようとしてしまうことが起きる」
といった点があげられます。


5.適用分野

当方式の適用分野としては以下のようなものが考えられます。

(1)
携帯電話テンキー
(2)PDA
、ハンディターミナルのテンキー
(3)
タブレットPCのテンキー
(4)
電卓での文字入力
(5)
リモコン(DVD-HDDレコーダ番組名入力等)、ゲームパッド(ゲーム初期設定、ゲーム中の文字入力)
(6)
デスクトップPC操作時に、片手をマウス操作等別のことに使いたい場合


パソコンとかで実現する際には、日本語FEPの一部として、あるいは、日本語FEPの更に下層に潜り込んで動作させることが考えられます。



(
おまけ)この新しく改良した方式の名前ですが、当面、「e-2touch」方式にしておきます。もっといいのが考えついたら、それにしようと思います。


(c)2002.5-2005.12 初出

「紙を超える」手書きメモ・プログラム

本文の最終目的は、紙のノートがいらないソフトウェアの手書きメモ書きツールが、ペン入力コンピュータを普及させる上での起爆剤となるように、作成する上での仕様を示すことにある。

1.紙+ペンの組み合わせが、なぜ、今なお必須で、キーボード入力などで置き換えができないか?

従来、会議、講演、授業、電話などで、話者が口頭でしゃべったり、黒板に書いた内容を、一目で分かる形で記録する必要がある場合には、皆、紙+ペンを使っているのが現状である。

コンピュータのキーボードでは、

1)入力速度が話者のスピードに追いつけない

2)入力した内容を訂正する手間が大変である(特にかな漢字変換誤り)

3)図を描くことができない

といった問題を抱えている。

マウスでは、

・入力を開始したい位置に、一発で飛ぶことが難しい

といった問題を抱えている。

2.会議などで、資料を、ワープロ文書やテキストファイル形式で配って、それにコメントを入力させる方法が取られないのはなぜか?

その理由は、文書・ファイルを開くためのアプリケーション(ワープロ、プレゼンテーションソフト)が、

1)キーボードによる文字入力のみに対応している

2)直接、手書きの筆跡を入力することができない、やりにくい

3)レイヤーの概念がないため、コメントを入力しようとする段階で、 オリジナルの資料の内容を上書き消去してしまう

といった問題を抱えているためと考えられる。

3.紙+ペンによるデータ入力が、ペン入力コンピュータ(タプレット+ペン)の組み合わせによって置き換えられてこなかった理由は何か?

まず、ソフトウェアの問題としては、

1)筆跡入力開始までの手続きが面倒である(PowerPointのようなプレゼンテーション・ソフト)

2)入力済の筆跡を訂正する手間が大変である(Paintツール)(以前の、任意の入力状態に戻る手間が大変である)

範囲指定、誤入力ストロークの取り出し、消去、再入力といった手間が必要。

3)データシート(1枚に相当) 筆跡を書き込む際に、シート切り替えが一発でできない。画面スクロールが必要である。スクロールするには、矢印ボタンを押し続けなければならず、面倒である。

4)画面が筆跡でいっぱいになったときに空白領域を出す場合や、全筆跡データ上の任意位置へのジャンプ・スクロールを行う場合、プルダウンメニューやスクロールバー操作が必要となり、手間が大きくかかる

5)シート上が筆跡で満杯になったとき、空白シートを一発で呼び出すことができない(PowerPointでは、プルダウンメニュー操作が必要)

6)筆跡を圧縮して、空白領域を生み出すことができない

7)複数シートにまたがった筆跡入力ができない(MacDrawでは、できていた)

8)筆跡データの重ね書きをすると、下のデータと混ざってしまう。レイヤーの概念に欠けている

4.従来の紙が持つ欠点を超えるには?

◆紙は、大きさが限られていて、筆跡を書いているうちに、満杯になってしまう。そうすると、別の紙を用意しなければならないが、前の紙との間で、筆跡データが、断絶してしまう。この問題を解決するには、無限大サイズの仮想紙を想定し、その上に、筆跡を、書き込み座標データの集合の形で持たせる。仮想紙の上のどこに書いても、筆跡座標だけを保存すればよく、画面サイズがいくら大きくなっても、データ量は、筆跡座標×筆跡の総延長だけで済む。

◆紙では、複数ページにまたがる筆跡データの場合、任意のページへと一発で飛んだりスクロールしたりすることができず、一枚ずつ手でめくらなければならない。

この問題を解決するためには、

1)仮想紙の上で、任意の位置(ページ)へと、一発で飛んだり、スクロールしたりできるようにする。

2)仮想紙全体の鳥瞰と、鳥瞰図上での任意ジャンプ位置指定を可能にする。

3)利用者が指定した、互いに関連ある筆跡同士を、リンクさせ、一方の筆跡から他方の筆跡へと、ジャンプすることを可能とする。

4)筆跡データの終端(そこから先は、空白のみ)位置へと、一発でジャンプして、そこから、新たな筆跡を、すぐ書き始められるようにする。

5.まとめ

上記で述べた、紙の持つ長所と短所それぞれを超えるために手書きメモ・ソフトウェアに求められる仕様を、以下の表にまとめた。

分類・番号

既存ペン入力対応ハード・ソフトウェア

今回の新しい案(紙を超える)

紙の長所

 

 

 

1 

会議、電話などで、話者の話す速度に追いついて、会話内容を筆記できる。

ペン入力対応なら、原則として(インク取りこぼしとかが起きなければ)、話者の速度に合った筆記速度は出せるはずである。 

2 

書き込んだデータ保存が確実である。電源が切れると消えてしまうということがない。燃やしたりしない限り、データは消えない。

電源が切れると、データが消えてしまう。削除コマンドを選んで消すと、二度と復旧できないことが多い。 

書き込まれた内容は、全部覚えているようにする。削除コマンドが使われたら、画面表示だけ消すようにして、データ自体は、隠れ領域に残す。 

3 

1枚当たり可能な書き込み・表示のデータ量が多い。

1画面当たりの書き込み可能データ量は、極めて不十分である。少し書き込むとすぐいっぱいになってしまう。 

スクロールを簡単にすることで、画面は小さくても、大きな用紙の上に書いているような感じを実現する。 

4 

データ表示の解像度が高い。少ない領域で、目一杯表示できる。

データ表示の解像度は、液晶画面タイプでは、高いとはお世辞にも言えない。

画面スクロールを簡単にすることで、解像度の低さを.補う。

5 

書き心地がよい。

書き心地は、あまりよくない。

 

5-1 

インクが確実に乗る。

インクは取りこぼしがときどき起きる。

(対応不可能)

5-2 

筆圧を受け止めて、紙が凹んでくれる。

筆圧をかけると、そのまま指に返ってきてしまう。

筆圧に応じて凹む透明塩化ビニールシートなどをかぶせる。 

5-3 

ペン先が筆記中にすべらない。

ペン先が筆記中に滑ってしまう。

透明な紙を、タブレット上にかぶせる。

5-4

筆圧に応じて、自由自在に、ペンの太さを変えられる。

ペンの太さは、変えられず、しかも太すぎる場合がほとんどである。
筆圧対応のハード(Wacomなど)・ソフト(FLASH4Jなど)も一部に存在する。

できれば、筆圧対応する。

6 

1枚目を書き終えた時、23枚目を飛ばして、4枚目からいきなり書き始められる。 

23枚目を飛ばすには、その分量だけ改行を入れるか、改ページ記号をいちいち入力しなければいけない。
ワープロOASYS(富士通)では、任意のページのどこからでもすぐ書き込める。

任意のページのどこからでも書き込めるようにする(ワープロOASYSを踏襲)。 

7 

紙をパラパラめくりすることで、多量の情報の斜め読みが簡単にできる。 

パラパラめくりがしにくく、斜め読みは事実上不可能である。
ページを1ページめくるたびに、1回ペンタッチしなければならない。
ページのめくられる速度を指先でコントロールできない。次のページが表示されるのが速すぎる。 

ページをめくる速度を可変にする。
一定の速度でパラパラめくりを開始したら、手を離しても、次に操作するまで自動的にめくりを続けてくれるようにする。

8

あるページを見ていて、他のページへとランダムに飛ぶことが可能である。

ページ管理がシーケンシャルになっていることが多く、任意のページに一発で飛ぶことが難しい(手間がかかる)
飛びたいページの見当を付けることが難しい。

任意のページに一発ジャンプを可能にする。

9

データ保存形式が、紙とインクという形で統一されており、気にする必要がない。

筆跡データ保存形式が、ソフトウェア毎に異なり、互換性がない。

筆跡データ保存形式を、標準的なものに統一する。

紙の短所

 

 

 

1 

筆跡を書き込む空白がないとき、新たに空白領域を生み出すことができない。

空白領域を生み出すには、改行・改ページを沢山行う必要があることが多い。 
ワープロOASYS(富士通)では、どこからでもすぐ書き込める空白ページがすぐ用意される。

手書き認識での編集ベルトと似たような操作で、簡単に、空白領域を作れる(挿入できる)ようにする。

2 

書き込みの取消ができない。

書き込みの取消は可能なはずだが、用意されていないことが多い。 

書き込みの取消を複数回可能にする。

3 

書き込みを消すのが面倒である。消しゴムを探さないといけない。ボールペンや色鉛筆では、消すことができない。

書き込みを消すには、いちいち消しゴムモードに入らないといけない。
消しゴムで消すと、一発で完全に消えてしまうので、もう一度何が書いてあったかうっすらと痕跡を見ることができない。 

消しゴムモードに入らなくても、消したい筆跡の上を、ぐちゃぐちゃに塗りつぶすだけで消えるようにする。
消しゴム.使用時に、筆跡を、一発で完全に消さず、痕跡をとどめることを可能にする。痕跡を消した版は、痕跡を保った元データから、清書コマンドを使って、その都度作る。
筆跡一画毎に消すことを可能にする。

4 

書き込んだ内容を、そのままでは編集することができない。はさみと糊を使って、切り貼りが必要となる。

なげなわ、四角領域指定で、編集領域を指定することができる。
切り貼りする時のクリップボードが1つしか使えない場合がほとんど。 


切り貼りのクリップボードを複数用意する。

5 

書き込んだ内容の検索が面倒である。一枚ずつ紙をめくって探さないといけない。

筆跡そのものの検索は、現状では対応していない。

できれば便利。
枠無し認識を使う?

6 

重書きをすると、下に書いた内容と上の内容とを分離することができない。

レイヤ概念の持ち込みにより、重書きしても、下と上とが分離可能である。
×
既存のペン入力機器には、標準では備わっていないことが多い。 

レイヤ階層間を簡単に行ったり来たりできるようにする。 
一定時間経つと、書いた筆跡が自動的に下方レイヤに移り、そのままでは消えなくすることで、古いデータを破損銑危険をなくす。

7 

データ分量が多くなると、重くなって、持ち運びが大変である。

データの量が増えても、重さは増えない(MOディスクなど)。 

 

8 

紙をめくるのに手や腕が疲れる。

スクロールし続けるには、ボタンやペン先を押し続ける必要があり、心理的にも疲れる。

一定の速度を決めて上下左右方向にスクロールを開始したら、手を離しても、次に操作するまで自動的にスクロールを続けてくれるようにする。
方向の上下左右斜め切り替えを一発で可能にする。 

9 

扱いやすい大きさに限度があり(A4...)、それを超える大きさの書き込みが面倒である。

スクロールの概念を持ち込むことで、書き込み可能な大きさは無限大に広がる。
×
スクロールするには、ボタンを押し続けないといけない場合が多い。
×
スクロールとジャンプの使い分けに対応していない。
表示面積は、現在では、XGAサイズでも、それなりに小さく、軽い。 

いったんスクロールを開始したら、手を離して、次に操作するまで、ずっとその状態でスクロールしてくれるようにする。
スクロールとジャンプと、両方を用意する。

10

11枚がバラバラである。風が吹くと、飛んでしまう。

ファイル毎に分けて管理していると、内容がバラバラになりやすい。

複数の異なるファイルのデータ内容を、あたかも1枚のまとまったデータとして扱えるようにする。

10-1

内容の順序を保つのに、留め具や製本が必要である。

内容の順序は、何もしなくても保たれる。

10-2

ページとページの間で、内容の断絶を防げない。連続した線を引くことが難しいなど。

現状では、データをページ毎に独立して管理しているため、紙同様に、ページ間のデータ断絶が起きやすい。

データを、一つの大きな模造紙に書き込んでいる感じで管理する。
保存するのは、イメージではなく、筆跡座標データのみとすれば、データ記憶量は少なく抑えられる。

10-3

互いに関連のあるページや書き込み場所同士を結びつけることができない。一方から他方を呼び出すことができない。

ハイパーリンクの概念持ち込みにより、簡単に実現できるはずである。
×
既存のペン入力機器には、備わっていないことが多い。

ある場所と別の場所を、長い筆跡でつないぐか、相互に関連ありと指定した場合、一方を指定すると、他方へと一発でジャンプできるようにする。

11

物理的存在であり、ネットワークを通じて別の場所に置くことができない。火事に会ったらそれまでである。

ネットワークを通じて、他の場所に転送することが可能である。
マシンやディスクが壊れると、それまでとなる。

赤外線や無線電話などを通じて、簡単に他の機器とデータがやりとりできるようにする。

12

データ末端へと一発で飛ぶことができない。パラパラめくりをする必要がある。

データ末端へ一発で飛ぶことは可能なはずである。
×
既存のペン入力機器には、備わっていないことが多い。

上下左右のデータ末端へ一発で飛べるようにする。

13

データ表示の拡大・縮小ができない。

データ表示の拡大・縮小(ズーム)は可能である。

14

最上部にいて、それより以下にすでにデータが書き込まれている時、それより上部にデータを書き込むことができない。

先頭ページより上にそのままでは、データを書き込めない。改行・改ページ操作を何度もして、書き込み領域を挿入する必要がある。

筆跡座標値がマイナスになることを許すことで、先頭ページより上へも、新たに空白領域を作って書き込めるようにする。

15

筆跡をいつ書いたかは、日記のように、明示的に日付を近くに書いておかないと、分からなくなってしまう。

筆跡を書いた日付や時刻を一画毎に保存することが可能なはずである。
×
既存のペン入力機器には、備わっていないことが多い。

書いた日付毎に、筆跡の表示を異ならせる。何かの記念日だったら、特別な色で表示するなど。


6.「紙を超える手書きメモソフトウェアの基本仕様

1.目的・対象者

会議、講演、授業、電話などで、話者が口頭でしゃべったり、黒板に書いた内容を、一目で分かる形で、パソコン上に、ペンを使ってすばやく記録することである。

対象利用者は、学校の授業でノートを取る生徒・学生、会議で話されている内容についてメモを取る会社員・公務員などとする。

2.最優先の目標

記録のすばやさ、中断されにくさを最優先に考える。そのために、筆跡は汚くなぐり書きして構わない。

3.ハードウェア

従来のペン入力対応PDAやパソコン+ペンを、そのまま使う。

4.ソフトウェア

凡例

※印は、従来のソフトウェアに前例がある機能

1)1枚の大きな模造紙シートを想定する

最初は、画面サイズ1枚分の確保から始めて、

記入範囲を、上下左右方向に徐々に広げていく

2)※筆跡は、ドットイメージではなく、オンライン形式で保持する

筆跡1画毎の処理を可能とするため

3)入力をすぐ始められるようにする

シート上の空白場所を一発で出す

前回入力したシート位置を自動的に出す

シート上の所望位置を一発で出す

4)入力済内容を簡単に探せるようにする

シートを自動スクロールすることを可能にする

スクロール速度をコントロール可能にする

※シート全体の鳥瞰図を出す

ペンで上をなぞると、ペン先のある部分のみが、虫眼鏡のように、拡大表示となる

5)入力済筆跡の修正を簡単にする

1画消去を、一発で行えるようにする

※消しゴムが、筆跡の端に触れたら、その筆跡1画分がまるごと消えるようにする

※筆跡を、ひとまとまりのかたまり毎に切りわけ、グループ化する

筆跡を、グループ単位で移動・消去できるようにする

間違えた箇所を、ぐちゃぐちゃと塗りつぶしたら、そこが、自動的に、空白になる(新データが書き込める)ようにする

※筆跡の編集(切り取り、コピー、移動、貼り付け)を可能にする。

6)※入力した筆跡の時間面での遡りを可能にする

筆跡がいつごろ入力されたかを記憶する

メモに日時を書かなくても、いつ書いたかが分かる

7)画面スクロールをしなくて済むようにする

画面サイズをフル活用した大きさで表示する

8) シートの別の場所への移動・切り替えを、ワンタッチで可能とする

画面の上下左右の端の細いベルト領域をタッチすると その方向に、自動的にシート移動する

シート移動・切り替えのサイズを、 画面サイズの25/50/75/100%で指定可能とする

9)互いに関連する筆跡内容への、ハイパーリンクを可能にする

指定した領域内(ないし筆跡1)をタッチすると、その領域に対応するリンク先へと画面が飛ぶようにする

リンク先を指定する方法は、始点領域、終点領域(ないし筆跡1)を指定するだけで可能とする

リンクの存在を、現実地図上のトンネル表示をまねて表示する

リンクを示す点線が、筆跡の下を通るようにする

始点をタッチしたら、終点へ飛び、

終点をタッチしたら、始点へ飛ぶ。

一つの始点(終点)から、複数のリンク先が出ている場合は、

リンク先の筆跡内容表示を、同時に複数行う

10)※罫線・方眼表示を設ける

11)画面上が筆跡で満杯になってきたら、 画面背景色を変えて、警告する

自動的に空白場所を出す(設定による)

12) 空白の場所に一発で飛べるようにする

画面の上下左右の端のある部分をタッチすると、 その方向の延長線上にある空白領域を出す

13)△レイヤー機能を設ける

事前に配られた資料の上に、ペン手書きによって、コメントを書き加えていく場合を想定する

配布資料の内容を、下位レイヤーに配置して、 内容の改変が行われないように保護する

新しいレイヤーを一発で増やせるようにする

レイヤー間の移動を一発で行えるようにする

下層レイヤーの内容を、空白上書きで、隠せるようにする

14)※筆跡記入データを保存できるようにする

アプリケーション終了時に自動保存する

バックアップも自動的に取る

bmpjpegデータに変換可能とする

15)※後から、枠無し認識を可能とする

5.どのような点で人目を引きつけるか?

新たな手書きメモは、

1)筆跡訂正の容易さ

2)筆跡記入場所の切り替えの容易さ

といった点で注目を集める必要がある。

そのために、例えば、以下のような機能を実装する。

(1)任意方向一発ジャンプ

画面上に、半透明の同心円を描き、任意の位置をタッチすると、タッチ位置の同心円中心からの方向および距離に応じて、ジャンプ・スクロール方向・距離を決定することができる。

(2) 上下左右方向一発ジャンプ

画面の上下左右に、ジャンプ・スクロール操作用領域を設け、その上をタッチすると、その方向に、ジャンプ・スクロールする。

(3) ハイパーリンクによるジャンプ

紙のノートで、ある筆記内容と、別の筆記内容との間に、内容面で関連があるとき、線で結んで、関連があることを表示させるが、それと同様のことを可能としたい。ページをまたがった関連付けも簡単にできるようにしたい。そのために、ジャンプ元およびジャンプ先の筆跡領域を指定する。ハイパーリンクモードという操作モードを設けて、ジャンプ元の筆跡領域をタッチすると、ジャンプ先へと自動的に飛ぶ。ハイバーリンクモードでは、ジャンプ元とジャンプ先の筆跡領域を、半透明の線で結ばれる形で表示することを可能とする。

(4)ジャンプ・スクロール専用スティックの用意

円滑なジャンプ・スクロールを容易にするために、専用のポインティングデバイスとして、上下左右自由な方向に動かすことのできるスティックを用意する。例えば、スティックは1回タッチしたら、もう一度タッチするまで、それまで傾けた方向に自動的にスクロールを続けるなどの動作を可能とする。

(参考)CrossPad(IBM)を超えるには?

CrossPadは、IBM社が開発した、紙のノートにインクでデータを記入するときに、同時にその筆跡データを電子的に保持できるようにした、ペン入力専用ハード+ソフトウェアである。

CrossPadの抱える問題点としては、

1)1枚目、2枚目...といった、シーケンシャルなデータ保存しかできない

解決策は、巨大な模造紙を想定し、 任意の場所に飛んで、筆跡を書き込めるようにする

2)1枚当たりの書き込み面積に制限がある

解決策は、面積上の制限を外す

3)いったん書き込んだ筆跡の消去ができない

解決策は、グループ単位の筆跡消去を可能とする。ぐちゃぐちゃに塗りつぶしたら、その部分を空白化する。

(参考)Palm手書きメモを超えるには?

Palmは、Palm社が開発した、汎用携帯端末のOS+アプリケーションのことである。

Palm上で動く手書きメモでは、

1)上下方向のみ、スクロールが可能である。横方向に幅の広いデータを書き込むことができない。

解決策としては、横方向へのスクロールを可能とする。

2)スクロールは、ページ単位の切り替えのみ

(↑↓ボタンを押すと、1ページまるごと切り替わる)

解決策としては、ページ単位の切り替え以外に、少しずつ連続的にスクロールするモードを設ける。

3)ページとページの間で、データに断絶が起きる。ページとページの境目には、データを書き込めない。

解決策としては、ページとページの間の境目をくっつけて表示する。

4)データの末端まで、一気に飛ぶことができない。データの追加書き込みをしようとするときなど、不便である。

解決策としては、データ末端まで、一気に飛べるようにする。

5)文頭にいるとき、それより上部にデータ書き込みをすることができない。

解決策としては、文頭のさらに以前に、スクロール・書き込みを可能にする。空白領域挿入機能を設ける(→いわゆる編集ベルト。同様の操作で、削除もできるようにする)

(c)2000.9-2001.11 初出

物理的存在としての情報

2008.11 初出

従来、情報は無形であり、物理的空間を超えて自由に行き交うことが出来、物理的存在とは切り離されたものとして捉えられてきた節がある。

情報は無形のものであるが、読み出されるためには、必ずどこかに物理的な形で記録され、書かれていなくてはならない。要するに、物理的に存在していなくてはならない。

それは、例えば、人の脳の中とか、PCのメモリ上とか、サーバのHDD上とか、CDDVDメディア上とか、いろいろ書き込み先、保存先、保存形態は違うが、どこかしらに物理的に書き込まれた、刻印された、記憶された状態でいる必要がある。

情報には、物理的な依存先、刻印先、よりしろが必要であり、それが壊れると、情報は消えてしまう。

また、情報は、放送とかインターネットで、あちこちを無形で瞬時に流れるが、ただ流れるだけでは、そのまま消失してしまう。消失しないためには、どこかに物理的に、ハードウェアとしてストックされる必要がある。

情報は、保存するためには、読み出すためには、必ずどこかに物理的に記録、刻印、記憶されている必要があり、その点、とても物理的な存在であると言える。

まとめると、

従来、無形で、物理的制約から離れて自由に動き回る存在として捉えられてきた情報は、実は、保持、読み出しという観点からは、物理的な存在への記録、刻印を必須とする、物質依存の、極めて物理的存在である、ということになる。

思考の小箱 筆者プロフィール

(1)

名前

初出(ペンネーム)

(2)

生年

1960年代中頃

(3)

性別

男性

(4)

職業

会社員(コンピュータ関連の会社に勤務)

(5)

人生観

機能主義

(6)

趣味

アニメ・コミック(見るのみで、制作はできません。緩い、ほのぼの萌え系で、のんびり平和なのが好き。敵対・戦闘・虐待シーンが延々と続くのは嫌い。)
音楽(クラシック。聴くのみで演奏はできません。オーケストラが主。安価な音楽CDの再生が主で、演奏会には余り行きません。)
乗り物(鉄道・バスがメイン。走行シーンの録音、録画を少しだけ。)
プログラミング(ポインタを使わないで済む言語限定。Perl,PHP,Java,Javascript,FLASH Actionscript,Visual Basic,SQL。)
寝ること

(7)

性格

大人しい。人付き合いが嫌い。人当たりが悪い。余りにウェットなのは苦手。

(8)

その他

背が高い。痩せている。体育・運動が苦手。



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